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2021.12.24:八幡宿逍遥
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仕事で時折不二サッシの千葉工場にお邪魔する。
その際は、最寄り駅であるJR八幡宿駅でメーカーの担当者の方々と待ち合わせを行う。
駅から工場までは徒歩20分余。
大した距離ではない。
だから待ち合わせなどせず一人で歩いて現地に向かっても何の問題も無い。
それに、勝手知ったる何とやら。
広大な構内に多数並ぶ何れの建物に向かえば良いのかも、その経路も判っている。
けれども工場のセキュリティは高レベル。
部外者が単身ひょっこりお邪魔しても迷惑を掛けてしまう。
ということでいつもメーカーの方とタクシーに同乗してアクセスするのだけれども、その途上、毎回車窓から気になる建物を眺めていた。
最近、一日がかりの実験立ち合いで同工場の研究施設にお邪魔することとなった。
新型コロナ禍の影響で、訪ねるのは久々※1。
これは良い機会と、早朝に設定された待ち合わせ時間の更に二時間前に現地入り。
気になっていた建物の外観を愛でつつ、周囲を適当に散策することにした。
駅到着後、目的の建物に向かおうとするが、その途上にも気になる建物が散在する。
例えば画像1※2。
建物中央に微細な曲率を伴う円形凸型の巨大なステンレス鏡面仕上げの外装が取付く。
よくこれだけの大きさの鏡面仕上げが作れたものだなと感心する。
道路に面したそのファサードは、この外装を中心にシンメトリカルに構成されている。
その一階部分は写真撮影スタジオ。
ということは鏡面仕上げの外装はカメラのレンズを意識したもので、この建物全体が自社ビルなのか。
車で通り過ぎていたのでは気づかなかったことが徒歩の視線によって確認される愉しさ。
ちなみに、向かって左手に隣接する画像2の建物※3もシンメトリカルなファサード構成。
同じ手法ながら、その佇まいは全く異なる。
建物名称を確認してみると、どうやら両者ともオーナーが同一の建物の様だ。
その建設経緯が気になる。
こうして道草をしながら、目的建物へ向かう。
いつも目に留まっていた外観は建物の裏手側。
その様体は、逆光で視認しにくいが画像3,4の通り。
画像3
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画像4
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各層独立して帯状に積層するオーバーハング。
そこに等間隔に穿たれたポツ窓。
左手には、廻り階段の内在を示唆する外形の塔状ボリューム。
そして右手に視点を移動すると、他棟に接続する屋外渡り廊下の途上に三角平面の踊場。
いずれも、その様な形に拠らなくても内観や機能は十分に成立する筈。
形態操作への強い意志が感じられる組み立ての外観だ。
建物名称は、市原看護専門学校。
敷地外から視認可能な範囲で眺めてみると、どうやら中庭を囲う配棟形式の様だ。
内観を観てみたい気にさせられる。
集合時刻までの残りの時間は、あてもない散策に充てる。
勝手気ままに歩を進める先々で、光十字が印象的な千葉バプテスト教会や、80年代のハウスメーカーの建築事例等に出会う。
それらを堪能するうちに、工場の正門直近まで辿り着いてしまった。
しかし冒頭で述べた理由により、「何だか無駄なことをしているな」と思いつつ駅まで急ぎ引き返すことに。
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2021.12.17:異世界居酒屋「のぶ」第13巻
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ウェブ小説のコミカライズである同作品については、この場で何度も言及しているつもりでいた。
しかし単行本の感想を書くのはちょうど二年ぶりとなる。
しかも前回書いたのは第9巻。
その後、半年おきのペースで新刊が出されているが、特にこの場に何か書いてみたいという気も起きず推移。
否、11巻はツッコミどころが多くて、浮かんだ疑問について文章を書き掛けてはいたのだが、掲載するほどには纏まらなかった。
でもって、10月に発刊された13巻である。
当該巻は、「のぶ」が繋がった異世界「アイテーリア」の都市の俯瞰描写が所どころに登場する。
初巻の冒頭でも見開きのカラーで大きく描かれた。
13巻では、それがより細密に描かれている。
これは、同作品がアニメ化される際、その制作会社サンライズによって都市の全体像が細かく設定されたことに拠るものだろうか。
あるいは、同じ原作者によるスピンアウトの漫画作品「異世界居酒屋「げん」」の作画者が、その舞台となる「ラ・パリシィア」の街並みや建物内外観について、ディテールを含めきめ細かに描写していることへの良い意味での対抗意識の表れか。
ともあれ、水の利を活かし形成された中世ヨーロッパの城塞都市を想わせる街並みの描写はなかなかに興味深い。
少し腑に落ちぬのが、所収のエピソードの中に登場する「四翼の獅子」亭の外観。
既刊の第11巻において帝都の王族も宿泊した由緒正しいアイテーリアの老舗料亭宿である。
その割には随分とカジュアルな佇まい。
こんなことで王族の宿泊に供する上でのセキュリティ面は問題無かったのだろうか。
実際、現皇帝が宿泊した際も、同行した高官たちの目を盗んで皇帝本人が容易く逃避行を実行出来てしまった訳ではあるが・・・。
原作の小説を読んだ際には、ルスティカ調の石積みも仰々しい堅牢で豪壮な建物をイメージした。
せめて接地階やエントランス廻りくらいは、もう少し重厚な構えであるべきなのでは、などと勝手なことを思う。
納得出来なかったことをもう一点。
「のぶ」の看板娘、千家しのぶが第80話で見習いの料理人ハンスをたしなめた際の表情。
原作を読んだ時に私が思い浮かべた顔は、こんなイジワルを前面に押し出した様なものではなかったな。
もっと毅然とした表情(読んでいない人には勿論お判り頂けないけれど、例えば136ページの3コマ目の様な・・・)をイメージしていましたかね。
そんな例外は一部あるものの、当該コミカライズを購読し続ける理由は、既に目を通した原作が如何にして漫画として描写されるのかという興味にある。
そしてその描かれ方は、概ね納得するか、あるいは驚かされるものである。
と同時に、基本一話完結の形式を採りながら、伏線を様々張めぐしながら以降のエピソードに繋げられつつ話が展開すること。
それらがどのように漫画という形式の中で表現されるのかという関心と共に、今しばらくは読み続けることとなるのだろう。
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2021.12.09:帝国ホテル
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フランク・ロイド・ライトの名前を知ったのはいつの頃か。
定かではないけれど、中学の美術の教科書に帝国ホテルの外観写真が載せられていて、そこでこの建築家の名前を認識した様な気もする。
因みにその教科書の同じページには、ガウディのサグラダ・ファミリアと丹下健三の香川県庁舎も併載されていた。
今想えばよく判らぬ取り合わせ。
掲載されていた帝国ホテルの画像がオリジナルのものか、それとも明治村に部分移築されたものかは忘却の彼方。
しかし、その印象は古めかしいとか厳めしいといった程度で、特に心に響くことは無かった。
因みに心に響いた初めての建築がミサワホームO型であったことはこの場に幾度も書いている。
小学生の頃に吹抜けを介して二階から俯瞰した玄関ホールの映像をTVCMで視たことが、自身の今に繋がっている。
東京で暮らすようになって通りすがりに見上げた帝国ホテルは、ライト作の旧建物を除却し建て替えられて久しい新本館。
特にこれといって関心は持てず。
事業拡大のためにライトの名作を取り壊す犠牲を払うだけの価値のある建て替えだったのかといった程度にしか思えなかったけれど、さりとて否定的に捉える気も起きず。
その背後に更に巨大に屹立するインペリアルタワー棟の存在に、都市の苛烈な現実を思い知らされたといったところ。
しかしその後、容積移転による歴史的建造物の保全という再開発手法が用いられるようになると、好き勝手な妄想が浮かんでくる。
つまり、二代目のライトの建物を復元し、余った容積を活かして背後にインペリアルタワーを遥かに凌ぐ超高層棟を並置する再開発の可能性。
好き勝手な妄想でしかなかったけれど、近傍で三菱一号館の復元と超高層事務所棟の建設が実現するに至り、あながち荒唐無稽な妄想ではないかもネと漠然とした淡い期待を持つに至った。
最近、その帝国ホテルが「内幸町一丁目街区開発計画」の一環で周辺一帯と共に大規模に再開発される旨、公表された。
そこには、淡い妄想とは全く異なる石張りの彫深い外観を持つクラシカルな印象を持つ四代目の高層建物の姿。
日比谷公園側のファサードこそ雁行やセットバックを伴う変化に富んだボリュームを持つけれど、側面は単調な形態。
加えて、周囲に高密度に建ち上がる平滑なガラスのカーテンウォールに包まれた複数の事務所棟の中で、明らかに浮いた存在。
それは、道路を挟んで向かい側の日比谷公園内に建つ市政会館との関係性の構築を狙ったものなのか。
あるいは北隣に位置する村野藤吾の傑作、日本生命日比谷ビルへの敬意を表したものなのか。
はたまた、ライト作のクラシカルな趣きの継承を意図したものなのか。
現状の完成予想パースからは測りかねぬ。
どうせなら、そういった周囲や過去との関係性を断ち、再開発区域内の他のタワー棟と同じくツルピカなガラス張りのタワーにする選択もあり得たのだろう。
当該再開発事業の完了予定は15年後の2036年。
恐らくその頃、私は東京にはいない。
仕事から退きどこかで隠遁生活を送っているか、あるいは既に生存していないかもしれぬ。
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2021.12.02:食とSDGs
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最近、知人が「コオロギスナック」というお菓子を購入した旨、とあるSNSに画像と共に挙げていた。
その袋の表示には“米菓”とあるから、コオロギ主体のお菓子ではないのだろう。
但し、原材料の表示にはその名前があるから、何らかの形で使用されている。
取り敢えずは、その姿や味が意識されるような類のお菓子ではないということの様だ。
更にその包装には、「弊社は昆虫食でSDGsを推進します」といった旨の能書きが書かれている。
世の中何でもSDGsだな・・・などと思いつつ、しかしあらゆる事業活動において、この開発目標とは無縁ではいられぬ状況が確実に進行している。
そんなこともあって、最近業務絡みでSDGsに関する通信教育を受けることとなった。
届いた教材は分厚いテキスト一冊と提出課題のレポート二本。
テキストを読む前に課題の方を確認してみたら、何だか適当なことが書けそう。
なのでテキストには目をくれず、普段の業務内容に環境配慮をこじつけた文章を書きなぐって提出したら高得点の返信が届いて受講終了。
拍子抜けであった。
SDGs自体の趣旨や志向は崇高なものなのであろう。
しかしこんなこともあって、その実態についてはどこか斜に構えて見てしまうところ、無きにしも非ず。
昆虫食というと、かつて「ザ・シェフ」という漫画作品の中で取り上げられたことを思い出す。
トラブルで無人島に緊急着陸した旅客機に搭乗していた主人公が、島に生息する昆虫を調理して同乗者たちの飢えをしのぐエピソードだった。
もう三十年以上前の作品になるが、そこで初めて昆虫は栄養バランスと味の面で理想的な食材であるということを知った。
しかも、生食が美味らしい。
だからといって食指が動きはしなかったが、しかし最近になって冒頭のお菓子の存在を知り、ふと思い出してしまった。
ネットで恐る恐る検索をかけてみると、様々な虫の味や食感や栄養価について子細に紹介するページが続々とヒットする。
それらに目を通してもそそられることは無いのだけれども、しかし「食習慣」とはよく言ったもので、つまりは習慣の問題である。
例えば、カニとかエビなどは一般的に好まれる食材だけれども、よくよく考えてみれば巨大な昆虫みたいな格好ではないか。
あるいは私は焼き魚が大好きだけれども、それだって食す様子は解剖さながら。
つまり、食事という行為には常にグロテスクな側面が付き纏う。
しかしそれをグロテスクと感得するか否かは、それこそ習慣の問題。
例えば外因でリモートワークが瞬時に一般化したのと同様、昆虫食についても好む好まないの問題ではなく食材として一般化する、あるいはせざるを得ぬ時代が案外一気に訪れるのかもしれぬ。
といいつつ、まだ件のスナックを探して購入してみようという気にはなかなかなれぬ。
SDGsへの取り組みをアピールするために昆虫色が目的化し、そのために主原料でもないコオロギを添加する行為が却って採取・調達から製造に至る各過程における環境負荷増大に繋がってはいまいか。
ひねくれ者の私はそんなことが気に掛かってしまう。
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2021.11.23:メーカー住宅私考_158
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ミサワホームが営業を開始したのは1962年。
創業者、三沢千代治の母校である日大工学部で同年10月28日から開催された学祭に広さ20平米のモデルハウスを出展。
更に11月3日に後楽園で開催された産経新聞主催の第六回建築祭にも出展。
そのかいあって同じ月に初めての営業契約をとり、日野市内に58平米の第一号物件が建った。
以降、なかなか契約は取れず。
翌年4月、新宿駅南口の甲州街道沿いにモデルハウスを設営。
暫くして、ゴルフ場帰りの数名が通りすがりに訪問し、その場で山中湖畔に位置する別荘地での数件の契約がまとまる。
更にその顧客らの紹介で、同別荘地にて一挙に二十件近くの受注を獲得することとなったが、それだけの現場を同時にこなす体制は当時の同社は持ち合わせず。
大幅な工程遅延と赤字を出しながら工事が進められたという。
創業したての小さな会社にありがちなそんなエピソードが、同社を扱ったルポルタージュ等の著書にて語られている。
以下の画像は、同社の初期施工事例。
1964年4月発行の雑誌に掲載された記事からの引用になる。
面積20坪で工費は140万円。
立地は山中湖。
木立に囲まれた傾斜地に佇むそのその外観は、いかにも別荘といった雰囲気。
これらの条件を鑑みると、上に書いた大量受注分の一つである可能性は高い。
フラットに近い緩勾配の屋根を載せた平屋建てのボリュームに急勾配の三角屋根が直交方向に貫入する動的な造形。
三角屋根のボリュームは小屋裏を有し、平屋建て部分の屋根に載せたバルコニーへのアクセスに供するペントハウスとなっている様だ。
屋内は、一部に船底天井を採用し、空間の間仕切りに錆竹を用いた竪ルーバーをあしらう等、同時期の他社事例には見られぬインテリアが見て取れる。
この船底天井は、60年代の同社の和室に好んで用いられている。
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外観
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内観
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同じ時期の同社の広告に、当該事例を用いたものがある。
未だ実績が僅かなものに留まる中で、造形性の面で他社との差別化をアピール可能な数少ない好事例として扱われたのであろう。
その広告には、社名と共に「建設大臣認定」の文字が大きく掲げられている。
三沢千代治が長期療養の病床にて木質パネル接着工法という前例のない建設方法を着想したのが1959年の春先。
事業展開のために必要であった旧38条認定を取得したのは1962年8月。
母校の研究室に各種技術検証を依頼してから一年を費やしての取得であった。
この業界初のお墨付きも、強力なアピール材料であったのだろう。
広告に載る本社の住所は、「新宿区番衆町1 ローヤルマンション1階」。
確認してみると、同地に当該マンションは現存する。
更に幾つかの支店名も併記されているが、いずれも三沢千代治の親が経営する三沢木材の支店ないしは関係先の様だ。
大臣認定と支店展開の表記。
創業間もない会社が、それでも確かな技術と強固な企業力を備えていることを精一杯アピールする紙面。
社史や企業ルポルタージュだけではない。
企業の歴史は、雑誌の中の小さな広告からも様々な情報が読み取れる。
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2021.11.18:メーカー住宅私考_157
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※1:
パナホーム・ソーブル外観
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1983年4月にナショナル住宅産業(当時)から発売された「パナホーム・ソーブル」については、このシリーズの第153回(2021年9月29日)で少し触れた。
しかしキッチン廻りの言及に留まっていたので、他のことも。
L型の平面形態を成し、それに合わせて袴腰屋根を矩折に載せることで、総二階建てでありながら単調さを回避。
更にコーナー出窓やフラワーボックス等を配し、外観を整えている※1。
当時の広告にはジョージアン様式を取り入れた旨の説明書きがある。
しかしその様式との関連性は私には良く判らぬ。
このことは、他社を含めた当時の多くの商品化住宅に往々にして見受けられた。
「何々風」と謳いながらその片鱗をどこに見い出すか悩んでしまう事例には事欠かぬ。
但し、商品企画を進めるうえで何らかの様式を曲りなりとも指向することが、意匠に大きな影響を及ぼす。
例えば、上述の外観構成要素は当該シリーズの第152回(2021年9月23日)で触れたクボタハウスの「GXシリーズ・フレクセル」と多くが一致する。
しかし各々全く異なる雰囲気に仕上がっている。
プランは自由設計が基本。
但し推奨プランも20種程度用意されていた。
引用した外観画像※1のプランは以下。
SS134-3-Sという型式が付けられている。
一階平面図
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二階平面図
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諸室を往来する主要動線と干渉しないように家事動線が設定された水廻りとキッチンの配置。
そのキッチンは、奥行が一間半とやや間延びしている。
そのことを逆手に取って、第153回で言及した水屋内蔵スライドテーブル※2が装備されたのかもしれぬ。
浴室には台目畳一枚分程度の坪庭が付く。
この坪庭と浴室の組合せを成立させるために浴室を外壁から半間分突出させる操作は、他の推奨プランにも共通する処置だ。
そのほかにも、独立性の高い一階の和室。
そして二階にも多目的室としての和室を用意。
それ以外の個室はプライバシーの確保に十分配慮されている等、順当な構成が見て取れる。
確認できた推奨プランはいずれもL型を成す。
従って、矩折に屋根を載せる外観の特徴がどのプランにおいても表現されたのであろう。
同年9月、ソーブルに引き続き「パナホーム・ウィンスロー」と名付けられたモデルが同社から発表されている。
代表プランはソーブルのSS134-3-Sとほぼ一緒。
その外観はフランク・ロイド・ライト設計のウィリアム・H・ウィンズロー邸をイメージしたものだという説明がある。
確かに、水平ラインを強調したモールディングや、タイルと塗装を層状に使い分けた外観は、ライトを意識したと説明されれば何とはなしにそれ風と受け止められなくもないかもしれぬ。
しかしそれは、ソーブルがジョージアン様式を謳うことと同じ程度。
そこに、往時の商品化住宅の哀しさがある。
但しそれでも、ライト風を実現するために外壁タイル張りの新工法が開発されているところ(経緯は逆かもしれぬが・・・)に、商品企画と一体の技術検証プロセスが窺える。
私の居住地近傍に、竣工時の様態が丁寧に維持されたウィンスローが一件建っている。
ライト風であるか否かはともかく、左に引用した販売資料掲載画像※3よりも雰囲気は良い。
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2021.11.10:ユニット別荘
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「住宅メーカーの住宅」に登録している「ユニット別荘四題」のページを差し替えた。
約11年ぶりの改訂となる。
2000年代前半、長いブランクを経てメーカー住宅に対する興味が復活。
といっても、その対象がかつて関心を寄せていた昭和50年代に偏向していることはこの場に何度も書いているし、近年の動向に殆ど興味が湧かぬ傾向は今も変わらぬ。
但し、改めて往時のことを色々と調べる中で、興味の対象が昭和40年代、更には30年代へと遡り始めたのが2010年代前後。
そんな時期に、別荘としてのユニット住宅の存在を知り、ページを作成するに至ったという経緯。
しかし改めて読み直してみると、色々と手を加えたくなってくる。
試しに、と手を入れ始めたら止まらなくなり、結局全面改訂と相成った。
単純に文字数は改訂前の2.5倍程度に膨らんだけれども、内容もそれだけ充実したか否かは何ともおぼつかぬ。
ユニットタイプの別荘で実際に建設事例を観たのは、当該ページでも触れている利昌工業の「フローラ」になることは、この場にも以前書いた。
甲子園球場に近接し、串かつ屋として活用されている旨の情報を得て関西出張時に立ち寄ったのは6年前。
何やら阪神タイガースを連想させるカラーリングが外表に施されていたものの、そのユニークなシルエットの魅力はいささかも減じてはいなかった。
改めてGoogleストリートビューで確認してみたところ、残念ながら更地と化している。
昭和40年代の別荘ブーム時、各地に盛んに建てられたユニット別荘は、今現在どうなっているのだろう。
かつて訪ねたフローラの滅失を受けて、そんなことが急に気になり出して来た。
しかし、当時建てられたそれらの多くは、やや乱開発の感もあった往時の別荘地を立地とする。
それらの造成地の中には山林へと還元されつつある様態を呈している事例も多く、訪ねるには冒険の覚悟を要する場合もありそうだ。
そうして訪ねたとして、果たしてどの程度旧態を留めていることか。
しかし、もしも概ね良好に保全されている事例があるならば、入手のうえ改修して独り静かに隠遁生活を送ってみたい。
そんな淡い憧れを抱くところも全く無い訳では無い。
勿論そのためには、極小空間を難なく住みこなすだけの徹底した身の回りの整理整頓も必要にはなってくるのだが。
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2021.11.02:メーカー住宅私考_156
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※1:
1970年台のライフスタイルの先導的モデルとなる住居を、低廉且つ大量に供給可能とする生産システムの提案を募ったもの。
旧通産・建設両省及び日本建築センター共催で1970年に実施。
68社から95件の案が提出され、戸建住宅7件、共同住宅10件を採択。
採択案は1972年に国内4箇所で試施工が行われ、検証後分譲された。
※2:
試施工中の永大パイロットハウス。
木造トラスによって構成される層間全面をチャンバーとする全館空調が提案された。
勿論、そのためだけの架構ではない。
上下階のプラン設定の自由度の強化やオーバーハングを基本とする住棟ボリュームの実現も目的とした。
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LIXIL住宅研究所が掲題のモデルに寒冷地仕様を加え、10月23日より全国に販売エリアを拡大した旨のニュースリリースに目が留まる。
その安直なネーミングが気に掛かり、概要を確認することとなった。
基本プランとして、総二階タイプ二種と下屋付きタイプ二種の計四種が設定されている。
公式サイトに載る下屋付きタイプの平面図を見た際の第一印象は、「窓が少ないな」であった。
一階は、21帖のLDKに一間幅の引違い掃出しサッシが一箇所、4.5帖の和室に小さな開き窓が一箇所あるのみ。
それ以外、玄関扉のほかは外部建具は一切無し。
玄関ホールや浴室等のサニタリー部分にも全く穿たれていない。
二階も似たようなもの。
これは、徹底した外皮の断熱性能強化を目的としたものだろうか。
結果、Ua値は0.23W/m2K。
建築物省エネ法における5地域以南の基準値0.87と比較するならば、なるほどこれは優れた性能値だ。
しかしそのために、恐らくは法的に必要な採光面積ギリギリまで開口を絞って外部環境と隔絶する措置が果たして日本の住まいの在り方として妥当なものなのだろうか。
まさか、その閉鎖性が"凄い"という訳でもあるまい。
省エネについて、導入する空調方式も一次エネルギー消費量の低減が図られている。
その一つが「全館ダクトレス空調システム」。
一階の天井と二階の床に挟まれた空間をチャンバーとし、一台の機器で屋内全てに空調を行き渡らせる方式。
層間をチャンバーに用いる手法というと、1970年に実施されたパイロットハウス技術考案競技※1で採択された永大産業の永大パイロットハウスを想起する。
そこでも、層間に組んだ木造トラスをチャンバーとする同様の空調方式が提案されていた※2。
さて、それでもって当該モデルのネーミングである。
一体何が凄いのかというと、ニュースリリースには以下の説明がある。
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「全館ダクトレス空調システム」「高気密・高断熱」「24 時間熱交換換気システム」「省エネ・レジリエンス」「感染症防止対策」「家族の健康・安全対策」など、これからの住宅に必要な機能をもれなく搭載し、さらにお求めやすく提供する・・・
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なるほど確かに高性能の住宅ではある様だ。
しかし果たして、いわゆるオールインワンであることが「すごい家」足り得るのだろうか。
各項目に列挙される提案内容に特に目新しさはない。
かのミサワホームO型の開発着手時、創業者の三沢千代治は以下の様に述べたと、内橋克人著の「続々続々匠の時代」に記述されている。
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少なくとも、新製品と呼ぶにふさわしいものをつくろうというなら、十ヵ所以上、あたらしいところがなければダメですよ。
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そうして、1970年代後半以降の住宅市場を席巻する空前絶後の大ヒットモデルが誕生。
そこには、十を遥かに凌ぐそれまでに無い先進の発想や技術がぎっしりと搭載された。
商品化住宅という括りにおいて、「すごい家」とはそんな住まいのことを指すのではないか。
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2021.10.28:異世界居酒屋「げん」第7巻
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8月18日にこの場に当該作品の感想を書いた。
「異世界居酒屋「のぶ」」の公式スピンアウト作品と銘打つこのコミックの既刊がいつも利用するコンビニの書籍コーナーでたまたま目に留まり、全巻衝動買い。
異世界グルメものという共通項を持ち、そして同じ原作者の手によりながらも、「のぶ」とは雰囲気を大いに異にするその内容をそれなりに堪能した。
前回この場に書いたのは、物語そのものの感想というよりも、舞台として設定されている居酒屋「げん」の店舗併設住宅の外観に関する軽い考察であった。
そして文章の末尾を、続刊も購読することとなるのだろうなと締めたが、その通りになってしまった。
先月発刊された第7巻も物語の骨格は基本的に変わらぬ。
「のぶ」と同じ中世ヨーロッパ風の異世界に、見えざる力によって店舗の玄関が繋がってしまう。
しかし接続した先が「のぶ」とは異なる都市なので、作品が醸す雰囲気は全く違ったものとなっている。
凡そ「のぶ」には登場しないであろうその都市ならではの職種に就く面々が次々と「げん」に来店する。
そしてその職種に纏わる様々な事情と店で供される料理の内容が軽く交錯しながらストーリーが穏やかに展開する。
案外、素材としては「のぶ」よりも多様性に富んでいる面があるのかもしれぬ。
更にはスピンアウトということで、原作者も本作とは異なりのびのびと物語を紡いでいる感もある。
また、作画者のプロフィールを調べてみると、「フリルに異常な執着を見せる」とある。
なるほど、確かに登場人物の衣装の描写が繊細で華やかだ。
初巻から読み進めていて気になる登場人物というと、「げん」の店主、葦村草平が挙げられる。
還暦間際のこの寡黙な店主の渋みのある立ち居振る舞いが、物語に安定感と落ち着きを与えている。
海外で手広く事業を展開する妻とはほぼ別居状態にありながら、そのことを特に気にする風でもない。
しかし駆け落ち婚という経緯を持つなど、色々と謎を秘めた人物。
これからその過去が徐々に語られることとなるのだろうか。
そしてもう一人。
準レギュラーの如く登場する、王宮に仕える男装(しているつもり)の女性騎士、カミーユ・ヴェルダン。
ギルドマスターや有識者で組織される参事会によって独立自治が営まれる街に繋がる「のぶ」には、こういったキャラクターは出てこないのだろうな。
第一巻で初登場した際にはビールの苦さに涙目となっていた彼女も、最新刊では豪快な飲みっぷりを見せてくれる。
各巻通して、なかなかに憎めない存在だ。
建築探訪を目的とした気侭な遠出も未だ様子見が求められる昨今。
暫くは、こうした書籍を読み漁りながら気を紛らわす日々が続くことになるのだろう。
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2021.10.20:メーカー住宅私考_155
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第154回の続き。
「くらしのリフォーム館」を見学したのち、豊かな枝ぶりの欅がゆったりと点在する芝生広場を囲う様に建ち並ぶ豪華絢爛な他のモデルハウスも巡る。
例えば、同社のフラッグシップモデルに位置づけられている「グラヴィスステージ」。
中に入ると、6帖の玄関土間に4.5帖のホール。
更にその奥に三枚引き違いの竪格子戸を介して吹抜けを持つ6帖の階段ホールへと視線が抜ける。
加えて土間の脇にシューズインクロークも設えられている。
これらを合わせると約20帖強の広さ。
「まぁ、そもそも延床面積が90坪弱のモデルだしな」などと思いつつ、玄関土間からそのまま土縁を介して繋がる和室は、何やら割烹居酒屋の個室といった趣き。
見栄えを良くしたいといっても、住まいとしての設えってものがあるのではないか、と思う。
ということで、口には出さないけれども内観の所々に好き勝手にツッコミを入れつつ、しかしリビングルームは圧巻であった。
そこには、6帖とか8帖といった、日本の住まいにおける慣例的な室のモジュールを超えた豊かさが備わっている。
その大空間を木造軸組み工法で実現する技術は凄いと思う。
深く張り出す軒下空間を介して屋内外を流れる様に繋げる仕立ては、寝殿造りの如し。
「やはり日本の住まいは壁式ではなく軸組だよな」とか、「日本の気候風土に深い庇は必須だよな」などと思う。
屋内とフラットに連続する軒下のテラスに佇むとき、人は「この世をば・・・」の感慨にちょっぴり浸れることだろう。
その後、隣接する「イズ・ロイエ」というモデル内の奇妙な造りの茶室で、私を誘ってくれた知人と同社担当との間で急遽リフォームに係る設備仕様の打合せが始まった。
その間も、モデル内は別の社員が来訪者を案内している。
そんな状況に接して、モデルハウスの豪壮化はやむを得ない面もあるのだと、ある程度理解する。
三密回避のため、いずれのモデルも入場者数を制限していた。
しかしそれでも、複数の顧客をスムーズに案内し、並行して軽い打合せにも応対するためにはそれなりの広さが必要となる。
例えば、玄関土間は来訪者の靴が多々並ぶことを鑑みて計画せねばならぬ。
あるいは平面プランの策定も、現実的な諸室配置よりも来訪者の動線や視覚的な効果を優先する必要があろう。
しかしそれでもなお、斜に構える自分がいる。
豪華な設えを存分に堪能した来訪者たちの大半は、その後予算や敷地条件や家族構成や自分たちのライフスタイルといった現実とのギャップに否が応でも対峙することとなる。
誰もがグラヴィスステージの古河モデルと同等の家を建てられる訳ではない。
そんな中で、例えば「せめてグラヴィスステージのあの階段ホールだけは何としてでも自分たちの家に取り入れたい。そこだけは絶対に拘りたいし外せない。」といった無理な注文を出してくる顧客が出てきたりはしないのだろうか。
「いえ、お客様、今回ご用意出来る階段部分の面積では少々ご無理が・・・」
と説明しても、豪邸が建ち並ぶ施設内で散々良い夢を見させられた顧客の中にはなかなか納得しない、あるいは夢から醒めてくれない御仁も出てきそうだ。
そんな事態を勝手に想像する時、「住まいの夢工場」とは何と残酷で皮肉なネーミングであろうか。
しかしそう思いながら、もしも隠居後に新たな住まいを構えるならば、グラヴィスステージのような軒庇を深く張り出した屋外テラスを部分的にでも造りたいな、などと漠然とした夢を描く自分もそこにいた。
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2021.10.13:メーカー住宅私考_154
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数か月前のことになるが、積水ハウスで建てた実家のリフォームを検討中の知人から掲題の施設訪問のお誘いを受けた。
積水ハウスが運営する住宅展示場。
国内に幾つか同名の施設を保有するが、関東エリアでは茨城県古河市に立地する同社工場内に整備されている。
近年のハウスメーカーの動向には殆ど関心が無いので、この施設の存在は誘われて初めて知ることとなった。
正直、最初はあまり乗り気ではなかった。
どうせ、現実離れした豪邸がモデルハウスとして軒を連ねているのだろう、と。
そんなものを拝んでも、個人的には面白くもなんとも無い。
遠い昔、週末になるとモデルハウスに頻繁に通い詰めていたメーカー住宅大好き少年であった私が、十代後半以降パッタリとその手の施設を訪ねなくなった理由は、そこにある。
出展メーカー間の豪華競争の果てに現実味を失った空疎なテーマパーク。
その見方は今も変わらぬ。
時折新聞に折り込まれてくる住宅展示場のチラシを見ても、図体が馬鹿でかいだけの住宅の形らしき外表を纏った"物体"が並ぶばかり。
訪ねてみる気が起きぬどころか、個々の外観に全く魅力が感じられない。
あるいはそれらからは個々のメーカーの個性も主張も全く見い出せぬ。
広い住宅が悪いという訳ではない。
巨大なら巨大なりの意匠や居住まいがあって然るべきだ。
ということで同施設への訪問もどうしたものかと思いつつ、さりとて誘いを辞退する気分も特に起きぬ。
取り敢えずは複数のモデルハウスを含む計18ものパビリオンで構成された大規模な施設ではある。
その中で、今回の訪問目的であるリフォームの紹介を中心としたモデルハウスでどの様なプレゼンが行われるのか興味が湧かぬ訳でもない。
あるいはそもそもこんなきっかけでも無ければ同施設を訪ねることも無かろう。
曲がりなりとも同社の先進のモデルを同時に何棟も見学できる良い機会と前向きに捉え同地に向うことに。
古河駅には待ち合わせの一時間前に到着。
初見の街は、興味深い風景であふれている。
目に留まるもの一つ一つを堪能しながら暫しあてもなく散策していると、知人からmail。
「久々の遠出が嬉しくて早く家を出てしまい、もう駅に着いた」といった旨の書き込み。
この御時世、みな似たような行動をとるものだなと少し愉快に思いつつ、既に私も到着していることを伝えて駅に引き返す。
暫くして積水ハウスの担当者も車で到着。
その車で駅から約三十分弱。
夢工場に着く。
以前は、送迎バスによる遠方からの団体客も受け入れる等、大いに賑わっていたらしい。
しかし訪問時は時節柄その様な見学ツアーの類のイベントは無し。
場内は落ち着いた雰囲気であった。
受付で検温や手の消毒といった感染リスク抑止の手続きを済ませた上で、まずは「くらしのリフォーム館」と名付けられたモデルハウスへ。
その一階部分は、80年代前半あたりと思しきかつての同社の平準的な内観がリアルに再現されている。
何となく懐かしさを覚えるかつての内装や設備を暫し見学しているうちに、いずれの部屋にも外光が一切入り込まないように設えられていることに気付く。
そして人工照明は蛍光灯のみ。
だから、ややくたびれた内装が一層くすんで侘しいものに見える。
訊けば、美大生に依頼して壁紙等に経年劣化の風合いを施して貰ったのだそうだ。
それらを観た後に二階に昇ると、一階部分を丸ごとリフォームした提案事例が造り込まれている。
そこは外光がふんだんに注ぎ、演色性の高い照明器具が内観を華やかに彩る。
新旧の対比としては何とも露骨な演出だ。
そんなメーカー側の企てをやや冷めた心境で眺めつつ、しかし断熱改修や各種設備の更新提案等、顧客に判り易く説明ないしはアピールするための設えをそこかしこに配備した工夫は、プレゼンの在り方としてなかなか参考になった。
画像も添えられると良いのだが、あいにく施設内は一切撮影禁止。
文章のみでツラツラと訪問記をしたためるのもなかなか寂しいものがあるけれど、また気が向いたらこの場に当該施設の他モデルについても書き留めることにしたい。
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2021.10.07:円形建物
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円筒形のボリュームを持つ建物は印象に残りやすい。
矩形の建物が林立する中にあっては、円形というだけでも異形であり、観る者の印象に深く留まることとなる。
私の場合、それは幼少の頃まで遡る。
往時住んでいた長岡市の駅前中心街に立地していた立川綜合病院。
その病棟の一つが円形建物であった。
隣接する市立図書館に行くたびにその病棟を一瞥していたが、屋内に入った記憶はない。
それでも印象に深く残り、長岡を離れた後もその建物のことが頭の片隅にこびり付き続けた。
改めて当該病棟を眺めたのは2005年の春先。
裏手に建て込んでいた隣接建物が除却され更地となっていたため、今まで見ることが叶わなかった視点からの建物観察が可能となっていた。
その際に撮ったのが、文中の画像。
各層の床面から張り出す庇や外部階段が、円形の外観を形態的にさらに強化している様子が確認できる。
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西側立面見上げ
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西側全景
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※1:
施工中の画像をみると、鉛直方向の構造体が同心円状に林立する様子や床板を支える梁が放射状に配されている状況が確認できる。
本文中に書いた通り私は館内に入った記憶は無いが、ある程度内観構成が想像できて興味深い。
また、当時の鉄筋コンクリート造の施工技術の実態や品質管理の意識を知る上でもある意味貴重な画像だ。
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当該建物について、同市在住の知り合いの方から貴重な資料を頂いた。
仕事の関係で最近入手したとのこと。
そこには、施工中や竣工時の画像が載せられ※1、更にはその病棟の完成が昭和31年であったことも記述されている。
また、地元の建設会社が施工にあたったことも判明した。
円形建物が世間の耳目を集めた初期の事例として、文化服装学院の円型校舎が挙げられよう。
周囲を圧倒する9階建ての円筒形の塔は、完成時はマスメディアに数多取り上げられ大いに話題となった様だ。
私も幼少のみぎり、母親が保管していた婦人雑誌のバックナンバーの中に同建物の記事が外観写真と共に掲載されているのを見掛けた記憶が朧げに残っている。
竣工が昭和30年8月。
その翌年、立川病院の円形病棟が完成している。
あるいは昭和30年代初頭といえば、坂本鹿名夫の設計による一連の円形校舎が実現し始めた時期でもある。
その様なタイミングで円形の、しかも高層の病棟が長岡の地に実現した経緯はなかなか興味深い・・・といったことを、資料を送ってくださった方とmailで交わすこととなった。
病院の移転に伴い、当該円形病棟は現存せぬ。
また、文化服装学院の円型校舎も既に建て替えられていている。
除却されて久しいにも関わらず、前者は市民に、後者は卒業生を中心に未だ多くの人々の記憶に残っている。
例えば前者に関しては、「市内に建っていた円形の病院」と言えば、地元では大概話が通じる。
そして後者についても、建て替え後の巨大な校舎の南側外壁面中央に、かつての円形建物の立面図がドット画でほぼ同スケールに描かれ、同学院の象徴的な建物としての歴史が保全されている。
他にも、例えば坂本鹿名夫による校舎建築等がそれぞれの地域で愛着を持って人々に受け入れられている様だ。
円は、単に印象に残るということ以上の魅力的な何かを宿し易い形態なのだろうか。
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