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建築外構造物
群別の蔵
所在地:
北海道石狩市浜益区群別

備考:
現存せず

関連サイト:
ニシン漁家建築のページにも、この蔵について記載。

ニシン漁家建築群別の蔵

なかなか得がたい体験というのが幾つかあろう。 とりあえず二つ、ここで挙げてみる。
一つは、忘我の境地。 そしてもう一つは、お宝に招かれること。
前者は、特に説明を要しない。
後者については、例えば集落や建築を訪ね歩くことを趣味とする人ならば、経験をお持ちの方もいらっしゃるだろう。 己の意志とはあまり関係なく、何かに引き寄せられるかの如く足が勝手に赴く。 そして歩を進めた先にて、極上の建築や風景に出会う。
そんな稀な二つの体験に、同時に遭遇する。 それが、この蔵との出会いであった。
以下は、つまらぬ私情を書き連ねることになる。

北海道の日本海沿岸を通る国道231号を往来する小旅行に出ることが、しばしばある。 目的は、ニシン番屋を見て廻ることが第一であるが、この国道を取り巻くロケーションがとても気に入っていることも、訪ねる理由となっている。 札幌市街地を抜け、石狩川を越えた辺りから更に北上する際に次々と展開する風景。 特に秋のそれは素晴らしい。

1990年の10月上旬。 晩秋のにおいを僅かに孕み始めた冷涼な大気に包まれつつ、いつもの様にこの国道を北上。 路線バスと徒歩を組み合わせつつ、幾つかの番屋を観て巡る。 そんな折、フと、何の変哲も無い集落に足が向く。
「群別」という何やら物哀しい地名のついたその漁村集落に立ち寄る予定は無かったし、そもそもその存在すら知らなかった。 国道231号を外れて何気なく入り込んだその集落内を海に向かって伸びる道路沿いには、D/H=1.0※1程度の心地よい風景が続く。
日本海の風雪に洗われた銀灰色の下見板を纏う民家の風貌。

そこに取り付くガラス戸の桟や袋戸等、それぞれに意を凝らしたの繊細な意匠。
そんな事々を堪能しつつ、穏やかな集落内を目的も無く海の方へと歩を進めると、波打ち際に面して漁労用と思われる倉庫が並ぶ。 住宅のスケールとは異なる家型の建物が並ぶ風景が面白い。 そしてそんな倉庫群から少し離れた先に、古ぼけた蔵が見えた。

※1
ディーバイエイチ
景観の特徴を示す指標の一つ。
建物高さ(H)と、その前面道路の幅員(D)の比。
この値が低いと圧迫感や狭さを感じ、高いとその逆の印象となる。


「こっちへ来てみないか」と、その蔵が静かに語りかけてくる。 「俺をここへ呼んだのは、アンタかい」と、私も心の中で言葉を返す。 何の迷いも無い。 その蔵の方へと歩を進め、そしてその前に立つ。
それから数刻。
背後に寄せては返す波の音にハッと我に返る。 そう、この蔵のあまりの美しさに、すっかり我を失っていた。

とは言っても、ここに掲載した写真を見て、美しいという印象を共有できる人は少ないかもしれない。 有り体に言ってしまえば、用途を失って放置され、朽ち果てなんとする過程の只中にある土蔵である。 こんなボロボロなモノのどこに、茫然自失するほどの美しさを感じたというのか、と思われるのが普通かも知れぬ。
だからといって、その美しさを説明するために言葉を書き連ねる愚は冒すまい。 本来、美しさに対しては、己の心のうちに己のみの価値判断基準を持っているべきなのだということにしておこう。

ともあれ、お宝に招かれることと忘我の境地に至るという、得がたい二つの現象の同時体験。 それを、まだ多感さを辛うじて残し得ていた(?)二十代前半に経験できたことは、僥倖であった。
いや、僥倖であるのと同時に不幸なことでもあった。 この「建築」の老いさらばえた豊穣に出逢って以降、設計やデザインという一時の行為を、少々空しいものとして考えてしまう自分が、未だにいる。

そんな愛すべき「建築」も、既にこの世には存在しない。 1995年の春先に訪ねた時には、跡形もなくなっていた。 だから、この極上の「建築」との戯れは、僅かな期間、しかも数回に留まる。
蔵が、私を呼んだ。
信仰心とか霊魂の世界とか、そんなものへの関心が全く希薄な私でもこの蔵だけは例外で、そんな「何か」を想わざるを得ない。 そしてそんな「建築」を己の心象の中に持ち続け得ているというのも、悪くは無い。



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