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町並み紀行
八日市場
場所:
千葉県匝瑳市
八日市場

写真1


写真1.に、道路の両側に背の高い立派な生垣が連なる町並みを載せた。
しかしこれは八日市場のみに特有の景観という訳ではない。 これらの生垣は全て槇を用いて作られた「槇塀」と呼ばれるもので、千葉県房総半島のいたるところで確認できるエクステリアだ。 ちなみに、千葉県の「県の木」も槇。 ということで、この地域の典型的な景観の一例として掲載してみた。
これは、「本町通り」と呼ばれる古くから整備されていた道路がその東端で国道126号と交わる界隈。 槇塀の奥に見え隠れする住宅は新旧混在し形式的な統一感は無い。 つまりは、外構の植栽が景観形成の主役である。
その区域の長さは200m程度。 かつてはもっと広域にわたって同様のエクステリアが連なっていたのかもしれぬ。

この界隈を抜けて本町通りを西側に向かって歩を進めると、古い建物が点在する商業地域へと変わる。
点在するといっても、その数は僅か。 統一感の無い今風の建物の連なりの中に、それらがひっそりと埋没する。 しかも、平入り、妻入り、土蔵、洋館、看板建築等々その形式も様々。
例えば写真2.の坂本総本店店舗は、鬼瓦や棟瓦の重厚な黒漆喰塗の土蔵造り。


写真2:
坂本総本店店舗
1905年築
登録有形文化財

写真3:
旧磯長呉服店

写真3.も、同質の建物であろう。 ただし、一階部分は白いタイルで壁面が覆われている。 モダンな装いに改めようということで後補で付与された仕上げであろう。 今にして思えば、歴史的価値を帯びた重厚な外観を安価なタイルで覆ってしまうとは何と勿体無いことを・・・ということになるかもしれない。 しかしそれは、この建物のオリジナルの様式に対する時代ごとの捉え方の変遷が露呈した様態。 これはこれで現象としては面白い。
写真4.の新井時計店は、いわゆる看板建築。 ペディメントや軒蛇腹といった洋風要素をモルタルであしらい、店の名称一文字ずつのネオンサインを納めた球体が並ぶモダンなしつらえ。
写真5.も土蔵であるが、正面に付加された造作によってオリジナルのファサードが塞がれている。 これを取り外せば、整った伝統的建築形態が堪能できそうだ。


写真4:
新井時計店
1931年築

写真5

街路沿いの建物を観察すると、このようにチープな外装を被った古建築が散見される。 表層を覆うそれらを取り外した上で適度な修景を施せば以前の町並みが復活するかというと、それは否。 復活といえる状態を実現するためには、物理的な数や面的連続性があまりにも乏しい。 しかし、点在するそれらを紡いでみれば、かつての町並みの様相を見立てられぬ訳でもない。
そう、この「見立て」こそが、歴史を有する町並みのかつての景観を今現在の風景の中で堪能する術の一つ。 いささか寂しい鑑賞方法ではあるが、しかしそんな堪能のしかたに気付くきっかけとなったのが、この町であったような気がする。 そして、その様な鑑賞方法を要する町並みの事例は、全国津々浦々事欠くことが無い。

実際、資料で確認すると、明治末期から大正期にかけてのこの本町通りは、豪壮な土蔵が軒を連ね、県下十番目の人口をほこる町の中心部として大いに賑わっていたようだ。 1840年の大火以降、土蔵の建物が増え始めたという。
それが衰退の傾向を見せ始めるのは、この本町通りに並行して国道126号が整備された1970年以降のこと。 車の流れの変化が、古くからの商店街のポテンシャルとその景観に影響を与えたようだ。
例えば、同様に幹線道路が別の場所に整備された長野県茂田井は、逆にそれによってることで街並みが維持されている。 この違いの要因は何なのか。 そのことを知るためには、個々の歴史を掘り下げることと同時に、もっといろいろな事例を確認する必要がありそうだ。



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