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2023.06.28:北海道庁本庁車庫
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建築探訪のページで「北海道総務部総務課第一車庫公宅」という名称にて取り上げている当該建物について改めてこの場に書いてみる。
80年代後半に札幌に在住していた際、この建物の北側前面道路は何度も往来していた。
だからこの建物に対する当初の印象も、北側外観に限定されたものであった。
外壁はくすみ、そして四角四面のボリュームに無機的に横連窓が並ぶだけの無表情な構成。
一階は全てピロティとなっていて、上層を支えるために等間隔に並ぶ構造柱は全て内側に同じ角度で傾斜していたことは記憶に残っている。
その柱間はいずれも駐車スペース。
漠然と、タクシー会社の社屋かなと思う程度で、それ以上の関心をこの建物に寄せることはなかった。
そんな折、当該建物近傍の公共施設に出向いた際、この建物の裏手に不思議な構造体が目に留まった。
建物規模からすると明らかに過剰な鉄筋コンクリート造のアーチが上空に連なる。
何だコレはと、携帯していたコンパクトカメラにその外観を取り敢えず二枚収めた※1が、なぜかその構造体についても当時はそれほど興味は沸かず。
撮りっぱなしのまま年月が流れた。
そして00年代半ば、ふいに当該サイトを開設しようと思い立った際、この構造体のことを思い出した。
検索する範囲では取り扱ったサイトも無い様だから、ネタとする価値はあろうと判断。
では改めて実見してみようかと思ったが、既に除却されて久しいことを知る。
ならば建物の来歴をと色々調べてみるが、これといった情報には至らず。
取り敢えず、現存時の住宅地図と航空写真から建物名称と所在地を把握。
その名称から建物用途も想定可能。
そして、タクシー会社の社屋と捉えていた北側の棟とアーチを擁する構造棟が一体の建物であることも把握するが、私が調べ得たのはそこまで。
あとは、かつて撮った二枚の外観写真から憶測を述べる形でページを纏めざるを得ぬ。
アーチ構造の採用理由を、内部空間の無柱化による駐車場としての自由空間の獲得と見立てたが、建物の東端に見える煙突にその推定が揺らぐ。
駐車場用途はあくまでの北側矩形ボリュームの一階ピロティ部分のみで、このアーチ構造の棟は例えば地域暖房供給のためのボイラー施設として設置された付属棟なのではないか。
煙突から推察され得る
以降、5月8日に書いた当該建物について詳述した建築専門誌「北方建築」について言及したサイトに目を通すまで、この建物については謎が多いまま推移していたが、同誌によって漸く色々なことが分かった。
例えばその竣工が1958年5月末であったこと。
即ち私の初見時には既に30年近くが経過していたことになる。
そしてアーチの構造体についても、設計者が同誌に執筆した解説の中に以下の記述があった。
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建築として=車庫内に柱を出来るだけ少なくすること。しかも,経費節約の点から鉄骨などは使はずに・・・・・・・この命題に答えたものは屋上に突出したアーチによる主梁の補強であつた。
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また、煙突についても、
とあるので、東側に隣接していた農労会館の設備なのだろう。
ともあれ、当該建物のページに記した無柱空間の実現の憶測は間違っていなかった様で一安堵。
しかしそうして実現した700平米に及ぶ広大な屋上を住棟に住む子供達の遊び場として開放しようと画策されていたことまでは推定出来なかった。
なるほど、立地は札幌市内中心部。
安全な遊び場として、これ以上有効な人工地盤は無い。
アーチが芯芯5.8m間隔で中空に飛ぶ屋外空間は、入居していた子供達にどの様に記憶されているのだろう。
新たに得た情報をもとに、当該建物のページもいずれ改訂を試みたいと思う。
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2020.06.21:新建築6月号
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久々に新建築誌を読む。
以前も書いたが、同誌に関してはいつも巻末に載る「月評」から読み始める。
前月号に掲載された建築作品に対する四名の執筆者による論評。
6月号の月評のページを開いて、担当者の一人、田辺新一の論述に驚いた。
書かれている内容は、各作品のBEI値に対する所見。
今年に入ってからの同誌のバックナンバーを確認すると(・・・って、そのくらい同誌をまともに読んでいないってことだけれども)、氏の月評はいずれもこのBEI値を軸とした論述。
こういった視点での月評って今迄には無かったと思うのでとても新鮮。
あるいは、新建築誌でもこの様に建築を捉える時代になったのかな・・・などと呑気な感慨に浸りながら巻末に載せられている掲載作品のデータ欄に目を通すと、環境性能の表記。
いつ頃から載せ始めたのだろう(・・・ますます同誌を読んでいない証左だな、これは)。
かつては、各作品の意匠に纏わる先進性とかそこに込められた意味や価値等が論評の主軸を占めていたと思うし、そういった言説に接しながら建築作品の読み解き方を学んだものだった。
そんな視点に特化した編集方針が通用する時代は過去のものとなりつつあるといったところか。
ちなみに、先月号で紹介された野球場「エスコンフィールドHOKKAIDO」のBEIは0.99なのだそうだ。
現行基準をぎりぎりクリアした数値。
そのことに対し氏は少々辛口のコメントを記している。
確かに0.99というのは、如何にも何とか帳尻を合わせましたといった印象が無きにしも非ず。
実務担当者の苦労が伝わってこなくもない。
それに、実際の供用、例えばグラウンドの天然芝への日照確保のために球場全体を覆う大屋根を動力で開閉させる機構の導入や、日照を補完する特殊な人工照明の照射。
更には芝を育てるための地表面の温湿度の機械的な管理。
あるいは「『共同創造空間』の構築」を目指し試合開催日以外も来訪者を受け入れ商業施設を稼働させる運用等々。
それらに伴うエネルギー消費及びCO2排出量の実態は果たして如何程か。
そもそもこのBEI、建築物の環境配慮評価に関わる指標として一体どうなのか。
例えば住宅用途のBEI値算出根拠となるUa値について昨秋計算条件が改正され、集合住宅の住戸間における温度差係数が条件付きで0に改められた。
シミュレーションしてみると、これがかなり計算条件の緩和に働く。
ZEH-Mが実現し易くなる。
普及が一気に進む可能性もあるが、そのこと自体を目論んだ帳尻合わせ的な意図が透けて見えぬ訳でもない。
果たして改正に伴う脱炭素あるいは気候変動緩和への実質的な影響は・・・、などと思ってしまう所が無きにしも非ず。
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※1:
エスコンフィールドHOKKAIDO遠望。
市内各所からの視線において、外観を特徴づける巨大な切妻屋根が見え隠れする。
現地を訪ねた際のことは5月31日の雑記に書いた。
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月評欄ではもう一人の執筆者、権藤智之もエスコンフィールドHOKKAIDOについて言及している。
そこで氏は、
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文章にある「北海道になじみのある切妻屋根」というのはあまりピンとこなかったが
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と述べているが、これには同感。
そもそも切妻屋根のどこが北海道らしい形態なのか※1。
あるいはそれが馴染み深いものだとして、風景としてのその要素を外観にどの様に読み替えたのだろう。
私には、単にとてつもなく肥大させた切妻屋根にしか見えないが。
あるいは氏は、
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記事は,「つくる」ことに焦点を当てた見せ方もできたのではないか
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とも指摘している。
施工に纏わるテクニカルな面への切り口での取材ないしは紙面構成が求められる建築作品ということか。
なるほどと思うが、しかし元来その手の記事は「建築技術」誌や「建築知識」誌あたりの領分。
果たして、各専門誌が今の時代において建築をどの様に捉え、紙面を構成しつつ個々の存在感を保持し、若しくは強化するのか。
建築作品の評価の捉え方の変容若しくは多岐化と共に、各誌の編集容態は今後一層様々に変化するのかもしれぬ。
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2023.06.14:メーカー住宅私考_174
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当サイトの「住宅メーカーの住宅」の項に、第一木工の「ギャラリーII」を載せている。
1981年に発売された同モデルは、名称に「II」とある通り、前身モデルが存在した。
1979年発売の「ギャラリー」。
その外観は、切妻屋根を載せたほぼ総二階建てを基本に、二階及び小屋裏部分中央桁方向に矩形ボリュームを貫入させた動的なもの。
加えて袖壁を強調したバルコニー手摺の形態も、総二階の単調さを低減すると共に、シャープな印象を外観に与えている。
2×4工法を採用する多くのメーカーが、洋風のイメージを内外観に与えるべく、それらしき様式の模倣(ないしは模倣以前のイメージ付与)に走る中で、同じ工法を用いながら造形性で勝負したモデル。
あるいはそのことによって他社との差別化を際立たせようと画策した。
そんな印象を持つ。
そうして仕上がった外観の組み立ては、「ギャラリーII」にも踏襲されつつ、更には内観への6層に及ぶスキップフロアの導入へと進展した。
平面プランも、貫入する矩形ボリュームに連動して内観中央に強い軸性を導入。
その中央軸の両翼に諸室を配置する構成は、「ギャラリー」及び「ギャラリーII」共に共通する。
あるいは、先行した「ギャラリー」で組み立てたその構成によって、「ギャラリーII」において複雑なスキップフロア導入への応用が可能になったとの見立ても可能であろうか。
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外観
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各階平面図
「ギャラリー」の平面プラン初見時、1978年に発売されたミサワホームMII型に似ているなという印象を持った。
一階妻側中央に玄関を配し、対面するように他方の妻面に折り返し階段を配する構成。
あるいはその階段の中間踊場部分を妻壁より軒の出分突出させる措置は、MII型にも見受けられる要素。
そしてその組み立てによって生じる二階の諸室配置にもMII型との類似性が伺える。
MII型については、家父長制的な指向の現代的な解釈に基づいてハレとケの厳格な分化に過度に先鋭化したがためのいびつなプランといった旨、当サイトの「住宅メーカーの住宅」のページに記した。
その点、似た構成ながら「ギャラリー」は比較的うまく纏まっている。
一階のキッチンやダイニングルーム廻りの動線に回遊性を確保。
折り返し階段の位置は好みが分かれそうだが、リビングとダイニングを柔らかく分節しながら連続性や空間的な広がりを確保する役割も担っている。
MII型も、モデルの方向性を過度に極めようとするのではなく、「ギャラリー」程度のバランスに留めておけば、などと思ったりもする。
更に双方の発売時期を鑑みるならば、「ギャラリー」のプラン策定に当たってMII型が参照され、そのいびつさを改善する視点で検証が進められた可能性も好き勝手な推定としてはあり得よう。
もっとも、いびつなプランは、商品としての危うい印象を持たせつつも、そのいびつさの理由や背景を読み解く愉しさがある。
MII型はその点においてとても興味深いモデルである一方、「ギャラリー」にそれは望めぬ。
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2023.06.06:R&R建築再生展2023
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先週のこと。
掲題の展示会を見に、会場である東京ビッグサイトに赴く。
建物の修繕や改築に関連する先進の技術の見本市として毎年開催されているイベント。
といっても、今回訪ねた目的にそれらの情報収集は殆ど無い。
半ばそれ以上は、長岡造形大学の建築・環境デザイン学科のブースが目当て。
同大学は、毎年広大な会場の一画で前年度の卒業制作の幾つかを展示している。
在校性の就活支援の一環なのだろうか。
同大学が立地する新潟県長岡市在住のアート作家の方のブログにて、タバコ屋のカウンターをテーマとして扱った卒業制作について紹介されていた。
もしかすると出展されているかもと思ったら、期待通り。
で、実物及び論文をじっくりと堪能できた。
ブースの中では何故かその展示のみ撮影可の表示。
ということで左に掲載の通り、画像に収める※1。
他の制作物についてはその表示が無いので撮影は自粛したが、いずれもテーマがしっかりと設定されている。
単なる形遊びに終始し内容が全く伴わなかった私の卒業制作などとはレベルが全く異なる。
今どきの制作にはCGやCADが最大限駆使されているのだろうなと思っていたら、繊細な水彩画や子細な模型等、自身の手を動かして制作されたものも意外と多い。
否、その傾向は単に展示作品の選者の好みだったのかもしれぬが。
模型の中には「二笑亭」もあった。
かつて東京都内にて普請道楽の限りを尽くして建設され続けた未完の個人邸。
書籍の中で見知っていた過ぎぬその異形の建築について、展示されている模型にて改めてその不思議な造形を俯瞰する。
異形とは、何をもって異形と価値判断されるものなのか。
近接して工学院大学の建築学部も出展。
解体された中銀カプセルタワーのカプセルを譲り受けた淀川製作所と協同で同カプセルを再生。
底面にシャーシを取り付けて移動を容易なものに改めたモデルを展示していた※2。
リーフレットには「ホモ・モーベンスのための動く住まいが誕生しました」などと記されているが、見てくれは単なるトレーラーハウス。
何ら目新しさはない。
但し、同展示によって、昨年道交法が改正されて積載物に関する短辺幅の規制が緩和されたことを知る※3。
2.5mを上限としていた基準に、車輛からの突出可能幅が加えられた。
旧来の制約が、ユニット工法を用いた住宅のプラン作成に多大な影響を及ぼしてきたことは「住宅メーカーの住宅」の該当モデルのページでも言及している。
もしも半世紀前から現行基準が施行されていたならば、国内におけるユニット住宅の商品開発の歴史は全く異なる形で進展したのではないか。
歴史に"if"を持ち込むとキリが無くなるが、そんなことを想う。
あるいはこの改正が、ユニット工法を用いたモデルの商品開発にどの様な影響を及ぼすことになるのだろうか。
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2023.05.31:エスコンフィールド北海道
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プロ野球には全く興味が無い。
とはいえ、試合を見に球場に赴いたことが無い訳ではない。
チケットを余分に入手した知人から誘われたことがある。
場所は東京ドーム。
競技施設の実際の供用状況を体感することも悪くはなかろうと誘いに乗り現地へ向かう。
しかし座席は窮屈だし試合の進捗は何やら緩慢。
おまけに観覧席を往来する売り子たちも抱える商品の重さに徐々に疲弊の表情を浮かべ始める。
そんな事々を見るにつけ、何だかなぁと思う程度に留まってしまった。
そもそも、競技場という用途の建物自体が関心の対象外。
図体ばかりデカくて意匠は大味。
例外的に良いと思える事例と言ったら代々木競技場とか香川県立体育館とか新潟市体育館とか・・・。
国内の全ての施設を把握している訳では無いけれど、極々一部に限られる。
そんな私が掲題の施設を観に行った理由。
それは野球場らしくない野球場という一点に絞られる。
その、らしくなさを確認しに赴いた。
最寄りのJR北広島駅からシャトルバスに乗ってみたが、利用するほどの距離でもない。
隣町の札幌市に至るまで茫洋と広葉樹が生い茂る原生林の一画を綺麗さっぱり伐採抜根した広大な敷地に建設された巨大な建物の西側にバスプールが整備されている。
その広場に面する立面の第一印象は、今風のショッピングモールといったところ。
予備知識がなければ球場の用途として視認し得ぬ。
あるいはそもそも、その名称自体が用途と直結せぬ。
周囲には人工池が配され、コテージや遊具施設が設えられる。
その背後には、伐採を免れた原生林が鬱蒼と広がる。
つまり、あまりソレらしく無い外観及びロケーション。
訪ねた日は試合の開催予定がないため入場無料。
屋内に入って初めて、その施設が野球場であることを実感させられる。
しかし、一部観覧席の更に上層にはホテルや温浴施設。
それらの異種用途を含め施設全体を覆う可動屋根。
競技時以外はグランドの天然芝への日照取得のため、屋根を開放する。
そのための大規模な機構は壮大でもあるのと同時に狂気として受け止められぬ訳でもない。
その供用にあたってのコストやエネルギー負荷は・・・などとつまらないことを考えてしまうが、そういった評価を無視出来ぬ時代でもある。
今は物珍しさでイベント開催時以外も私の様な一見客で施設内は賑わっている。
館内ツアーも、施設内の飲食店街も盛況の様だ。
しかし、目新しさが薄れてからの集客力及びその持続性は如何に。
規模の大小を問わず、建設された施設が負うこととなる評価である。
当然のことながら、施設所有者側としては、長期にわたる綿密な事業収支を周到に組み立てた上で決断した施設整備事業であろう。
今後の推移に少々関心を持つと共に、同施設を本拠地とする北海道日本ハムファイターズの試合結果が気になり今まで完全にスルーしていた朝刊のスポーツ欄をついつい開いてしまう今日この頃。
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2023.05.24:駅を旅する
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全国津々浦々を鉄道で巡りながら訪ねた駅及びその周囲の状況について書き綴った書籍。
平易でグイグイと惹き込む文体は、著者の種村直樹が訪ね歩いたそれぞれの場所の風景が容易に浮かんでくるような気分になる。
そして実際に訪ねてみたくもなってくる。
とはいえ、書籍の発行は1984年。
だから、それ以前の各地の様子について記述されている訳で、今訪ねても同じ様態を堪能することは叶わぬのだろう。
それでなくとも、風景は一期一会。
その時々の心情や価値観に呼応して立ち現れるものといった旨、中村良夫もその著「風景学・実践編」の中で述べている。
同じ風景を体験できるとは限らぬ。
著者の足元にも及ばぬが、私も学生だった頃に鉄路の旅を結構堪能していた。
といっても、私はいわゆる「乗り鉄」ではない。
鉄路の利用はあくまでも集落や建物を訪ね歩くための移動手段。
その頃は、「ワイド周遊券」なる有効期限が半月あまりに及ぶJRのフリー切符があり、長期休暇に入るとその切符とポケットサイズの時刻表を携えて貧乏旅行にいそしんでいた。
移動中の車窓から気になる風景が目に留まったら時刻表で後続列車の到着時刻を確認して最寄駅で途中下車、なんて気ままな旅を楽しんでいた。
今はなかなか難しいのかもしれぬ。
かつて利用した鉄路の廃止、若しくは運行本数の大幅な減少。
更にはワイド周遊券の様な期間が長く自由度の高いフリー切符の不在。
そして何より、自身の気力と体力。
あるいは再訪した際のあまりの変貌ぶりに落胆してしまうことへの恐れ・・・等々。
考えてみれば、ネットなど存在しない時代。
紙媒体を通じて下調べを行い、あとは出たとこ勝負で各地を巡っていた。
そんな不確定要素が旅の楽しいところであった訳だけれども、容易且つ瞬時に欲しい情報を入手可能な今となっては、そんな楽しみ方は大いに縮退しているのかもしれぬ。
しかし、それであるがゆえの別の楽しみ方もあろう。
まだ見ぬ国内の多彩な佇まいに出会うべく、少し考えてみようか。
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2023.05.16:メーカー住宅私考_173
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「住宅メーカーの住宅」の「不可解なモデル」の項に登録しているミサワホームGII型のページを13年ぶりに改訂した。
元々は、この「メーカー住宅私考」と称する不定期連載の第2回(2009年10月3日)をそのまま移設しレイアイウト調整を行ったものだった。
今回の改訂では、第128回(2020年10月14日)と第129回(同、11月3日)の内容に基づき加筆した。
これによって、何が不可解なのかという印象を述べるに留まっていた内容に、その要因と、そしてそのことを踏まえた当該モデルの位置づけについての推察を付け加えられたのではないかと思う。
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その改訂版の参照欄に、ミサワホームO型NEWの外観写真※1を引用している。
当該モデルの初代の画像※2を引用しても良かったのだが、GII型と同じ時期のバージョンということで三代目に当たるO型NEWの画像を用いた。
O型は、1976年9月に発表された初代以降、1979年3月にOII型、そして1980年3月にO型NEW、更に1982年9月21日にOIII型という様に数年ごとにバージョンアップが図られた。
仕様改訂が主で、従っていわゆるマイナーチェンジの扱いとなる。
だから暫定的な併売期間はあったとしても、基本は新型バージョンに移行する。
しかし往時の同社の商品体系に属するモデルがいずれも同様のマイナーチェンジによって推移した訳では無い。
中には、それぞれの系統の中で方向性を同じにしつつ、全く違う形態のモデルが発表された事例もある。
S型系列はその典型。
だから当時の総合カタログには、SII型とSIII型とS型NEWが併載されたものもある。
G型とGII型も、この関係に属そう。
あるいはM型系列は、MIII型とM型NEWが前者。
MIII型とM型2リビングが後者の関係と、一つのモデルに二種の改訂形態が併存する。
O型がマイナーチェンジのみによって推移したのは、初代モデルの完成度の高さに他ならぬ。
そして大ヒットモデルであったがゆえに、安易な改変や派生モデルの提示も憚られたのではないか。
結果、それぞれのバージョンの外観の相違は僅かなものに留まる。
その違いを容易に判別しその根拠を淀みなく諳んじられる方とは、是非ともそのことに関し議論を交わしたいものである。
O型とOII型の判別は比較的容易であるが、外観目視のみでのO型NEWとOIII型(の寄棟屋根仕様)の区別は結構難しい。
というのも公式資料でさえ、OIII型の外観画像としてO型NEWをそのまま流用しているからだ。
これは、内観仕様の調整が主だった改訂内容であることに起因する。
しかし外観目視での判別ポイントは幾つかある。
とはいってもそんなことは、日常生活に何の恩恵ももたらさぬ無駄な知識。
でもそんなどうでも良いことを密かに知っているというのは、それはそれで愉しいことなのだ・・・ということにさせて頂こう。
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何やら過去モデルの変遷の一部についてツラツラと書いてしまった。
しかし近年のハウスメーカーの商品体系について、私は全くをもって疎い。
例えば、ミサワホームのスマートスタイルなどは巷では「スマスタ」と親しみを込めて呼ばれているそうだが、そこに属するB型とかH型等を提示されても今ひとつ魅力が見い出せず、従って特徴や違いが良く判らぬ。
そんな偏向っぷりも、趣味の趣味たる所以。
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2023.05.08:図書館三昧_18 北海道立図書館
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※:
「図書館三昧」は、そのタイトルの末尾に通し番号をつける程の連載の体をもはや成していないが、惰性で付けることとする。
ちなみに前回は2020年12月14日に新庄市立図書館について記した。
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時折拝読するサイト「札幌ノスタルジック建築散歩」にアクセスして思わず仰け反った。
「建築年表公共編」のページに「北海道庁本庁車庫」についての詳述が追加されているではないか。
構造表現が特異な当該建物に関し、この日本の佇まいの建築探訪のページでも「北海道総務部総務課第一車庫公宅」という名称で取り上げている。
かつて札幌市内に在住していた頃、何気なく外観写真を二枚撮っていた。
撮影から数年後、建物は除却。
なので、当サイトへの登録にあたり改めての実見は叶わず。
せめて建物の来歴をと国会図書館に出向いて調べたが、私の力ではこれといった情報に辿り着くには至らなかった。
古い住宅地図に載る建物名称と所在地を確認するのがせいぜい。
そんな建物についての詳述。
驚かぬ訳にはいかぬ。
参考文献として「北方建築」という建築専門誌が紹介されている。
調べる人はちゃんと調べるものなのだなと感心しつつ、これは是非とも目を通してみたいと思い蔵書検索をかけてみると、北海道立図書館にて閲覧可能。
同図書館は暫く利用していない。
ということで、ゴールデンウィーク期間中の帰省時に訪ねて閲覧の機会を得ることと相成った。
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※1:
西側外観
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北海道立図書館は、大学や研究機関が連なる江別市内の絵に描いたような文教地区内に立地する。
建物自体も、これまた絵に描いたような北海道的風景が広がるのどかな緑地の中にゆったりと建つ。
敷地面積66863平米。
もともと酪農学園大学の農地の一部であったところを譲り受けて敷地にしたのだそうだ。
これだけ恵まれたロケーションを持つ図書館って、国内にそんなに多くは無かろう。
最寄駅であるJR大麻(おおあさ)駅から同図書館に向かう場合、敷地の北端からのアプローチとなる。
図書館自体は敷地の南端に配棟されているため、広大な緑地の中を暫し歩く。
プロムナードの雰囲気としては申し分ないが、利便性を鑑みれば、もう少し駅寄りにあればとも思う。
遠方から眺める建物の外観は、反り上がる分厚いコンクリート造の庇と壁面に張られたタイルや煉瓦が印象的。
設計は北海道建築部と北海道開発コンサルタント。
竣工は1967年2月1日(開館は同年4月1日)。
ボリュームを分節し、それぞれに異なるテクスチュアの外装材を与えて全体のバランスを整えている※1。
特に第一書庫の壁面に張られた煉瓦は、年月を経てなかなか味わい深い。
小振りな風除室から屋内に入ると、目の前に広がるロビーはかつては随分と暗い印象だった。
天井一面に施された群青色のひる石吹付け仕上げのせいだったと思うが、今回に訪ねた際にはすっかり改装され白を基調とした明るい雰囲気に一新されていた。
そして目的とする北方資料室も新設の別棟へと場所が変わっていた。
同図書館は全体的に屋外の恵まれたロケーションとの関係が希薄という印象だ。
建物そのものが、豊かな緑地が広がる敷地北側に対して背を向ける様にプランニングされている。
図書館という用途上仕方が無いのかも知れぬが、図書の保全にあまり関係の無いエリアには、もっと外部の豊かな眺望を積極的に取り入れる設えがあっても良いのではと思っていた。
広大な敷地の端に建物を配置し、それによって駅からアクセスした際に豊かな緑地の奥に在る施設という状況を演出しておきながら、その緑地との関わりを殆ど持たぬ。
その点は腑に落ちずにいたが、新館は状況を異にする。
豊かな天井高と外の眺望を十分に取り入れる巨大なガラスのカーテンウォールが全面に施されたゆったりとした居心地の良い空間。
その窓際の席に座り、「北方建築」のバックナンバーに目を通す。
至福のひと時であった。
館内に据え付けのリーフレットで確認してみると、北方資料室が入る棟は「北海道文書館」と名付けられた別の施設※2。
道立図書館と空中廊下で接続し、同図書館の北方資料室との複合施設として2020年に開館したのだそうだ。
その外観は今風でありながら、既存の道立図書館との関係性にも十分配慮されている。
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※2:
左手が道立図書館。右手が新設された北海道立文書館。
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2023.04.25:一級建築士矩子の設計思考 第二巻
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※1:
既刊第一巻については昨年3月13日にこの場で言及している。
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一級建築士の有資格者が描く建築漫画。
先週刊行された第二巻※1は、主人公の古川矩子が一級建築士の資格を取得するまでのネタが主題と予告にはあったけれど、通常の設計事務所業務のエピソードも載せられている。
第10話は一瞬「区分所有法は?」と突っ込みたくなるワンルームマンションのリフォーム事案。
その無邪気な構想に違和を覚えつつ読み進めると種明かしがあるが、ならば最初からその与件を提示して貰えた方が読み物として面白かったかもしれぬ。
ともあれ、共用部分に自由に手を付けられるがゆえの予想外の構想。
願わくば実際どの様に実施されるのか、続編を望みたいところ。
第11話も既築マンションが対象。
大規模修繕に纏わる諸問題が、孤独且つ偏屈な管理組合理事長の滑稽な言動と共に丁寧に描き出される。
そして課題に対し的確に即断即決する矩子の立ち居振る舞いは、読んでいてとても心地よい。
そして第16話は戸建て住宅ながら、既存建物。
第二巻の単話エピソードはストックに関わる内容が多い。
しかし良かれと思ってやっていることとはいえ、大家の長期不在時に了解も得ず(?)に耐震改修を施してしまうとはこれ如何に。
穏やかな信頼関係が成立していることは作中に描かれていはいるけれど・・・。
そして数話に跨る一級建築士資格取得エピソード。
一次及び二次試験の様子が、これでもかとリアル且つ子細に描かれる。
実際の二次試験の製図問題や矩子が描き上げた解答が見開きで載せられているのには驚いた。
読む側としては懐かしさと苦々しさが合い半ば。
本書のレビューがてら、自身の資格取得までの体験談を滔々と書き綴りたい衝動に駆られぬ訳でもない。
しかしそれは本書の内容と多くが被る。
それに遠い過去の話。
だから勝手に自主規制。
作中コラムによると、著者は私と同じ年に合格している。
何だか一方的な親近感が沸く。
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2023.04.18:集合住宅をバックヤードから考える
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※1:
片廊下型集合住宅の共用廊下の事例。
手前の左下に白色の空調室外機が床置きされている。
すぐ奥の床から天井までの鋼板製筐体は各住戸に供給される水道や電気等の配管配線及び給湯器が詰め込まれた設備シャフトの区画。
天井面の四角い窪みは屋上点検口。
その向こう側に白色の雨水横引き管が横断。
更に奥の右手に消火栓及びその竪管等々、日常共用動線上に様々なサービス要素が配されている状況が確認出来る。
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3月27日にこの場に書いた文章で触れた「ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市」を読んでみた。
ショッピングモールに関する対談を纏めた書籍。
その鮮烈な知のバトルは読んでいて何とも心地良く、そして目からウロコの連続でもある。
中でも、バックヤードの視点からショッピングモールを読み解く視点はとても新鮮であった。
どんな建物にも、その用途を支えるためのバックヤードが何らかの形で存する。
そのヤードをどの様に配置し、主用途との関係を構築するか。
設計に当たってとても重要な課題であることは特に言を要しない。
だから、バックヤードから建築を読み解くことは、ショッピングモールのみならず、あらゆる用途に適用可能だ。
では、例えば集合住宅の場合はどうなるか。
集合住宅にも様々な様態がある。
例えばタワー型であれば各フロアに設けたコア部分や地下ピット、そして屋上にそのスペースがあてがわれよう。
板状片廊下型の場合も地下ピットや屋上がそれに該当することはタワー型と同様。
但し、基準階には一般的にコアは無い。
ではどこがその代替になるかといえば、共用廊下※1やバルコニー。
といっても違和を持たれるかもしれない。
両者には各住戸の空調室外機が置かれることが一般的。
あるいは、双方とも法的には避難経路でもある。
更に、共用廊下には、各住戸への水道や電力等のライフライン供給ルートを収めたシャフトが鋼板等で区画されながら設置される。
各住戸に新聞や宅配便を届けるサービス動線にもなっている。
そういった事々を鑑みるならば、双方ともに立派なバックヤードと位置付けられよう。
加えて、開放廊下は各住戸へのアクセス動線でもある。
バックヤードと日常動線の重複という状況が、片廊下型住棟に住まう上での一抹の侘しさを醸す。
他の住戸の前に置かれた空調室外機の排気を浴び、そして無表情な鋼板で隠蔽された設備シャフトの前を通過しながら自住戸に至る。
あるいは自住戸の屋内から共用廊下を眺めた場合も同様。
躯体壁や窓一枚を介して不特定多数が往来する動線に直接面するがゆえに、サッシは殆ど開放されず、あるいはカーテンも閉めっぱなし。
更にはそのサッシの外部側には防犯用の格子が無機質に取り付く。
問題は、この様なバックヤードとしての共用廊下やバルコニーが建物の桁行方向の立面全体に配されることだ。
そこをどの様にデザインするか。
それが外観意匠、即ち不動産としての商品性付与の要となり得る。
多くの場合、それは双方の先端に転落防止用に設ける手摺のデザインや、あるいは飾り柱等を配置によって処理することとなる。
バックヤードを外観意匠の要とする、あるいは日常動線と混在する点において、片廊下型集合住宅は特異な形式と言えそうだ。
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2023.04.10:坂本龍一
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音楽家としての偉業については多言を要しまい。
最初に買ったアルバムは「B-2UNIT」。
中学一年の冬だったように記憶している。
試聴などという概念が無い時代。
かのYMOのメンバーが出したソロアルバムということで、その頃のYMOと同様のピコピコサウンドを期待。
更にはジャケットのデザインに惹かれて購入したが、一曲目の冒頭からいきなり面食らうことに。
何だこれは・・・と。
さほどに先鋭的な作品。
でも幾度か聴くうちにすっかりお気に入りとなった。
その突き抜けた前衛性は今も全く色褪せぬ。
その後遡ってファーストアルバム「千のナイフ」を購入。
「B-2UNIT」とあまりにもかけ離れた作風、そして収録曲自体も作品ごとに全く異なる趣向が凝らされており、これが同一人物の手によるものなのかと大いに戸惑った。
そしてライナーノーツとして御本人がしたためた文章の分裂っぷりにも随分と魅入られた。
細野晴臣の論評も併載されていたが、高校時代に提出を求められた修学旅行のレポートに両氏の文章を一部借用しながらひねくれた作文をしたためたのは遠い遠い昔の話。
どうせ担任が読むだけだろうと高を括って好き勝手に書き散らしたその文章は、なぜか全く校正の手が加えられぬまま生徒会誌に載せられ衆目に晒されると共に活字として残ることになってしまった。
閑話休題。
以降、リアルタイムに通しで聴いたのは、「左うでの夢」、そして「音楽図鑑」まで。
それから先は断片的にしか把握出来ていない。
でも、「Playing the Piano 2009 Japan」は随分と嵌まった。
収録されている「水の中のバガテル」が特にお気に入り。
かつてサントリーのCMに使用された曲。
躍動感と哀愁が同居したメロディが印象的であったが、それをソロピアノ向けのアレンジにて氏御自身が演奏。
たった10本の指で、どうしてここまで深く味わいのある音が組み立てられるのだろうと、惹き込まれる。
思わず十数年ぶりに押入れからヤマハ製のキーボードを引きずり出し、譜面を入手して練習したことは以前もこの場に書いた。
たどたどしくも漸く通しで弾けるようになって暫くすると、別のコンサートで更に異なる味わい深いアレンジが披露される。
その採譜もネット上で見つけて購入し再び練習。
そのアレンジでの演奏ができるようになると、再びもっと味わい深い演奏が披露される。
私は凡人なので、かように氏の仕事の極々一部を拙い模倣で追うのが精一杯。
氏の音楽は一体どこまで進化するのだろう。
どんな境地に至るのだろう。
一つの作品を巡る変容に、その様な想いを抱いたものだった。
だから、訃報はとっても残念で哀しいことである。
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2023.04.04:お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件
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※1:
5階建ての集合住宅。
各フロアの住戸数は3。
但し一階は屋内駐車場や設備関連諸室となっている様で、住戸は無し。
つまり、総戸数12戸。
その片廊下型板状住棟の一階に下屋が大きく張り出し共用エントランスの用途に充てられている。
第5話では、十分な引きを確保したエントランスポーチの描写。
その前面にゆったりとした回転軌跡を伴う乱形石張り舗装の車寄せ。
土地利用的にも、あるいはレンタブル比の観点からも、賃貸不動産事業的には随分贅沢な計画。
皺寄せは賃料に及ぶ訳で、住戸の広さと相まって、その額は相当なものとなりそうだ。
※2:
主人公の家は最上階の端部住戸。
屋内に入ると、玄関扉を背に正面に伸びる廊下の左手に扉が二箇所。
右手も一箇所。
右手は本文でも指摘した納戸部屋。
左手に並ぶ扉は、一つがトイレ、もう一つが洗面室と推定されよう。
廊下突き当りの親子扉の向こう側はLDK。
ペニンシュラキッチンにはグースネックの水栓が付き、背面にはキッチンセットと同じデザインのカップボード。
LDKのバルコニー側サッシは、床から天井までの二枚引き違いの二連窓に更に固定窓が連続。
リビング内のソファや食卓のレイアウトと共に、部屋の広さを見せつけてくれる。
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1月から3月にかけて放映された、なろう系小説由来のTVアニメ。
感想を一言で述べるなら、「全くをもってケシカラン作品」ということになる。
いや、それは何も、視聴者に毎回見せつけてくれる血糖値が許容範囲を一気に突き抜けてしまいそうな主人公とヒロインの無自覚で甘々なリア充っぷりのことを言っているのではない。
そもそも、その様な原作なのだから。
全12回、最初から最後まで視てしまった自分自身がケシカラン、ということである。
もっとも、その激甘っぷりに終盤は殆ど早送りでの録画視聴となったが・・・。
それでも曲がりなりとも視続けてしまった理由を以下に二つ書いてみる。
一つは、主人公の藤宮周が独り暮らしをする家※1の描写。
実在する集合住宅をモデルにしている様なリアルさ。
あるいは架空であるならば、相当造り込んだ設定がなされたと受け止めるに十分な描かれ方だ。
細かく検証すればシーンごとの齟齬やおかしな納まりが散見されなくもない。
しかし、建物の描写が概ねしっかりしている作品は、詳細を確認しプランを特定すべく視聴し続けたくなってしまうものだ。
初回から関心を持った建物描写につられ、それまで知る由も無かった原作小説の冒頭を「小説家になろう」で読んでみる。
間取りについての具体的な記述は無いが、その型式として1SLDKとの表記。
2LDKではなく敢えて1SLDKとする言及に、更に関心が深まってしまう。
実際、アニメの描写においても玄関を入ってすぐ右手の部屋が、各シーンを検証すると二面が外皮であるにも関わらず何故か無窓居室。
即ち「S」表示の部屋としてちゃんと描かれている。
バルコニー側に面する広々としたリビングダイニングキッチンと、そこに並列する主人公の寝室と併せ、原作の表記通り1SLDKの間取り型式の住戸が各話各シーン破綻なくしっかりと表現されている※2。
あるいはエレベータの描写。
一階共用エントランス内観と基準階共用廊下、そしてエレベーターシャフトの位置関係に関わる第3話の描写から察するに、二方向出入口仕様でないとプラン上の整合が得られぬ。
途中回まではカゴ内にその様な描き込みは無かったし、そもそも描かれる訳が無いよなと高を括っていたら、何故か7話で突然描写され驚いた。
そこまでちゃんと描かれるのは、やはり実在する物件が参照されたためなのか。
気になる。
ともあれ、親元を離れ独り暮らしをする高校生の主人公が、当該作品で描かれている様な広々とした住まいを与えられるなんて、相当恵まれたことであろう。
その点は、ケシカラン。
更には、同じ高校に通う同学年のヒロイン椎名真昼が偶然隣りの住戸を同じく親元を離れて独りで借りていて、しかもその上・・・、否、これ以上はネタバレになるから書かぬ。
全くをもって、ケシクリカラン。
もう一つの理由は、主人公の数少ない友人である赤澤樹の彼女、白河千歳の存在。
藤宮周も椎名真昼もどちらかというと大人しい人物設定ゆえに、彼女の底抜けの明るさが作品の中で何やら際立つ。
気になって声優さんを確認してみたら、かの「月がきれい」で滝沢葵役を担当された方。
そちらの作品ではストイックな陸上部女子を演じていたが、こちらでは全くの別人。
彼氏とのバカップルぶり全開である。
そんな役作りにプロの凄みを感じ、ついつい視続けることになってしまった。
そして最終回では、白河千歳が中学時代は陸部に所属していたことも明かされる。
案外、恋愛に興味がなく男嫌いという設定だった滝沢葵も、高校に進学した途端・・・などと陸上部つながりで訳の分からぬ妄想を展開してしまう私は、「お隣の天使様にいつの間にか駄目人間にされていた件」にいつの間にか駄目人間にされていた件を自省せねばならぬ、ということになろうか。
やはり甚だ(自分が)ケシカラン。
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