日本の佇まい
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北の古民家
二条市場
所在地:
札幌市中央区
南3条東1〜2丁目

写真1:俯瞰画像


※1
勿論、歴史を経た建物の中にもに施工事例はある。
しかし、景観を特徴付ける要素となり得る程の群景は、限られる。

※2
切妻とか寄棟といった一般的な形式に拠らぬ複雑な屋根形状を用いるケースが昭和40年代以降暫くの期間の住宅事例において集中した。
その多くは、敷地条件や建物形状等の個別の条件に対する円滑な屋根面の雪処理への配慮に起因して形作られたもの。
規格化された三角屋根住宅がもたらす画一性への反動という説もある。
例えば、招き屋根と腰折れ屋根を組み合わせたもの等、個性的な屋根の表情が作り出された。
しかし、複雑な屋根形状ゆえに防水面での弱点や「すが漏れ」等の問題を孕み、最近の建築事例では殆ど見かけることは無い。

少なくとも昭和終盤頃までの北海道の風景において、トタン屋根は主要な位置づけとして捉えられるアイテムであったという印象を持っている。 家々の屋根は、その新旧を問わず大半が亜鉛メッキ鋼板葺きで仕上げられており、葺き方も長尺鉄板を用いた瓦棒仕様が多く見受けられた。
例えば古民家であっても、屋根はトタンというケースは極めて多い。 経年による風化で銀灰色に美しく褪色した風情ある下見板を外壁に纏っているのに、屋根面にはベカベカと太陽光を反射するトタンが葺かれているというのは、何ともアンバランスだ。 しかし、そろいも揃ってそんな風体を成していると、違和感も薄れてくる。
あるいは、昭和30年代から40年代にかけて北海道住宅供給公社によって大量に供給されていたコンクリートブロック造の三角屋根住宅も、例外なくこの仕様にて屋根が葺かれていた。
更には、国土交通省がかつて公表していた国土画像情報で、昭和50年代の札幌駅周辺の航空写真などを閲覧してみると、北海道随一の都市であるにも関わらず、当時の札幌駅の北口広場側の一帯や、あるいは創成川の東側のエリアは、赤や青のトタン屋根で埋め尽くされている様子が確認出来た。

その経緯や事情については調べていないが、幾つか考えることは出来る。
例えば、寒冷地という気候に対し、凍害への配慮から屋根材として瓦が一般化しにくかったこと※1。 あるいは、先述の三角屋根におけるトタン屋根の標準仕様化。 そして、昭和40年代以降の一時期において道内で流行った変形屋根※2の需要に対するトタンの加工性や施工面での優位性、等々。
ということで、近代以降の北海道の建築はトタン文化である。 そう言い切って良いほどに、トタン屋根が風景の中に定着し、そして馴染んで来た。

写真1は、札幌の街並みの一画を俯瞰したのもの。
同市の中心部は、一辺を60尺(約109m)とする正方形の街区を縦横に整然と配列した碁盤目状の都市構造を成している。 そのグリッドひと桝の中にビッシリと建物が密集している様子を撮ったのが、この写真。
場所は、観光スポットとしても有名な二条市場。 個々の建物は、それぞれに異なる形態の屋根を纏っている。
それらの一つひとつについて言及することは、あまり意味をなさない。 但し、幾つか指摘してみるとするならば、例えばいずれもトタンの瓦棒葺きである。 そして、屋根によっては雪留めのための木材を載せている。 格子状に取り付けていたり、軒先のみに一本横に通していたりと、その載せ方は様々。 あるいは、連なる屋根の所々に集合煙突が突き出ているところも、かつての北海道的な風景である。

この写真を撮ったのは1990年代初めの頃。
以降、この市場は幾度か改修が行われている。 それに伴って、俯瞰した際の様態も変容しているのかもしれない。
寒冷降雪地における屋根材の選択肢も増えた。 かつてはありふれた日常的な風景であったトタン屋根の連なりも、希少な佇まいになりつつある。



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