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2023.09.27:メーカー住宅私考_180
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※1:
広告に載せられた平成版GOMASの5種モデルプラン外観。
※2:
初期GOMASについては、このシリーズの前回(2023年9月12日)少々言及している。
また、個々のモデルについては「住宅メーカーの住宅」のページ参照。
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1980年代後半から2000年代初頭にかけては、私にとってメーカー住宅の空白期間だ。
一切の興味を失っていた。
とはいえ、情報に接する機会が全く無かった訳では無い。
ミサワホームが1990年に発表した「GOMAS」などは、広告で見掛けている※1。
このGOMAS、もともとは1976年のミサワホームO型の発売に端を発し、以降十年近くにわたって展開された規格(企画)型モデル群の総称であった※2。
当初のGOMASシリーズは、市場ニーズの変化に伴い1980年代半ばに主力商品体系から一旦後退。
以降は、自由設計路線に軸足が切り替えられ商品体系が矢継ぎ早に変化し錯綜。
そんな中での久々の復活・・・といったところかな、と広告を眺めながらぼんやり思ったものだった。
そこに載る5系統のモデルの外観※1に対する印象は様々。
時代に合わせてそれなりに変わったという印象の中段のO型。
殆ど変化が見受けられない上段のA型やS型。
対して下段のG型やM型は、一体どうしちゃったの?と戸惑うほどの変貌ぶり。
でも、全く関心が無かったので、それ以上どうと思うことも、その当時は無かった。
2002年の秋頃に興味が復活してからも、この平成版GOMASシリーズには特に関心は向かなかった。
往時の興味の対象は、かつて熱狂していた昭和50年代に限定。
しかし十年ほど前、図書館除籍本として「HOME MAKE 本物志向の住まい」とタイトルが付けられた書籍の入手をきっかけに、この商品群の情報に改めて接することとなった。
ニューハウス社から出版されたムックで、全ページ丸ごと平成版GOMASのタイアップ記事で埋め尽くされている。
けれども全体に目を通しても、結局GOMASって何?とモヤモヤしたまま。
紙上の解説に「スーパーフリー設計」と謳いながら、併せてかつてのGOMASを彷彿とさせるモデルプラン5種が紙面を彩る。
自由設計ならモデルプランなんか要らないのでは?
一体、昔の名前を持ち出して、この時期ミサワホームは何をしようとしたのか。
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但し、単なる昭和時代のGOMASに還ろうとしたのではなさそうだという感触は得た。
昭和50年代のそれがレディメイドならば、平成のGOMASはセミオーダーを標榜したのだろうという単純な受け止め方。
そのセミオーダーの雛形としてかつての代表モデルにリデザインが施され改めてラインアップされた。
あとは豊富なアイテムや仕様、そしてモジュールなどの最小限の設計上の約束事の範囲内で、顧客それぞれの想いに応じて個別の住まいを形作る。
雛形やアイテムを想定することで工業化住宅としての生産性を確保しつつ、顧客の多様なニーズに対し自由設計並みに、あるいはそれ以上に気の利いた対応も可能とする。
だから、雛形通りに建てても良いし、ルールの範囲内で雛形を大胆に改変しても構わない。
そのことを裏付ける様に、書籍の中には以下の英文
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for Good Original housing supported by MISAWA's Advanced System
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その頭字語としてのGOMAS。
個別のモデル名称を並べた合成語であった昭和50年代のGOMASの字面を継承しつつ、そこに仕組みとしての意味を後付けしブランド名称に据えた。
そのsupported Systemに則って、生産性と多様性を両立させたGOMASが多々建てられたのだろう。
雛形そのままのもの。
雛形からまるっきり改変されたもの。
しかし双方ともに追跡する気があまり起きないのは、単に好みの問題。
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2023.09.20:メーカー住宅私考_179
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過去に二度この場で言及しているTVアニメ「デキる猫は今日も憂鬱」を視聴し続けている理由の一つは、エンドロールにある「製作協力 ミサワホーム株式会社」の表示。
第5話で同社の「CENTURY Primore」が登場したので、以降も他のモデルが登場するのではと勝手に期待するも、肩透かしを食らい続けている。
そんな中、9月15日放映の第12話で戸建て住宅の外観が画面一杯に描写される。
これももしやと一瞬思うが、しかしあまりにも凡庸。
一瞥しただけで内観プランが容易に把握出来てしまう、よくありがちな外観。
これはさすがにミサワホームでは無いだろうと思いつつ、しかし近年の同社は「MJ Wood」という木造軸組工法のブランドを商品体系に組み込んでいる。
その中には興味深いモデルもあるが、凡百の地域ビルダーのそれと何が違うのかといった印象に留まるものもある。
即ち、スネークマンショー風に言うならば、「いいものもある だけど悪いものもある」である。
案外、作中で描写された住宅も当該ブランドの中の後者の類いかもねと、久々に公式サイトを眺めてみるが、当て嵌まりそうなものは見つからず。
但し、その商品群の中で「NYSTYLE N」と名付けられた今年4月に発売されたモデルに目が留まった。
アニメの描写とは全く関係のない外観だが、ちょっと気になる・・・といったところで漸く本題。
総二階の小振りなその外観の第一印象は悪くはない。
南面二階中央の開口は外壁に対してやや面落ちさせた納まり、即ちダキ納まり。
その開口を構成するアルミサッシの不均等な割付けも良い。
ダキ納まりとサッシの割付け。
この二点のみで、外観が一気に整う。
「開口を制する者は建築を制す」って何かで見掛けた言葉を思い出す。
内観プランも面白い。
一階はコンパクトながら回遊動線を確保し狭さを補う。
そして二階南面に前述の開口に面して設けられた広縁も良い。
そこを畳敷きにしてゴロリと寝そべったら最高に心地よいだろうな、などと思う。
その広縁と階段室以外を可変空間とした構造計画も良い。
但し、腑に落ちぬ点もある。
公表されている平面図は二階南面の開口がダキ付き納まりとなっていない。
それを裏付けるように、同社の各ディーラーが分譲する同モデルの施工事例をネットで確認してみると、面付け納まりが散見される。
ダキ納まりは、販売資料への掲載用に体裁を繕った標準外の措置か。
ダキ付きから面付けに変わるだけで、外観の印象はがらりと変わってしまう。
まさに、「開口を制する者は建築を制す」だ。
そしてその開口のサッシ割り。
四分割されたサッシのうち、開閉可能な窓は画像向かって右上の竪滑り出し一箇所のみ。
他の三枚はいずれもFix。
これだと盛夏の時期は暑さが籠って大変ではないか。
あるいは中間期にはもっと通風を積極的に取り入れたいとも思う。
私だったら、四枚それぞれに異なる開き勝手を組合せ、天候に応じあらゆる向きの風を室内に取り込めるようにするだろうな。
それによって、当該空間に広縁ならではの内外の中間領域としての商品的魅力づけを一層強化し得よう。
プランバリエーションには、二階広縁を物干し場に見立て、南面居室のクロゼットと連携させる提案もある。
果たしてこの空間が個々の事例においてどの様に活用されるのか。
少々関心を寄せたくなるモデルだ。
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2023.09.12:メーカー住宅私考_178
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※1:
「ニューハウス」の1978年4月号に載せられたミサワホームの広告
※2:
ミサワホームMII型外観。
その構成は、本文中にも書いたいわゆる「O型的なるもの」であり、M型と謳われた入母屋事例とは全く縁が切れている。
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このシリーズの175回(2023年7月5日)にて、
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過去の住宅メーカーの動向を追う上で広告は非常に有効な手段ですね、と、最近知り合いと意見を交わした。
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と書いた。
その知り合いの方から、住宅専門誌「ニューハウス」の1978年4月号に載せられたミサワホームの広告※1を御紹介頂いた。
そこには、「これからの住まいは「企画型」が主流。」のタイトルのもと、当時同社が展開し始めていた5種の企画モデルが掲載されている。
以降、昭和50年代を通じ、怒涛の勢いで商品展開が図られたGOMASシリーズと名付けられた企画住宅モデル群を並べた広告は多々出されているが、これは恐らくその初期のものと思われる。
既に空前絶後の大ヒットモデルとなっていた1976年9月発売のミサワホームO型や、その波に乗って発売されたミサワホームA型2階建てのほか、G型、M型、S型が並ぶ。
このうち、見開き広告※1左ページの右下に載るミサワホームM型は、実は珍しい。
もともと、同社の自由設計事例として広告に掲載され続けてきた入母屋を載せた和風住宅。
この当時、ミサワホームMII型※2の存在は知っていたが、M型については全く知らなかった。
他のモデルとは異なりその情報が無いことに大して違和を持たぬまま近年まで推移していた。
ところが、とある専門誌の中でM型の存在を示す表記と内観写真を目にし「おや?」と思った。
それを機に、往時の書籍を国会図書館等で閲覧し漸く当該自由設計事例がM型だと特定したのだけれども、何てことはない。
当時の広告に子細に目を通せば、もっと容易く判明し得たのである。
ちなみにこのM型。
その名称が与えられる前には「ミサワホーム77」という名で広告に登場した時期もあるから少々ややこしい。
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※3:
ミサワホームの総合カタログに載せられたG型。
但しこれは正式発表モデルではなく、同社高井戸本部の裏手に建てられたプロトタイプモデル。
これを更に微調整し正式版が発表されているから、フライング的な販売資料ということになる。
予告広告やフライング資料等、そこまでG型の発表を慌ただしく進めた背景は何だったのか。
最上位モデルなのだから、満を持してといった発表スタイルもあり得ただろう。
広告を通してそんなことに思いを巡らしてみるのも、面白い。
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そして広告※1左下に載るミサワホームG型である。
ここでは予告的な扱いで、G型そのものは紹介されていない。
さもありなん。
同モデルの正式発表は1978年9月。
同年4月に東京晴海で開催された第5回東京国際グッドリビングショーに出展されているが、当該広告はそれと同時期か少し早いタイミングだから、まだG型そのものの外観画像は載せることは出来ない。
それゆえに、G型の構想に近い外観を持つ自由設計事例を載せることとなった様だ。
確かに、ゆったりと覆われた大屋根や更にその上に重なる越屋根が醸す全体像は、G型の雰囲気※3に相通ずる。
ちなみにこの自由設計事例、私は実物を拝む機会を得ている。
全く関係のない方がお住まいだから、勿論通りすがりにその外観を拝むのみであるが、初見時には「ひょっとしてG型か!」と思ったものだった。
それ程に似た印象を持ちつつ、G型とは似て非なるもの。
しかし、インナーガレージやスキップフロアを組み込んだ意欲的な事例で、それはそれでなかなかに興味深い内容を持っている。
この様にして両開きの紙面上に5系統のモデルが並ぶさまは壮観。
しかし、その後の当該商品体系の展開からすると、まだまだ興隆の初期段階といったところ。
具体的な方向性や形態を示せていないG型やM型。
そして昭和40年代の同社のホームコアの路線を引きずるS型。
一方、既に具体が示されたO型やA型。
以降、5系統のモデルはO型的な設計手法(と、ここでは単純に言い切ってしまおう)のもと、それぞれの体系の位置づけに則った怒涛のモデルチェンジを80年代半ば頃まで繰り広げることとなる。
ために、O型的なるものと対極にあるM型は早々にMII型に取って替えられてGOMASからは外れ、しかしそれでも尚、自由設計の秀逸事例として以降の総合カタログにGOMASと共に併載され続ける。
そんな変遷と各モデルの設計思想を追う上で、広告はやはり貴重な史料だ。
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2023.09.06:サイダーのように言葉が沸き上がる
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※1:
ポスターと同じ絵が載せられた企画展のリーフレット。
同展については、この雑記帳にて2023年3月27日に書いている。
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俳句の構文を持つタイトルを冠したこのアニメ映画のことを知ったのは、今年の3月。
高島屋史料館TOKYOで開催された企画展「モールの想像力−ショッピングモールはユートピアだ」にて映像の一部が公開されていた。
同展のポスター※1にも当該作品が用いられている。
わたせせいぞうのイラストを思わせる、あるいはそれよりも彩度が高めの鮮やかでさわやかな色使いが作品のタイトルから受けるイメージと見事に一致。
緻密でリアルというよりもアニメならではの特徴的な絵柄。
ということで少々気に掛かっていたのだけれども、先日NHK Eテレで放映されたので視聴する。
オープニングは、巨大ショッピングモールを移動する視点と牛尾憲輔による穏やかなインストゥルメンタルとの親和性がなんとも心地よい。
その後のストーリーは、大きな動きも仕掛けもない。
でも、「これはこれでアリか」とそれなりに楽しめた。
それは、冒頭に書いた企画展を観た上で視聴したためであろう。
あるいは企画展をきっかけに読んだ東浩紀と大山顕の共著「ショッピングモールから考える ユートピア・バックヤード・未来都市」の影響もあるかもしれぬ。
同施設に対する深く幅広い考察。
それらに接していなければ、無個性なショッピングモールを舞台に繰り広げられるボーイミーツガール系のひと夏の物語といった捉え方で終わってしまったかもしれない。
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映像のところどころに、相対する要素が並置される。
煌びやかなショッピングモールと、その周辺に広がる長閑な田園風景。
防犯カメラを通じて事細かく監視されている商業施設内と、なぜかその統治から外れたペントハウス上の少年達の溜り場。
モータリゼーションが前提のショッピングモールと、水田の畦道を徒歩で移動する主人公とヒロイン。
住宅公団が昭和40年代に整備した典型的な団地に住む主人公と、建築家が手掛けた風の斬新な一戸建てに住むヒロイン。
一人っ子の主人公と三人姉妹のヒロイン、等々。
それらの対比とストーリーとの連関は、私には読み取れなかった。
しかし、多種多様な要素を取り込みながら閉域として完結する状況や、それゆえに人と人がリアルに繋がる契機もそこに発生する可能性。
既にしてショッピングモールは既存都市以上に都市的なのかもしれぬと、穏やかに進行する物語を追いながら想う。
ちなみに、主人公が住む5階建て北入り階段室型の団地の間取りは3K。
キッチンとそれに続く和室を一体化し、3Kではなく2LDKとして居住している。
キッチンに据え付けられた流し台は、URがリニューアル工事用に設定しているレンジフード一体型給湯器仕様と思われる。
二つの居室のうち、玄関脇の四畳半が主人公の部屋。
そういえば、スタジオジブリ制作の「耳をすませば」で描かれたヒロインの家も、同時期の公団住宅であった。
間取りの構成はほぼ同じだが、3Kではなく少し広めの3DKタイプ。
この作品も、DKと続き間になった南面和室を一体で扱い2LDKとして居住する描写であった。
子供部屋は、やはり玄関脇の四畳半。
姉妹二人で使うため、二段べッドを中央に配してその狭隘空間を分割し、それぞれの居場所を確保していた。
一方、「サイダーのように言葉が沸き上がる」では主人公が一人で部屋を占有するが、押入れの襖を取り外してベッドの一部を中に食い込ませて狭い空間を有効利用。
限られた室容積に対し、ベッドの置き方が快適な空間づくりのポイントになるといったところか。
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2023.08.29:建築の側面
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先月、「建築の側面」のページに久々に一件新規登録を行った。
確認してみると約三年ぶり。
この手の事例収集に飽きた訳ではない。
今でも街中を歩く際の視線の対象としてこの側面物件は含まれているし、カメラを向けてみたくなる事例にも時折遭遇する。
但し、この場にも幾度か書いたが、当該ページに登録している各物件は、そのタイトルを8文字で表示するという何の根拠もない自主ルールを当初より設定してしまっている。
ために、8文字の題名が付けられぬ収集事例は、このページには登録されないこととなる。
あるいは、遭遇して瞬時にそこに顕れている特徴に対し8文字前後の言葉が思い付かぬ事例は、結局ページに纏めようにもその文章が浮かばない場合が殆どである。
今回載せた千葉県内の事例も、出会った瞬間に言葉が幾つか浮かんだ。
一つは、実際に登録したページに載せたタイトル。
それとは別に「錆が彩る街の風景」とか「側面看板建築の夢」なんて言葉も浮かんだ。
だからすぐにページに纏めることも可能だった筈なのだけれども、ネタとして放置状態のまま時間が経過してしまった。
ページを纏めるべく久々にSVで現況を確認してみたら、建物は綺麗に除却されウナギの寝床の様な更地となっていた。
「建築の側面」に載せた事例の存置期間はそれほど長くない場合が大半。
その側面をもつ物件自体の除却、あるいは側面そのものの改修、変容。
あるいは露呈していた側面に接する隣地に新たな建物が新築される等々、状況は様々。
だから、それらの事例との出会いも文字通り一期一会である。
当該ページはこのサイトを開設した当初から設定しているが、初期に登録した事例の多くは既にこの世に存在せず改めて愛でることは叶わない。
例えば、東京都物件として紹介している初期のものの多くは、新橋4丁目界隈に立地していたもの。
このサイトの開設を漠然と考え始めていた頃、当該エリアは都市計画道路として半世紀以上前に策定されていた環状第2号線開通のための区画整理事業が急速に進められていて、エリア全体に密集していた小規模な2,3階建ての建物が次々と除却。
歯抜けとなった町並みに、それまで隣接建物によって隠蔽されていた側面が露呈する状況が散見された。
それらを眺めて、何だか面白いなと思ったのが収集のきっかけであった。
意匠設計者が構想し得ぬ自然発生的な状況。
あるいは、経年作用のみによって獲得された風貌。
そんな鑑賞対象の散在を愉しめたそのエリアに、今は広々とした幅員を誇る幹線道路が貫く。
過去の風景の名残は、その沿線に辛うじて僅かに視認されるのみ。
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2023.08.21:メーカー住宅私考_177
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※1:
この層間変位試験に用いられた実験モデルは、外観写真として掲載されている往時の同社の最新モデル「ミサワホームS型NEW」で用いられている同社独自の木質系接着パネル工法では無い。
その頃商品化を実現した鉄骨ラーメンフレームとコンクリート系帳壁を組み合わせた工法のモデルだ。
つまり、外観画像と試験実施状況の画像には乖離がある。
判る人にしか気付かぬ突っ込みどころではあるけれど、そんな点においても、採用している外壁そのものの構造モデルを掲載した大成建設の広告の方が正確性の面で完成度が高いと判断する要素となる。
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夏季休暇はいつも通り北海道の実家へ。
帰省しても、特にこれといった予定はない。
暇つぶしに、書棚に眠っている本を読みふけることとなる。
その書棚にはかつて私が買い求めた雑誌も何冊か死蔵されたままとなっている。
例えば、1980年代前半頃の月刊住宅専門誌「ニューハウス」。
当時、なけなしの小遣いをやりくりして購入していながら、今思えば実はあまり熱心には読み込んではいない。
巻頭の方の最新住宅施工事例のグラビアや気になった記事、そして広告をつまみ食いするように目を通す程度であった。
改めて読んでみると、その内容は多岐にわたり、そして深い。
全ページ隅から隅まで目を通せば、今でも十分通用する住宅に纏わる知識が十全に備わることであろう。
そんな内容を月刊誌という体裁で纏め続けた編集社の力量には改めて恐れ入る次第。
ともあれ、そうして改めてページをめくる中で、ハウスメーカーの広告もやはり気になる。
例えば、同誌の1983年9月号。
その背表紙に載るミサワホームの広告(左下)は、「比較住宅論−あなたはどちらを選びますか」と題し、以下の単純な二項対立形式による主文を赤文字表示している。
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大地震にどの程度耐えられるか、確かな裏づけがない家と、実験値で関東大震災なみの震度に耐えることが実証された住宅。
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その下に、実験室での実物大層間変位試験実施状況を撮った画像※1と解説文。
即ち、「前者がどのメーカーかは敢えて申し上げませんが、弊社は解説文の通り、明らかに後者です・・・」という何とも露骨な内容。
耐震性に関わる優位性を高らかに謳おうとした広告だ。
往時同社では、この「比較住宅論」と称する同じような組み立ての広告を、テーマを様々に変え展開していた。
ところで、同じ号には大成建設のパルコンの広告もある(右上)。
こちらも同様に耐震性のアピールに特化した構成。
そこには、
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“グラッ”。人はもちろん、家にもケガはさせたくない。
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とのキャッチコピー。
そしてパルコンを構成する壁体の構造模型の画像を載せ、解説文には耐震性以外にも遮音や断熱等の各種性能に言及。
加えて、正攻法で纏めた和室の内観画像も載せ、単に性能だけではなく優れたインテリアを実現する能力も手抜かりなくアピール。
同じテーマを扱った両者を比較した場合、背表紙に載る分ミサワホームの方が目立つ。
しかし、キャッチコピーにしろ解説文にしろ、大成建設の方が端的で簡素で伝わり易い。
それに用いている画像も、一般の人々には説明なしでは判りにくい層間変位試験よりも、壁体の構成モデルの方が優れた耐震性をイメージし易いのではないか。
ということで、この号に関しては大成建設の方が広告として優れていると言えそうだ。
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※2:
とはいえ、何をもってアーリーアメリカンスタイルとするのかは曖昧だ。
白の横張りサイディングで外装を仕上げればこの様式となるのか?
この曖昧且つ安易な様式の参照による商品企画の在り方について、新建築社刊「新建築1984年4月臨時増刊−住宅の工業化は今」の中で内井昭蔵も苦言を呈している。
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同号には、積水ハウスの広告も掲載されている(右)。
往時の同社のモデル「ドーマーのある家」と「数寄屋の家」を併載。
前者は、当時業界で流行り始めていたいわゆるアーリーアメリカン調の洋風住宅。
後者は本格的な和風。
いずれも、“調”とか“風”などと安易に付けてくれるなと言わんばかりの本格的な出来栄えだ※2。
全く方向性の異なる二つのモデルを並べ、弊社はどの様な御要望にも最高品質でお応え出来ますという強力なアピール。
更には、それぞれのモデル名称には型式も併記されてている。
前者は、B-530型。
後者はBKW-450型。
これだけで、単なる注文住宅ではなく工業化住宅であることも強く打ち出している。
一見、上品で穏やかに見えて、実はミサワホームや大成建設に劣らず主張の強い広告だ。
かように、同じ誌面に載る各社の広告を比較してみるのもなかなか楽しい。
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2023.08.06:メーカー住宅私考_176
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前回この場に書いたTVアニメ「デキる猫は今日も憂鬱」。
8月5日放映の第5話の録画を視ていて思わず一旦停止ボタンを押す。
そのシーンで画面いっぱいに描かれた戸建て住宅の接道側立面は、紛れもなくミサワホームの「CENTURY Primore」。
近年の同社の商品体系に疎い私でも、この位は判別出来る。
2017年4月22日に同社の最上位モデルとして発表。
公式サイトには、以下の様に記されている。
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世紀を超える邸宅。(中略)
日本のこれからの百年を見すえ、いつまでも心穏やかに人生を愉しめる住まいづくりをめざしました。
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上司の実家に招かれたヒロインが、家の前でたじろぐ。
その演出のために堂々たる佇まいが必要とされた。
そこでCENTURY Primoreの外観が素材として参照された経緯は如何なるものか、なんてことに関心が沸かぬ訳でもない。
外表の各種テクスチュアの再現性も含め、その描写のきめ細かさは、当該アニメの制作会社「Gohands」ならでは。
二階バルコニーのガラス手摺に映り込む雲までが、形をゆっくり変えながらたなびく様子が手抜かりなく描き込まれてている。
これならば内観もと期待したが、さすがにそれは無かった。
「センチュリーモノコック」なる新開発の構造形式によって豊かな天井高を含めて凡そ壁式構造とは思えぬ室容積を実現したリビングルームが仔細に描写されていたら、録画は永久保存版となったことだろう。
若しくは、Gohandsが同モデルの内観を素材に用いたら、ストーリーの進行と絡めてどんな画面構成となったことだろう。
このセンチュリーモノコック。
不勉強のため構造的な組み立てがよく理解出来ていないのだけれども、しかしそれによって実現した屋内諸室の大空間は、内外を流れる様に連関させた大開口と相まって、最上位モデルにふさわしい佇まいを実現している。
往年の同社のフラッグシップモデル「ミサワホームG型」において、壁式構造ゆえの空間的な制約の中で強い垂直性に基づく象徴空間をものの見事に実現させた創意工夫が空しい努力に見えてしまう。
しかしそれであっても、CENTURY Primoreに対してG型が霞んで見えてしまうことなどあり得ぬ。
制約の中で実現した崇高な空間がそこには在ったなどと考えてしまうのは、個人的な贔屓目か。
CENTURY Primoreについては、このシリーズの第74回(2017年5月20日)にて言及した。
そこでは、同じ時期に積水ハウスから発表された最上位モデル「Gravis Stage」との比較を試みてみたが、双方のモデルに対する印象は今も大きくは変わらない。
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2023.08.01:デキる猫は今日も憂鬱
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拾われた野良の黒猫はすくすくと成長し異様に巨大化。
その姿は、まるで熊。
しかも普通に二足歩行をし、全く生活力の無い飼い主の独身女性に替わって家事全般を完ぺきにこなす。
そんなシュールな状況を物語の骨子に据えたTVアニメ。
「とにかく凄いんだ。味噌汁の具の揺らぎまで描かれているんだぜ。」と知人に勧められ、何のこっちゃ?と第4話を録画して視聴してみる。
すると4話にも食卓のシーンが登場し、そこでは確かに椀の中で具が対流現象でゆっくりと回転する様子が湯気と共に丁寧に描かれている。
味噌汁だけではない。
物語全体を通した描写力はとてつもなく、そして独特のテイストが横溢している。
オープニングで描かれる東京駅周辺をモデルにした風景や通勤電車の光景などは、アニメでここまでやるかと素直に驚いてしまうし、あるいはアニメゆえに可能な表現でもある。
但し、どこまでも細かく描いているがために気になる点も見受けられる。
例えば、主人公が住む家のバルコニー側の引違いサッシ。
多くが左右逆勝手に描かれている。
「そこはちゃんと右手前で描かなきゃ」などと、新人の意匠設計者が書いた図面をチェックするみたいに突っ込みを入れてしまいたくなる。
否、内観右側の障子が外動の一本引き込み窓なのだという解釈もありそうだが、ならば左側引込み部の障子はFixなのだから見付けはもっと細くなる筈。
とはいえ、そんなことは作品の魅力や質には何ら影響を与えぬ些事。
ありふれた日常に「デキる猫」という非日常が介入して沸き起こるホンワカとしたドタバタコメディを、硬質で透徹で玲瓏な表現と暴力的なまでに動的で過剰なカメラワークで徹底的に精緻に描画しまくる。
そのギャップこそがこの作品の妙味であろう。
その描写の技術力に物語の進行が1クール追従してゆけるのか。
ここでいう追従とはギャップの確保のことであるが、そんなことに関心を持ちつつ視聴し続けることになるかもしれぬ。
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2023.07.25:徘徊と日常
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雑記帳とは別にこのサイトの中にblogもどきとして開設している「徘徊と日常」のページが、書き込みを始めてから今月で10年を迎えていたことに気付く。
だから何だという訳でもないが、取り敢えずは区切りということで少しコメントをこの場に記してみる。
その設置動機は、基本文章主体で運営してきたこのサイトの中で、画像中心の気軽なページを作ってみても良いのではないかといった単純なもの。
「徘徊と日常」というタイトルを含め、あまり考えもせずに突然の思い付きで開設したように記憶している。
しかし、文は一言二言程度に抑え画像の「従」として運営する筈が、徐々に書き込む文字数が増えてゆく。
別に文字数を気にすることも制限する意味もない。
でも、文と画像の関係が逆転すれば、この「雑記帳」のページとの区別がつかなくなってしまう。
当初の開設動機を維持すべく如何に文字数を制御するか。
そのことが常に逡巡として纏わりつき、都度ページレイアウトの調整を試みる形で推移。
その変容を敢えて残したまま、「徘徊と日常」はログを積み重ねている。
「徘徊と日常」を含め、当サイトの全てのページは未だにOS付属のテキストエディタにhtml構文を手入力して作成している。
専用の作成ソフトの類いは用いていない。
しかも「table」を基本に古風且つ初歩的なタグによる構文しか使っていない。
手法として他の選択肢も多々ある訳だけれども、何だかこうしてチマチマと構文をいじくりまわしながらページを組み立てるやり方が性に合ってしまっている。
むしろそんな古風な手法を用いることに伴う制約の中で、如何に概ね自身の思い通りのページを創り上げるか。
そんなところに楽しみを見い出してしまっているのだから、敢えて新しいことに手を出すつもりも今のところ無い。
とはいえその運営は水面に漂う藻屑の如し。
今後どうなるかは分からない。
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2023.07.18:図書館三昧_19 十日町情報館
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十日町情報館外観
事前の知識が無ければ、体育館か展示場の用途に見えるかもしれない。
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内外観を一望した際、その意匠の意味や組み立てが瞬時に了見される建築と、暫し時間を要する建築が在る。
勿論後者は決して駄作という訳ではない。
何だか凄いのだけれども、何で凄いと感じるのかすぐには判らず、じっくりと鑑賞しその意味を読み説くプロセスを要するということだ。
当該図書館は、後者では無く明らかに前者。
その魅力や組み立てが、内外観ともに一瞬にして視認され得る。
最寄りの十日町駅から、恐らくは廃止されたローカル線の線路敷を活用したのであろう歩行者専用の緑道(その名も「十日町市緑道」)を歩くこと数刻。
線路敷特有のなだらかなカーブを進み終えると、向こう側に市営の体育館や博物館等の公共施設と共に当該図書館が見えてくる。
外観を観て、瞬時に「あぁ、なるほど」と思う。
屋根を支える鉄筋コンクリート造の梁をプレキャスト化し、それぞれの構成パーツを構造的な合理性と意匠的な美しさを整合させる極限まで精査する。
そうして出来上がったパーツを連続させることで美しさを際立たせ、且つ全景の特徴を為す。
それは、豪雪地帯という立地特性が意識されたのであろう強靭さが漲る何とも魅惑的な造形だ。
設計が内藤廣であることを事前に知っていたから「あぁ、なるほど」と思うけれど、その知識が無かったとしても、設計に纏わる意匠の意図は瞬時に理解できよう。
氏が、恐らくはかの「海の博物館」以降様々な仕事において探求してきた手法。
その洗練が確実にそこに立ち顕れている。
そうして外観を特徴づける構造架構は、巨大な内部空間の獲得を可能とする。
絞り込まれたエントランスより暫し前進すると眼前に現れる吹き抜けの巨大な閲覧室兼開架書庫。
中央のレファレンス及び閲覧スペースに向けて雛壇状に通路と書架が矩形に連なり囲うさまは壮観だ
そしてその空間構成は、来訪者の視界に瞬時に知覚される。
その豪放な構成のみならず、外観を特徴づけた架構体が屋内においても鍛え上げられた隙のないディテールを伴って空間の魅力づけに寄与している様子が怒涛の如く視覚に押し寄せる。
訪問時、館内のところどころにそこが「図書館戦争」という映画作品のロケ地であったことを示す掲示が配されていた。
いわゆるフィルムツーリズムによる地域振興の一環か。
当映画は未見だけれども、この特徴的な空間をどのように活用し映像を組み立てたのか。
そして、物語の流れと空間の絡み方は。
観る機会があったら確認してみようと思う。
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2023.07.11:“NOTHING”を巡る思索若しくは妄想。
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※1:
開催日時:
2023年7月8日(土)〜
7月30日(日)の土日祝
場所:
新潟県十日町市
松之山湯山446
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昨年6月7日と14日にこの場に記した新潟県十日町市のギャラリー湯山において“NOTHING”と題する企画展※1が開催されている旨、知り合いのblogにて紹介されていた。
私の様な素人にとってアートとは具体的な物理存在や状況の創造がその根幹などと単純に考えてしまう。
にも関わらず“NOTHING”とは、これ如何に。
参加される作家たちが、このテーマとどう向き合うのか。
そして応答するのか。
少々関心が沸く。
ところで、建築や都市について“NOTHING”を考えるとどうなるか。
個人的に即思い浮かぶのが、某建築家が30年以上前に札幌市内で催した講演会冒頭での以下の発言。
「無い」とは、即ち、“NOTHING”。
道外に拠点を構える建築家が普段見慣れぬ街の上辺を一瞥して抱いた軽めの印象だったのだろうけれども、極論と言えば極論。
何とも挑発的な言葉ではある。
聴講していた同業者ならこの皮肉がすぐに伝わる。
即ち、「建築」と「建物」の違い。
「建物」はたくさん建っているけれど、その中で「建築」と評価できるような作品は見受けられないという要旨。
講演会に前後して、その御仁が設計した商業建築が同市内中心部に竣工している。
金属と石を用いた硬質なディテールで埋め尽くされた過剰なファサードは、「建築」と呼ぶにふさわしい鮮烈な意匠に漲り未だ色褪せぬ。
しかしそんな作品も、「建物」で覆い尽くされた都市の只中にあっては、混沌を呈する風景を織りなす一要素でしかない。
と同時に、空間性だの意匠性だのと深遠な言説をいくら積み重ねたところで、しょせんは敷地という名で意図的に細かく切り刻まれた地表面にたまさかに出現する不動産事業の一環としての耐久消費財。
そこに意味を問うこと自体が空しい=「空」=“NOTHING”なのかもしれぬなどと、勝手に思索(妄想)を繰り広げられるのが、このテーマの面白さ。
“NOTHING”を巡って、もう少し建築について考えるならば、「廃墟」もこのテーマの範囲で捉えられよう。
廃墟は用途を失った建物。
失う=“NOTHING”。
そしてそれが崩壊し無に至る過程も、“NOTHING”への指向。
あるいは無に至る前に人為的に除却される可能性もある。
そして残された更地も空疎=“NOTHING”。
物理存在の消去により人々の記憶から忘れ去られる=無=“NOTHING”。
こうして廃墟に“NOTHING”の要素を見い出すとして、それをアートに昇華させる手立ては、私には“NOTHING”。
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2023.07.05:メーカー住宅私考_175
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※1:
フジタハウス外観
当該モデルについては、このシリーズの第6回(2012年3月31日)にて言及している。
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過去の住宅メーカーの動向を追う上で広告は非常に有効な手段ですね、と、最近知り合いと意見を交わした。
各社それぞれの想いを限られたスペースの中で如何に表現し、そして確実に市場にアピールするか。
広告にはその創意が凝縮されている。
内容や構成を子細に検証・比較することで、その時々の各社の考え方や業界動向も見えてこよう。
一方、当然のことながら社史もとても有効な情報源である。
広告が外向きの表現手段であるならば、社史は一般的に内向き。
例えばそれは、純粋な記録目的のものであるほか、創業者崇拝の意識が露骨なものであったり、あるいは社員教育若しくは啓蒙を目的とした位置づけであったり、と編集方針は様々。
近年においてはCSRの一環として、外向きの発信を意識したものも現れ始めている。
広告と社史。
目的が違う故に、それぞれを並べて時系列を確認してみることも、単純に読み物として面白い。
ちなみに、フジタが社史「フジタ80年のあゆみ」の中で、同社がかつて取り組んでいた戸建て住宅「フジタハウス」※1に関し興味深い記述を載せている。
同モデルは、1969年12月1日に発売。
翌年4月には48種のプランについて大臣認定を取得したとある。
しかし1977年に戸建て住宅事業から撤退。
短期のうちに事業を断念せざるを得なくなった理由について、以下の様に自己分析している。
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良いものなら売れるだろうというのは、楽観的にすぎた。
マーケットニーズはそのような完全性にはなかったのである。
その辺を十分把握しての商品開発ではなく、技術者の思い込みの装置にすぎないことにしだいに気付いた。
そのうえモデルハウスはあってもショールームもなく、販売ノウハウもない素人仕事だったことが反省された。
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同じことを今後繰り返さないための啓蒙的な意味合いを込めた記述と受け止められる。
この箇所を読んで、前川國男がかつて取り組んだプレハブ戸建て住宅「プレモス」に関する藤森照信著「昭和住宅物語」の記述を思い出した。
当時の関係者の証言として、
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プレモスには販売体制がないから受注が安定しない。
だって、前川さんはじめみんな建築家だから、いいものをつくれば売れるって思い込んでいた。
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と記している。
そしてプレモスも幅広い継続的事業展開には至らず、建築家が手掛けた戸建てプレハブの先駆例として住宅史の一コマに収まるに留まった。
双方ともに開発者の自己満足の面が多分に大きく、「売れてなんぼ」という現実的な根底が欠けていた。
勿論、品質をないがしろにした売り上げ至上主義に正当性など無いし、そんな姿勢での事業継続もあり得ない。
良いものを造り、それを如何に売るか。
そのバランスをしっかり見据えた組織が、事業を継続し得る。
国内の戸建てプレハブ住宅事業草創期において、今現在リーディングカンパニーとして名を馳せている企業以上に完成度の高い(と思われる)モデルを発表していたメーカーは何社か見受けられる。
しかしそれらはいずれもひっそりと市場から退場した。
事情は様々あったのだろうけれども、要因の一つとして、この「売れてなんぼ」の意識の置き方が挙げられるのではないか。
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