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町並み紀行
栃本
場所:
埼玉県秩父市大滝

写真1:東側から観た集落の景観


近世より、秩父と甲州を繋ぐ要路として険しい山並みの中に整備された秩父往還。 今は国道140号となっているその道路の途上に位置する奥秩父最奥の集落。
「天空の村」であるとか、「天界の集落」といった美しい言葉で語られることが多いが、その言葉通り、標高750m前後の斜面地に家々が寄り添う。 傾斜面の遥か下方に荒川が流れるが、集落との高低差があまりにもあるため、見え隠れする流れを辛うじて望むことが出来る程度。
家々は、かつてこの地に広く分布していた養蚕民家の形式を遺すものが多い。

この国道140号沿いと、そしてそこから分岐するもう一本の道路上に家々が並ぶ(写真2)。
双方の道路はさほど離れていないにも拘らず、かなりの高低差がある。 その二本の道路に挟まれた急勾配の斜面地に畑が形成され、そしてその中に、自然発生したと思われる生活用の小道が幾筋か通る。
集落内のメイン通路である国道140号の片側には石垣が詰まれ、道路よりも高いレベルに家々が並ぶ。 向い側は、道路よりも低いレベルに家が並び、二階部分から家にアクセスしたり、あるいは専用の階段を降りて玄関に至る。
斜面地に形成された集落ならではの景観だ(写真3)。

写真2補足:
写真1の右手に通る国道140号を奥の方に進み振り返って撮ったアングル。
下方の家々が並ぶ部分に、国道140号より分岐した集落の内のもう一つの道路。 その右手の谷底に、荒川が流れる。


写真3補足:
国道140号沿いの状況。
左手は、石垣を築いた上に家が建つ。 向かい側は、二階の床レベルが道路よりも低くなっている。
この右手の更に向こう側に写真2の風景が広がる。


写真3
写真2

その国道140号の幅員は一車線よりも少し広い程度。 車がすれ違うのもやっとである。 集落から少し外れれば、林道の様相を呈した一車線の区間も多い。
険しい地理的特性があるとはいえ、埼玉と山梨を結ぶ国道がこれで良いのかと思い改めて地図を眺めてみると、ちょっと不思議な状況が確認できる。 栃本周辺において、国道140号は三本存在するのだ。 この集落の中を通る国道140号の他に、その北側に一本。 そして、集落の南側の遥か下方にもう一本、荒川に沿って通っているのだが、いずれも国道140号と表示されている。
ちなみに、南側の国道140号は、荒川の流れと同様、集落との標高差があまりにもあるため、集落からは殆ど視認することは出来ない。 北側のルートも、集落からはかなり離れている。

国道140号が三本に分岐して供せられている経緯の説明は、他のサイトに譲る。 ここで重要なのは、近年整備された北側の国道140号の存在。
1998年にこのルートが開通するまでは、他の二本が使用されていたが、いずれも栃本集落から数km山梨方面側で車路としては行き止まりになっていた。 そこより先は、徒歩による通行のみが可能な国道という状況が二十世紀末まで存続。 これは、この地の地勢の険しさを物語る事象であろう。 しかしそのことが、この国道を都市間連絡道路ではなく、日常の生活動線として機能するのみに留めた。
そして、北側ルートの供用開始とほぼ同時期に、山梨側に抜けるトンネルも開通。 国道140号は、元々の目的であった埼玉と山梨を結ぶ道路として機能するようになるが、その経路は、比較的しっかりした規格で整備された北側のルートが主に担っている。 従来からの二本のルートは、相変わらず生活道的な位置づけのまま今日に至っているのだ。
そのことが、集落内の落ち着きを維持し、旧態を色濃く残す風景を留める一因になっていると思われる。

写真4補足:
集落の上下の道路を繋ぐ小道から、国道140号側の家並みを見上げる。
いずれも、斜面地に築かれた石垣の上に建てられる。


写真5補足:
再び、国道140号からの俯瞰。
谷底に向かってかなりの勾配で落ち込む南向き斜面地に家々が折り重なり、そしてその間に畑が作られている。

写真4

写真5

この車社会において、集落内の通りが幹線道路化しなかったがために景観が保持された事例は全国に多く見受けられる。 例えば、別項に記載している長野県の茂田井も、その一つだ。
この栃本も、そんな集落の一つと位置づけられよう。

勿論、要因としてはその特殊な地理的条件も大きい。
恐らく今後も、めまぐるしく変容する地上のせわしさとは無縁に、穏やかな時間の流れの中に在り続けるのだろう。



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