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2022.06.28:十日町彷徨
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建築探訪に十日町市役所松代支所庁舎のページを載せた。
この建物を見知ったのは今月に入ってからのこと。
少し前にこの場に書いたギャラリー湯山を訪ねるために乗車した路線バスの車窓から、その外観が目に留まった。
当日の十日町訪問は日帰り。
あらかじめ組んでいた予定では、ギャラリー最寄り駅である北越急行ほくほく線まつだい駅でバス乗り換えの待ち時間を利用して近傍に建つMVRDV設計の「まつだい雪国農耕文化村センター(農舞台)」を見学。
その後バスでギャラリーに移動。
知人が催している個展を堪能したあとは同じ沿線の十日町駅に移動。
駅前市街地を散策したついでに時間があればかつての居住地である長岡市に移動し久々に駅前を散策。
帰路に就くといったところであった。
しかしバスに乗って間もなく、松代支所を一瞥してあっさりと予定変更。
当該建物見学が行程に加わったため、長岡詣では別の機会とすることに。
松代支所では、建物の来歴を調べるために館内に設置された市の図書館分室にて職員の方にお世話になった。
突然の訪問、しかも「いつ頃建てられた庁舎ですか?」という唐突な質問にも関わらず丁寧に応対してくださった。
その際に複写した過去の市報に載る当該建物の竣工写真をこちらに引用しておく※1。
その後移動した十日町の市街地を以前訪ねたのは小学生の頃。
当地で開催される雪まつりを観に親に連れられて赴いたのだが、既に忘却の彼方。
蕎麦を食したことくらいしか覚えていない。
ということでほぼ初めての体験となる同地巡りは、意外性に満ちていた。
公共建築がとても充実している。
例えば、内藤廣設計の「十日町情報館」。
石本建築事務所による「十日町市博物館」。
原広司+アトリエ・ファイ建築研究所設計の「越後妻有里山現代美術館」、等々。
十日町市博物館は、近傍に残る旧館もなかなか興味深い※2。
あるいはそれ以外にも市街地を形成する商店街内に新旧様々な興味深い建物が散見される。
そんな中で特に関心を持ったのが、十日町市役所本庁舎※3。
一瞥した印象ではいかにも1960年代らしい質実剛健な庁舎建築。
しかも両翼を、意匠的に何ら関係性を持たぬ増築棟で挟まれている。
しかしながら、ディテールを確認すると色々と手が込んでいる。
特に建物隅角部の措置が秀逸。
上層部に見受けられる意匠は、この地の歴史や特性を暗喩したものなのだろうか。
松代支所庁舎も同様であったが、建物の外観意匠の要は隅角の措置だと改めて思う。
長岡在住時、同じ県内とはいえ十日町は遠く離れた場所というイメージを持っていた。
しかし、ほくほく線開通後は関東からでもアクセスが容易。
次は泊りがけでゆっくりと訪ねてみたい。
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2022.06.22:東京都現代美術館〜吉阪隆正展×井上泰幸展
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※1:
東京都現代美術館の東西両端を貫通する屋内プロムナード。
左手が本文末尾に記した問題の合せガラス。
※2:
プロムナードに用いられた合せガラスの突付部劣化状況。
竪方向のシール目地に沿って中間膜がアメーバ状に白濁している。
外部側の確認は出来なかったが、シール打ち換えによる劣化の進行緩和くらいの措置は修繕時に実施したのだろうか。
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本題とは異なる前置きが少し長くなる。
先週、久々に東京ビッグサイト(東京国際展示場)に赴いた。
目当ては「第26回 R&R 建築再生展2022」と称する建物の修繕関連の見本市。
といっても、関心の対象はその企画に基づく各種技術や製品の展示ではなく、その会場で開催された軍艦島についてのセミナー及び展示の観覧。
長崎県の端島に存し、そのロケーションや歴史的背景からユネスコの世界文化遺産にも登録されている倒壊寸前の廃墟群に対し今後どのような措置が講じられるべきかといったことがテーマ。
内容に言及し始めると長くなるのでここでは述べぬ。
しかし久方ぶりの人混み。
心身共に疲弊して会場をあとにすることとなった。
新製品を展示して集客に供す見本市というイベント開催のためのハコとしての巨大コンベンションセンター。
その建築計画のポイントは、分かり易くて合理的な動線計画となる。
策定されたプランの目論見通り、群衆がせわしく行き交う状況には、自身もその中に身を置く一人とはいえどこか眩暈を覚えそうな感覚に陥る。
つまり、あまり好きな状況ではない。
でもって本題。
その数日後、今度は知人に誘われて掲題の二つの展覧会が同時開催中の東京都現代美術館に赴いた。
こちらも訪ねるのは久々。
以前も書いたが、この美術館はあまり好きではない。
理由は単純には巨大過ぎるから。
巨大な施設で収支に見合った大量集客をかけるための展覧会を企画し、押し寄せる観覧者を効率的にさばく。
これって、コンベンションセンターと大して変わらぬ組み立てではないか。
各展示空間への澱み無くそして分りやすい動線計画。
その要であり同美術館の特徴でもある長大な屋内プロムナード※1と、東京ビッグサイトの各展示場を繋ぐコンコースとの用途の差は殆ど無い。
そして殺到する客は、混み合う展示室内でせわしく作品を巡る。
これでは、展示内容が作品か製品かの違いでしか無い。
ちなみに、六本木にある新国立美術館はその傾向が更に露骨。
同美術館のサイトに載るフロアマップを見ると、それは普通にコンベンションセンターの構造だ。
こんなことを考え始めると、何だか作品鑑賞が思いっきり味気ないものとなってしまう。
そんな想いで両展覧会に接するから、印象も良いものとはならぬ。
吉阪隆正展は、誰向けの企画だったのか。
この建築家のことを知っている人向けなのか、それとも初心者が相手なのか。
その点が曖昧だから中途半端。
御大が日本雪氷学会にも所属していたということに新たな関心を持った程度。
井上泰幸展の方も、職能を超えて御本人が手掛けた大量の絵コンテの展示が、特撮美術監督にスポットを当てた展覧会という目的を曖昧にする。
もっと、コンピュータグラフィックスが多用される以前の特撮美術の創意工夫やプロセスを見てみたかった気もする。
むしろ常設展示室で併催されていた同館のコレクション展の方が、落ち着いてじっくりと愉しめた・・・といった感想を、誘ってくれた建築系の知人と交わすに留まった。
同美術館は1995年の開設。
近年、大規模修繕が実施されている。
しかし、プロムナードの南側全面に嵌められた巨大な合せガラスの突付部において中間膜の劣化が多々見受けられた※2。
突付目地に用いたシール材の劣化に伴う雨水浸入及び滞留に起因する白濁発生。
そのサンプルとして記録すべく、写真に収めた。
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2022.06.14:ギャラリー湯山〜巳巳展×外山文彦展
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※1:
一階の外山文彦展。
本文中に記した納戸の南側に位置する座敷の展示状況を床坐で愉しむ。
一般的な美術館のような外部から隔離され機械空調で制御された密室では得られぬ鑑賞空間がとても心地よい。
納戸の撮影も試みたが、明暗のコントラストが強く、手持ちのスマホではその状況を写し込むことは出来なかった。
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前回言及した「ギャラリー湯山」にて開催中の「巳巳展×外山文彦展」について徒然に記す。
同展公式サイトの挨拶文の中に
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展覧会の基軸として、築110年の古民家ギャラリーに対しそれぞれが異なる視点から向き合うことを置きました。
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とある。
なので、二人の作家それぞれの“向き合い方”に関心を持つ。
以下に建築と絡めた感想を二点。
一つ目は外部建具の扱い。
会場である古民家の一階を使った外山文彦の作品展示は、外部建具の殆どが開け放たれていた。
だから光や風や音といった外部環境との関係が強くなる。
さりとてそれは野外展示とは異なる。
れっきとした屋内空間。
すなわち、開口によって切り取られた外部がダイレクトに屋内に流れ込み、内外の風情とそこに設えられた作品が即時的に呼応しあう※1。
それは例えば、かつて納戸に供せられていたと思しき三方を壁で囲われた閉鎖的な部屋においても然り。
そこに再構成された「Landscape」と名付けられた氏の作品は、極度に抑制された人工照明の下に仄かに浮かび上がりつつ、室唯一の外部開口として穿たれた小さな高窓の外で風にそよぐ木々の気配との静謐な相乗を生みだしていた。
氏が御自身のblogで述べる「場所の構造から作品を仕掛ける」という状況がものの見事に現前。
その「仕掛け」の妙を大いに堪能することとなった。
一方、二階を使った巳巳展の方は、外部建具は全て閉じられていた。
ガラス戸から外の風景は視認されるが、一階の様に外部環境がダイレクトに室内を巡る訳ではない。
しかもそのガラス面にも展示に纏わる操作が施され、外を眺める視線には氏が企てたフィルターが介在。
こうして展示空間を外部から軽く仕切り取ることで一階とは異なる位相を形成する。
それは、現在進行形のその場の様相との即時的な感応ではなく、その地固有の歴史に向き合う作品との連関を深める意図だったのか。
向き合うのは今現在のその場ではなく、過去ないしは歴史。
建具を閉めた室礼が、これも前述のblogに記された「場所の歴史や意味を問う」という目的に向かう。
建具の開閉一つで外部環境との関係や風情を劇的に変化させる日本固有の佇まいに対する両氏の向き合い方、若しくは古民家との対峙の作法がとても興味深い。
二つ目は床坐の視点。
かつての日本家屋は床坐が生活の基本。
その視点において各作品がどの様に感得されるかということに関心を持った。
通常の立居姿勢での作品鑑賞とは異なり、床坐によって目線のレベルが下方に移動する。
あるいは見上げの視線となる。
それは例えば茶事において床の間の前で静かにその室礼を鑑賞する居住まいの様でもある。
あるいは見上げの視線となることで空間そのものが天井も含めて豊かな広がりをもって知覚され得る。
ために、前述の建具の開閉に関わる外部と作品の関係性にも気付かされた訳だけれども、古民家ゆえの床坐という前提について二人の作家がどのように捉えられていたのか。
伺ってみたい気もする。
二階の巳巳展では、作品の創作に当たってこの地の歴史として取り上げた地滑りに関する御自身の調査資料ファイルも添えられていた。
そこには、抑制工や抑止工の解説。
まさかアート鑑賞に来てこれらの言葉を目にするとは思わなかった。
帰路の車窓からは、迫る山並みの所どころに崖崩れの痕跡。
往路の視線においては気づかなかった風景だ。
作品に接することで、同じ風景を捉える自身の視覚に影響が及ぶ面白い体験であった。
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2022.6.07:ギャラリー湯山〜中門造り考
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※1:
名称:
巳巳展×外山文彦展
期間:
2022年4月29日〜
6月26日
土日祝開催
時間:
10:00〜16:00
於:
ギャラリー湯山
新潟県十日町市
松之山湯山446
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新潟県の松之山に築百年を超える古民家を活用した「ギャラリー湯山」が在ることは、地元の情報誌の特集記事で知るに及んでいた。
掲載された写真からは、このエリアに典型の中門造りの外観が確認出来る。
しかし、その立地は公共交通機関を利用したアクセス手段は無さそう。
ペーパードライバーの私が辿り着くことは難しい様だ、といった程度の印象を持つに留まっていた。
そのギャラリーで個展※1を催す旨の案内はがきを、知り合いのアート作家から頂く。
「でも、行く術がないんだよなぁ・・・」などと思いつつ紙面に印刷されたアクセス方法に目をやると、バスルートもある様だ。
調べてみると確かに路線バスの停留所が近傍にあるではないか。
ということで、十日町界隈の散策も兼ねて訪ねてみることに。
上越新幹線の越後湯沢駅でほくほく線に乗り換える。
その車窓からは、当ギャラリーと同様の中門造りの民家が散見される。
といっても、いずれも長い築年数を経たいわゆる古民家という訳ではない。
昭和半ば、恐らくは高度経済成長期以降に造られたのであろうと外観目視から容易に推定可能な事例も見受けられる。
近世より国内各地で独自に連綿と受け継がれてきた民家の形式は、高度経済成長期に一挙に途絶した。
しかし、この地における中門造りは例外の様だ。
それは、その形式の発達が豪雪地という気候風土と密接に関わってきたためであろう。
生活様態や価値観がどんなに変わろうとも、降雪という気象条件は(今現在の気候変動の範疇においては未だ)避けられぬ。
過去の知恵を組み入れた民家が、現代生活の中にも活かされ継承される。
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※:備考
念のため申し添えておくと、当企画展は撮影及びWEB上への掲載が自由であることを確認している。
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同線のまつだい駅にて路線バスに乗り換えてギャラリー最寄りの停留所まで移動。
降車すると周囲は山間部の斜面地。
そして中門造りの民家がそれまでの風景以上に多々分布する。
ギャラリーは路線バスが往来する通りから分岐する幅員の狭い道路に面して建つ。
その道路は馬蹄形をなして再びバス通りに接続する。
かつてはその道路に沿って、Uの字型に中門造りの民家が並んでいたのだろうか。
そんな周辺の状況を暫し確認した後、ギャラリーへ。
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ギャラリー湯山外観
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同内観
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中門は南面のみ。
北側接道ゆえに道路に背を向けて取り付く。
ならば北側立面に後中門があるかというと、否。
道路からのアプローチの利便よりも南側に広がる水田との関係が重視されたのだろうか。
建物中央に間口二間奥行四間の板敷きの広間。
二階まで吹抜けた豊かな天井高を持つ。
天井直下の南面に高窓を穿っているのは冬期の夥しい積雪時の採光を鑑みたものか。
そして北側には間口方向一杯の見事な神棚。
広間の東側に、他エリアでは土間となるところを板床化した囲炉裏のある部屋。
西側に畳を敷き込んだ床の間付きの座敷と納戸が並ぶ。
典型的な広間型の間取りだ。
座敷の長押に付けられた釘隠し金物の形が一つ一つ異なっていたり、あるいは箱階段を昇った二階正面の建具の欄間に施された組子等、元の施主や大工の小粋でさり気ない遊び心が何とも奥ゆかしい。
通常、展示空間は作品を引き立てるために自身は控えめに設えられる。
あるいは展示方法に影響を与えぬよう、ユニバーサルなスペースとして整備される。
しかし当該ギャラリーは、改修を最小限に留め元々の民家としての様態が殆どそのまま残る。
強い個性や癖のある空間に対して自身の作品をどの様に向き合わせるか。
その辺りが当該ギャラリーを用いる際の検討事項の要となろう。
そして鑑賞者も、その点に関心を持つのではないか。
個展そのものの感想は、文章が纏まりそうだったら別の機会に。
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2022.05.31:メーカー住宅私考_164
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国内における住宅産業の黎明期において、各社が発表するモデルはいずれも平屋であった。
技術的に二階建ては難しく、それが可能となるのは1960年代に入ってから。
そのことについては、このシリーズの第51回(2015年1月27日)以降幾度か言及を試みてきた。
積水ハウスでは、二階建てモデルのセキスイハウス2B型を1962年12月に発表している。
その初期の事例が以下の画像。
同社が住宅専門誌に載せた広告からの引用になる。
総二階建てなのは当時の架構技術の制約。
一階の屋根の上に面積や形状の異なる二階部分を任意の位置に積層出来るようになるのは、それから三年後のことになる。
総二階の単調さを少しでも払拭するため、玄関庇の支柱にデザイン性を持たせ、あるいは上下階の開口部の大きさにメリハリを設けるといった意匠上の配慮が見受けられる。
勿論開口のメリハリは、北側立面において一階は水廻り等の非居室が配され二階に居室が並べられるプラン構成がそのまま顕れたものではある。
しかしそのような用途分けは、二階建てモデルならではのこと。
豊かな眺望や通風採光の確保、あるいは近隣からのプライバシー確保の制約から比較的自由であること等々、二階建てのメリットを活かし二階居室部分に大きな開口を穿つ。
室内側に窓手摺を一本横に通してはいるものの、バルコニーも無い壁面に設ける外部開口としては転落防止の観点からやや危なっかしい印象も無きにしも非ず。
けれどもここでは、他社に先駆けた二階建てならではのメリットの享受を強調することで、商品的な差別化が図られたのかもしれぬ。
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外観
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平面図
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同社は自由設計が基本だから、ここに引用した初期二階建てプランも一事例になる。
二階の個室の並びは極めて効率的。
限られた面積の中に、四畳半以上の広さの居室を四室確保している。
しかも同社はメーターモジュールを採用しているので、各室とも通常より一回り広い。
敷き詰めた畳は尺モジュールなので、外周に縁甲板を矩折に敷設し寸法を調整。
これは以降の事例にも多く見受けられる。
メーターモジュールを用いる同社ならではの措置だ。
各室の境界は押入や階段を介し、壁一枚で接する状況を回避。
プライバシーの確保に配慮している。
一階は、面積の割に玄関廻りに余裕がある。
そのホールに配された階段は、ホールとの間仕切り壁を排してササラや踏面を露出。
更に手摺も省略して替わりに各踏面に竪格子を吹き寄せに組んで転落防止の機能が与えられた。
こうして階段をホールの意匠の要に据え、それによって二階建てモデルを実現した技術的優位性を強く、そして誇らしくアピールしている。
私の居住地近傍に、竣工時の様態を良好に留める総二階建ての2B型が在る。
外観目視では二間×三間半のボリュームだから上記プランとは異なるが、各部位のディテールは広告のものとほぼ同じ。
ということは、そろそろ築60年を迎えるのかもしれない。
こういった市井にひっそりと現存する事例に、もっと建築史的な価値が見い出されればとも思うのだが。
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2022.05.25:可愛いだけじゃない式守さん
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というオープニング曲の歌詞の冒頭が物語の骨子を端的に表している。
それが、現在放映中の掲題のアニメ。
公式サイトによると、主人公の和泉くんは「不幸体質」らしい。
私と同じだな、と思う。
私のどこが不幸体質かって?
建物の外観写真を撮ろうとすると決まってアングルに通行人が割り込んで来る。
シャッターボタンを押すタイミングで建物の中から人が出てくる。
ここは押さえるべき撮影ポイントって箇所を撮ろうとすると、業務用トラックが滑り込んできて停車し被写体を塞いで暫く動かない。
工事現場を撮ろうとしたらガードマンに謂れの無い因縁を付けられる(逆に説教してやったけど・・・)。
天気予報を確認して遠出したのに、目的の建物に辿り着く直前に雨が降り始める。
しかも土砂降り・・・なんてことがしばしば。
不幸体質以外の何物でも無かろう。
えぇ、もう和泉くん同様慣れっこですけれども・・・。
ということで、和泉くんに軽い共感を覚え第一話を試しに視聴することと相成った。
冒頭、典型的な郊外の風景。
そして昭和後期あたりの平準的な戸建て住宅の描写。
和泉くんが住む家である。
接道側の外観と玄関廻りの内観から何となく間取りが想定出来そう。
しかし描き起こしてみると、家人の動きと諸室の関係がうまく整合しない。
アングルごとの齟齬は見受けられぬから、ある程度現実的な間取りを想定したか、あるいは実在する住宅をモデルにしているのであろう。
しかしうまくプランに纏まらない。
第三話ではリビングダイニングキッチンが映る。
水屋と共に鮮烈な赤で纏めたペニンシュラキッチンが印象的。
しかしそこに描かれる内観を確認しても間取り図を確定するには至らぬ。
一方、和泉くんの彼女、式守さんの家は今風のハウスメーカーといった印象。
最近の業界動向にはあまり関心が無いので特定は難しいけど、総二階にフラットルーフを載せて外壁は総タイル張り。
物語自体は、なんとも平和でほのぼのとした雰囲気。
悪い人間は(今のところ)一人も登場しない。
ストレス無く安心して視聴出来るところがとっても良い。
まぁ、和泉くんは不幸体質というよりも半ばそれ以上はドジっ子と言えなくも無いけれど。
和泉邸の間取り図完成に向け、そして不幸体質の和泉くんを徹底的に守り抜く式守さんの"イケメン"っぷりを堪能すべく視聴し続けることになりそうだ。
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2022.05.18:ハザマ行徳社宅〜秀和レジデンス
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建築探訪に登録している「ハザマ行徳社宅」を11年ぶりに改訂したのは、4月19日にこの場で言及した書籍「秀和レジデンス図鑑」を読んだ影響が大きい。
漠然とした記憶の中で、当該社宅の外観も秀和レジデンスの特徴を纏っていた。
にも関わらず、11年前にアップした文章は、当該社宅の初見時に強く印象に残った耐震補強のことのみに終始。
久々に読み返してみると、自身が記したものながら何だか物足りない。
いてもたってもいられず一から書き直すことに。
耐震補強に関わる事項は半分程度に圧縮。
替わりに、秀和レジデンスとしての言及を加えることとした。
本文中にも書いたが、当該社宅は18年前に既に除却、新たな分譲マンションに建て替えられている。
改めて実物を確認することは叶わぬし、社宅として供用されていたから、不動産情報がネット上に残っている訳でもない。
但し、耐震補強の観点から検索してみると少しだけ資料が見つかる。
そこに掲載される耐震補強実施前後の画像等から記憶を補完し、文章の再構成を試みることと相成った。
他にも、立地していたエリアの地域bbsの過去ログにて、社宅となった事情(というか噂)も目にしたが、真相は定かではない。
しかし分譲用マンションとして事業化されながら社宅に転用された経緯がある様だ。
あるいは除却工事中の2004年12月には、工事用仮設足場が強風に煽られて倒壊し周囲一帯が一時停電するトラブルも発生したらしい。
当該社宅の近傍には三棟の秀和レジデンスが現存する。
いずれも各地に建てられた同名の物件に共通する特徴的な外観を纏う。
それらをSVにて巡ってみると、同じに見える外壁仕上げにも微差があることに気付く。
これは、冒頭の書籍に接した影響。
本の中で、ひとえに秀和レジデンスといってもその外壁仕上げには様々なパターンを有することが豊富な事例写真と共に言及されている。
三棟のうち、秀和第1行徳レジデンス(1975年3月竣工)の外壁に施された凸模様は、「人」型でほぼ統一。
秀和第2行徳レジデンス(1975年2月竣工)のそれは、「人」のみならず「X」や「U」等、多彩。
秀和第7行徳レジデンス(1975年7月竣工)は、秀和第1行徳レジデンスとほぼ同様だが、凸の模様の配置がやや疎。
それぞれの竣工年はネットに載る中古不動産情報に拠るが、いずれも同時期に建てられたことが判る。
そしてそれらの名称から、この界隈で少なくとも七つ事業が同時進行していたとも考えられ得る。
もしもそうであるならば、凄まじいスピードと勢いだ。
果たして他の四棟は今現在どうなっているのか。
あるいは事業計画が検討されただけで着工・分譲・引き渡しまでには漕ぎ着けられなかったのか。
若しくは、建築探訪のページでも言及したが、ハザマ行徳社宅がその中の一棟であった可能性。
関心の持ち方によって、同じ対象でも眺め方や見え方が変わってくるものだ。
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2022.05.12:奇っ怪紳士録
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ゴールデンウイーク期間中は北海道の実家で過ごした。
この時期の帰省は三年ぶりとなる。
久々ではあるけれど、観光地を訪ねるとか話題のスポットを巡るといったことは特にせず。
晴れの日は家の周りを適当に散策。
実家の周囲はちょっと歩けば落葉広葉樹を主とした林が広がり、散策ルートには事欠かない。
まだ春浅い北の大地の風情を静かにゆっくりと、そして存分に堪能できる。
あるいは、庭先の菜園を荒起こし。
運動不足の解消になるし、久々に土の香りと接するのも心地よい。
雨の日は書斎の本棚に遺る書籍に目を通す。
その中の一冊が、荒俣宏著の掲題の本。
内容はタイトルそのまま。
奇っ怪な人生を突き進んだ実在の人々について詳述されている。
といっても、驚くほど若しくは呆れるほど奇怪かというと、そうとも思えぬ。
そりゃ勿論、平々凡々な詰まらぬこと極まりない日々を漫然と過ごしているだけの私に比べれば、いずれも尖がった人生を歩んでいらっしゃる。
しかし、例えば「二笑亭」や「シュヴァルの理想宮」等、異形の建築を何かに憑りつかれたかの如くひたすら構築し続けた面々の創作過程なんかに比べると、今一つインパクトや魅力に欠けやしないか。
そんな印象で読み進めることとなる。
どうしても建築に絡めて価値判断をしてしまうのは悪い癖。
とはいえ、同書の中にも建築ネタが二つ登場する。
一つが、横浜市の大倉山記念館。
もう一つが、大伴昌司の自邸。
前者は幾度か訪ねている。
長野宇平治の設計によるその建物の内外観は、様々な様式が形態操作を加えられながら大胆に混交する魔訶不思議な様相を呈している。
それは、明治期を代表する作品を多々手掛けた建築家が晩年に至って到達した融通無碍の境地と受け止めていたのだけれども、どうやらそれだけではない。
施主の大倉邦彦もなかなかどうして個性的(=奇っ怪)な御仁で、そんな施主あっての当該建物だったのだということを、この書籍にて知るに及んだ。
後者については、ネット検索にて外観と書斎が確認できた。
外観は、同書に書かれているほど奇怪という印象ではない。
果たして内観はどの様な建物だったのだろうか。
ということで、様々な数奇な人生に触れることとなったが、結局最後まで何だか凄まじいと思える程の紳士録という印象は持てずじまい。
但し、よくもまぁ多士済々な面々を深く調べ上げ書籍に纏めたものだと、そのことに深く感心する。
それを成し得た著者こそ「奇っ怪紳士」なのではないか、などとと思う。
勿論、賞賛の意味でだ。
と思いつつあとがきに目を通してみたら、御自身も婉曲的な言い回しでその様に述べて締めくくっているというオチ。
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2022.05.08:群青のファンファーレ
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競馬には全く関心が無い。
大昔、知人に強引に誘われて一度だけ札幌競馬場に行ったが、入場料を払ったのみ。
レースの予想なんて、ズボラで頭の悪い私には到底無理。
しかしレース中、特にゴール間際の場内の異様な高揚感は、妙に印象に残っている。
そんなレースに携わる騎手の候補生を養成する学校を舞台にしたのが、現在放映中の掲題のテレビアニメ。
今まで知ることもなかったが、その施設は千葉県内の広大なニュータウンの一画に実在するのだそうだ。
住居エリアが広がる只中に大型動物を扱う、しかもその身体能力の限界を競わせる訓練に供する施設があるということは、保安面で周囲に対して厳重な閉鎖領域が構築される必要があろう。
その閉域の内側で、通常であれば高校等に就学するであろう年代の面々が騎手を目指して専門教育を受ける。
その門は狭く、いわばエリートが集まる。
そんな特殊な環境を題材にした作品とは如何に・・・と思い、取り敢えず録画することに。
視聴する前にネット上に挙げられたレビューに少し目を通してみると、何やら手厳しい。
やれ、競走馬に対するリスペクトが無いとか、レースに関係ない場面や演出ばかりだ等々。
しかし前述の通り個人的には競馬には全く関心が無いので、第一話は何のストレスも無く普通に視聴。
競馬学校の騎手課程を題材にした話であって、それこそレース以前の話。
競馬そのものに殊更に拘る感想はちょっとどうなのかな・・・などと思う。
でもって、第二話以降は在席する生徒たちが普段過ごす寮の描写が数多く登場する。
実在する建物がモデルになっているらしく、各シーンの描かれ方はとてもリアル。
管理施設と共用施設と寮室群というこの用途に普遍の諸室が効率的に分棟配置されお互いが短い屋内廊下で接続されているようだ。
正面に位置する管理棟は、メインエントランスを中央に構えたほぼシンメトリーな立面。
両脇に円柱を配したエントランスからヴォールト状のキャノピーがポーチ前面に迫り出す。
開口の配置にやや対称形を崩す要素もあるが、ラーメンフレームを意識した誘発目地及び打継目地の配置が立面を引き締めている。
第三話では、寮室棟の外観が描かれる。
縦列配置された管理棟と共用棟の両翼に配棟された寮室棟の開口部廻りに施された目地の入れ方はかなり変則的。
本来の機能よりも意匠性が意識されているようだ。
実在する建物に施されたものを忠実に描写しているのであれば興味深い。
限られた予算の中で設計担当者が試みたささやかな遊びであったのかもしれぬ。
その屋内は中廊下形式。
各寮室の出入り口は廊下側に引き込みが面する一本引き込み戸。
施錠は出来ないようで、厳しい管理のもと日常の鍛錬が繰り広げられている様子が覗える。
その寮室内は二段ベッドが置かれているから、二人で一室をシェアするのだろうか。
但し机などの什器の配備は個室を思わせる。
今後も様々な描写が出てくるだろうから、それらの検証が楽しめそうだ。
物語自体は、いわゆる青春群像劇。
作品のサブタイトルには、「スタートラインに立てるのは、誰だ」とある。
そして第四話では、「騎手の夢を捨てた時、あなた方は本物の騎手になる。」という合宿先の寺の住職(?)の深遠なお言葉。
ストーリーは中盤に入り、厳しい葛藤や挫折が描かれ始めている。
どうなることやら。
暫く見続けることになるかもしれない。
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2022.04.26:協働会館
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久々にその建物を眺めた際の印象は、単純には「随分綺麗に再生されたね」といったところ。
しかし同時に、「寂しくなったね」という想いも抱く。
遥か昔の北海道在住時。
建築探訪を目的に上京し羽田空港からモノレールに乗り換えて浜松町駅に到着する間際、その建物を含む古びた木造建築群が車窓からの俯瞰の視線にとまった。
何やら気になる佇まい。
駅到着後、土地勘が全く無い中、当然ながらナビ機能搭載の携帯端末など持ち合わせぬ時代ゆえに、モノレールの高架軌道を頼りにその建物群を目指す。
梅雨晴れ特有の高温多湿な大気のねっとりとした感触にやや違和を覚えつつ歩くこと暫し。
眼前に現れたのが「協働会館」であった。
当時の正式名称は、「港湾労働者第二宿泊所」。
"むくり"をもたせた入母屋屋根を載せた妻入りの住棟が幾つか軒を連ねる中、それらから棟高をやや突出させ、更に同じ入母屋でも"てり"をもたせることで異化が図られた建物。
一階の中央に取り付く玄関は、これまた立派な唐破風を構えた堂々とした造り。
周囲に中高層の建物が建ち並ぶ中、なぜその一帯に歴史を帯びた建物群が遺るのか不思議に思う。
と同時に、道路を挟んだ向かい側は、同様の建物を地上げによって除却したあとの暫定的な土地利用であろう平面駐車場が広がり、バブル景気の勢いに依拠した開発の波が目前まで迫っている状況が垣間見えた。
苛烈な変容のさなか、辛うじて遺りつついずれ去り行く都市の記憶の風景。
そんな想いで撮ったのが、以下の画像になる。
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俯瞰遠望
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近景
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※1:
修繕後の建物外観。
上掲近景画像中の奥の方に位置する"てり"のついた入母屋屋根の棟が、当該建物。
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建物の来歴は1936年まで遡り、かの目黒雅叙園を手掛けた棟梁によって見番として建設されたものであること等は既にネット上でも広く語られているのでここで多くは触れぬ。
初見から暫し時を経た2000年11月、近傍に屹立するツインタワー「シーバンス」のアトリウムロビーで開催された「巡回展「協働会館」」に併せて建物が公開。
二階に広がる"百畳敷"と呼ばれる無柱の大広間を堪能した。
セピアがかった上掲画像の中に確認出来る木造建物群のうち、現存するのは旧協働会館一棟のみ。
近年になって曳家を伴う大掛かりな再生工事が執り行われ、「港区立伝統文化交流館」という名称の公共施設に改められた。
隣接して当該建物の印象を損ねぬよう配慮された管理棟が新設。
更に、前面道路は石畳をイメージした化粧舗装が施された。
恐らく修繕工事に前後して改められたのだろう。
それらの光景は、冒頭に示した通りとても綺麗だ※1。
しかしこのエリアに広がっていた花柳界の歴史的記憶としての群景が失われ、味気ない現代建築の狭間にポツンと再生建物のみが居住まう姿には、やはり一抹の寂しさが漂う。
歴史の保全、あるいは風景の継承はとても難しいことなのだとありきたりのことを改めて実感しつつ、暫し同建物の内外観を愛でた。
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2022.04.19:秀和レジデンス図鑑
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※1:
ミサワホーム55の初期モデルに用いられたPALCの表層パターン。
※2:
秀和レジレンスの外壁事例
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旭化成ホームズのヘーベルハウスは、最近「比類なき壁」というキャッチコピーで広告展開を図っている。
外装パネルの表層に様々なテクスチュアを繊細に表現させる技術は素晴らしい。
但しそれらはしょせん転写技術。
いかなる成形も自在な可塑性を持つ一方、それ自体に素材としての優れた固有の質感を持ち得ぬALCパネルは面白くもありつまらなくもある。
あるいはその観点で「比類なき壁」を挙げるとするならば、個人的にはミサワホームが独自開発したPALCということになる。
ノミで削り出したような石の表情をもたせ、更に方形乱積み風の様相を表現した独特のパターンの付与※1。
それは、当初標榜していたローコスト住宅らしからぬ重厚さを外観に付与した。
但しその採用は、初期モデル群のみに留まる。
いつの頃からか、他のALC等のプレキャスト製品と大して変わらぬタイル張り調等々の凡庸な表層に堕してしまった。
同じコンクリート系の表層において「比類なき壁」の骨頂を求めるとするならば、秀和レジデンスが挙げられようか。
デベロッパーの秀和が1970年代を中心に手掛けた分譲マンションシリーズ。
その表面仕上げとして施された凹凸模様は極めて独創的。
プレキャストによる転写や模倣ではなく、左官技能の駆使が見て取れる表情豊かなものだ※2。
加えて施釉の洋瓦とロートアイアン手摺を必須要素として組み込んだ外観は、一度見たら忘れられぬ強い印象を放つ。
自身が初めて同社の物件を見たのはいつか。
そしてそれは何処だったのか。
既に忘却の彼方ではあるが、しかし街を無目的に散策するさなか、一目でわかるそのマンションに各所で遭遇してきた。
そんな秀和レジデンスについて子細に纏められたのが掲題の書籍。
その内容はタイトルに謳う「図鑑」の名にふさわしい。
一見同じに見える各物件も実は個々に創意が溢れ、あるいは時代の変遷を経てきた。
そんな各事例の特徴を事細かく追及している。
その出来栄えは、よくぞここまで・・・と驚嘆させるもの。
余程の関心が無ければ成し得ぬ偉業だ。
欲を言うならば、その強烈な個性を持つ意匠に纏わる構想から竣工に至るプロセスについての言及があると更に面白かったのではないかなどとも思う。
勿論、コラムの形で短く触れられてはいるが、仔細なドキュメンタリーが十分に成立する魅惑的な商品企画を伴う不動産事業だったのではないか。
既にそれなりの時代を経ているがためにその追跡はなかなか困難なのではあろうけれども・・・。
民間によるマンション事業の黎明期において「比類なき壁」を纏って突き抜けた個性を放ちながら各地に陸続と建てられた秀和レジデンス。
その実現に向けた熱量は、全てのスキームが高度に洗練化・平準化されてしまった現代において却って参照されるべき事項が多々あるのかもしれぬ。
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2022.04.11:メーカー住宅私考_163
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※1:
かつて(同社の草創期から少なくとも80年代頃まで)は、8帖を基本単位とした壁配置が構造形式の骨格をなしていたように思う。
※2:
折返し階段の中間踊場部分。
左手にニッチ。
ここではソファと本棚を設えている。
右手の開口を介してLDKが俯瞰できる。
LDKとは蹴上5段分のフロア段差があるため、ガラス開口を介して繋がりつつも空間的な区分けも確保。
但し、平面プランを見ると画像ほどは大きい開口設定とはなっていない。
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ネットを眺めていて、フと掲題のモデルが目に留まる。
同社のニュースリリースを確認すると、2016年10月8日に発売されていたモデルとのこと。
今迄その存在を知らなかったということは、如何に近年の同社ないしは業界の動向に関心がないかということの顕れでもあろうか。
そのモデル名称は、商品開発の方向性を判り易く示している。
即ち、「Family」と「link」を組み合わせたものと思われる「Familink」は、住居内での日常生活における家族間のコミュニケーション醸成への配慮。
そしてゼロ・エネルギー・ハウス(ZEH)対応であることを示す「ZERO」。
最初に目に留まったのは、ZEH対応の環境配慮仕様ではなく平面プラン。
玄関から屋内に入ると正面にLDKに至る引き戸。
室内に入ると、リビングからダイニングそして和室が矩折りに繋がる。
リビングには勾配天井を伴う吹抜けが二階へと広がりを見せる。
その水平及び垂直の空間的広がりを見ると、とても壁式構造とは思えぬ。
構造技術も随分と進展したのだな、などと思ってしまうのは、もはや相当古い感覚なのだろう※1。
奥の和室は、そこがどん詰まりでは無い。
傍らの引き戸を開けると更にユーティリティからサニタリーへと続き、玄関ホールに戻る。
つまり、動線に行き止まりが無く、環状に諸室を巡る。
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平面図
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階段は、玄関に面した廊下に接続している。
昨今、リビング内に階段を配するプランがすっかり定着しているが、上下階を往来する動線がリビング内を錯綜する構成は個人的には好きになれぬ。
その錯綜が家族のコミュニケーション醸成に一役買うのだそうだが、階段がリビングに無いと会話の契機が生じないというのも如何なものか。
リビングの落ち着き確保とのトレードオフが成り立つものではないとも思う。
当該モデルでは、リビングから動線的に切り離し、それでもなお家族どうしの会話の契機としての機能を階段に担わせる仕掛けが設えられた。
すなわち、階段の中間踊場とリビングとの間仕切り壁に大きな固定窓を穿つ構成。
更にその中間踊場にはデッドスペースを逆手に取ったニッチ的な溜りの空間を導入※2。
篭りつつ、しかし周囲と完全に孤絶しない設えがなかなか居心地の良さそうな空間。
そんな仕掛けが二階に並ぶプライベートスぺースの孤室化を防ぐ。
更にその二階部分も、廊下をあえて一間幅で設定しギャラリー的な用途にあてて孤室化防止の設計意図を補完。
モデル名称がプランに具体的に体現されている。
こうしてみてみると、あまり突っ込みどころが見当たらぬ。
強いて上げるなら、収納が全くない一階和室の使い勝手、あるいは玄関からリビングに入ってすぐ脇にキッチンセットが対面形式で配置されることの是非くらいであろうか。
但し、前者については隣接するユーティリティとの関連の中で収納の在りようを捉えられそうだ。
後者も、好みに応じ間仕切り壁を立てれば事足りよう。
外観は、2009年4月24日に同社が発売した「SMART STYLE-ZERO」を彷彿とさせる。
こちらは発売当時の新聞広告※3が目に留まり、スクラップ帳に保管している。
ミサワホームならではの環境配慮のデザインだなと思ったものだった。
その意匠の骨格を受け継ぎつつ、プランも含めてより現実的な商品性に向けて調整を図ったのが「Familink ZERO」なのではないか。
実物は拝んでいないが、そんな印象を持つ。
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※3:
SMART STYLE-ZEROの広告。
南面勾配を広くとった招き屋根の採用によって、PV設置面積の確保と北側斜線制限の双方に対応。
更に東西面の外部開口を絞り、屋内外の熱収支改善に考慮した構成が、Familink ZEROにも踏襲されている。
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2022.04.02:内田祥哉追悼展シンポジウム
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3月19日、内田祥哉追悼展シンポジウム「内田祥哉の『造ったり考えたり』−未来に繋ぐその教え−」が開催された。
氏の存在を知ったのがいつ頃のことか、記憶はあいまいだ。
しかし、季刊ディテール誌の1994年春季号に掲載された氏の作品「有田焼参考館」に対する論評は、私が氏のことを見知った最初の頃の記事だったと思う。
論評を担当したのは、内藤廣。
「無為の為」というタイトルのその文章に添えられた内外観画像を見て、なるほど内藤廣の当時の作風は、氏の影響を受けていたのかもしれないななどと勝手に思ったものだが、特にそれ以上の印象を持つことは無かった。
それから約10年後、永らく途絶えていたハウスメーカーへの関心が復活して以降、住宅生産に纏わる文献に目を通す中で氏の名前を見掛ける機会が増えた。
そのことと「有田焼参考館」の作風は今一つ結びつかず。
しかし遅ればせながら新建築誌のバックナンバー、1984年4月臨時増刊号「住宅の工業化は、今」に目を通した際、漸く人物像の一端を垣間見ることとなった。
巻頭でミサワホームの創業者、三澤千代治と氏が対談を行っている。
その内容は、プレハブ住宅を巡るもの。
縦横無尽に住宅の工業化についてお二人が語り尽くしている。
この対談を読んだことが、氏の幾つかの著作に接する契機となった。
中でも季刊ディテール誌で氏が連載していた「内田祥哉 三題噺」はとても興味深い内容。
近年、書籍として纏められ「ディテールで語る建築」というタイトルで出版されるに至っている。
そんな氏に関するシンポジウム。
建築史家、建築工学の専門家、建築家がそれぞれの立場でパネラーとして氏について講演する。
そしてその講演内容に基づきディスカッションが繰り広げられる訳だけれども、頭の悪い私はなかなか議論についてゆけぬ。
否、これは何も今回のシンポジウムに限ったことでは無い。
果たしてパネラーどうしの意見が噛み合っているのか、あるいは纏まった議論に誘導すべく司会者は立ち振る舞えているのか。
そのことに関し、常に煙に巻かれたような気分になることころが哀しい。
但し、そんな高尚な議論に接しつつ、当該シンポジウムに連関して建築会館のギャラリーで開催された氏の追悼展に展示されていた図面や模型をとを照査してみると、氏の仕事の内容が少しだけ見えたような気がしてくる。
即ち、数々の建築生産システムを構想しつつ、それらをオープンシステム化して業界を牽引しようという意思までは無かったのであろう。
むしろ、都度建築生産に関わる問題点をテーマに挙げ、その対策としてのシステムを構想する。
それらはいずれもクローズドシステムの域を超えぬ。
その点で、氏が行ってきたこととハウスメーカーの構法開発は同じ位置にある。
違いは、メーカーがそれを商業ベースに載せ事業継続を図る必要があったこと。
ために、メーカーのシステムは商品性を纏い、構法の骨格は不可視となる。
システムのオープンとクローズの問題については、先述の新建築誌臨時増刊号の対談の中でも言及されている。
そこで氏は、
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みんながいろんなことをやっているうちにいろいろ改良され、いいものが出てくることができることが必要なんだと思います。
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と述べている。
氏の「GUP」の連作も、そんな思想のもとに考察されたものだったのだろう・・・などと凡人は物事を単純に捉えてしまう。
官民挙げた様々なプレファブリケーションの進展は、結局クローズドシステムのまま今日に至り、オープンシステム確立に至る気配はない。
あるいは、建築生産はかつての主要テーマであった大量供給とは別の次元で考察される対象となってきている。
環境配慮、省人化、ストック対策等々。
そこにかつてとは異なるオープン化の価値や手法は見い出し得るのか。
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