日本の佇まい

INDEXに戻る ニシン漁家建築:旧中里家番屋


所在地:
北海道小樽市祝津2丁目

竣工:
1913年

写真1:外観


密集して建ち並ぶ民家の狭間を幅員が極めて狭い道路が複雑に入り組んで縫う様態は、全国津々浦々の漁村集落に見受けられる。
小樽市の西部に位置する祝津地区も、かつてはそんなエリアを一部に含んでいた。 ちょうど、市内の内陸側から海岸へと至る途上の界隈。 そのエリアの中を通る狭隘道路は、クランクを何箇所か有していた。
あろうことか、その道路は北海道中央バスの祝津線という路線バスのルートになっていて、バスの運転手は超絶技巧のハンドル捌きでその難関をこともなげに疾走していた。 そして、番屋建築の鑑賞を目的にそのバスに時折乗車する私は、右へ左へとダイナミックに振れる車中から、車窓すれすれに民家の軒先がかすめる風景を眺めつつ、祝津に近づいて来たなと思ったものだった。
しかしそれも1990年代初期頃までのこと(・・・であったように記憶している)。 今現在は、道路の付け替えや拡幅が行われ、バスの運行も一般車両の通行も、極めて円滑なものとなっている。

祝津地区に現存する主だった番屋建築は、かつての狭隘道路を抜けた先の海岸沿いに敷設された道道454号に沿ってその殆どが散在している。
別項で紹介している旧白鳥家番屋茨木家中出張番屋などがそれに該当する。 それらの番屋が並ぶ風景の終端に高島岬が立ちはだかり、その頂部に泊村から移築された旧田中家番屋が鎮座。
そんな光景が、祝津の景観を形成する構造となっている。

中里家番屋は、その様な景観構造を織り成すエリアからはやや外れて立地。 かつての狭隘クランク道路の手前、海岸からは少し離れた内陸寄りの場所に建っている。
下見板張りの外壁に、急勾配な寄棟屋根。 その中央に、形が微妙に異なる二つの出入り口がある。 これらの出入り口を境に左右の外装面の意匠が異なっている辺りに、ニシン番屋建築の特徴が良く顕れている。
もう一つの特徴的アイテムである棟部分のケムリダシが見当たらないが、当初から無かったのか。 それとも後の改修の際に撤去したのだろうか。 私が初めて観た1988年の段階においても、存在しなかった。


写真2:

写真3:

玄関は、向かって左側が網元用、右側が傭漁夫用のもの。 傭漁夫用の玄関を入ると、一間幅の通り土間が一直線に背後まで突き抜けて、網元と漁夫達の居住空間を分ける。
通り土間の右側が漁夫達の居住空間、いわゆるダイドコロ。 左側が網元の居住スペースであった。
網元側の開口部に取り付く竪格子や矢筈模様を施した戸袋の意匠がとても繊細(写真3)。 そして格子の内側に見える木製ガラス戸は、恐らく昔のまま。
建築当初の様態を維持しつつ大切に住み続けられているという印象である。

そんなこの番屋も、実は道路拡幅計画エリアに引っ掛かっている。 曳家でもしない限りは、いずれ除却の対象となろう。
かつての道路事情を思えば、今現在の状況において更に道路整備を進める必要性がどこまであるのか。 腑に落ちぬところもあるが、それによって祝津エリアへの交通アクセスの利便性はより一層増し、おたる水族館や遊園地といったこの地に建つ施設への集客も更に高まるのであろう。 かわりに、かつての漁村集落の景観構成要素は希薄化し、その残影を、保全された一部の番屋建築及びその付属施設が辛うじて担うことになるのであろうか。
いや、既にそのような様相が無きにしも非ず。 前面道路を行き交う車両交通に脅かされるように、番屋がひっそりと佇む光景。 それが、このエリアにおける景観構成の真の構図なのかもしれぬ。
そしてそんな渦中に、この中里家番屋も在る。



INDEXに戻る
2012.10.20/記