日本の佇まい
国内の様々な建築について徒然に記したサイトです
町並み紀行
建築探訪
建築の側面
建築外構造物
ニシン漁家建築
北の古民家

間取り逍遥
 
INDEXに戻る
住宅メーカーの住宅
ユニット別荘四題

昭和40年代に百花繚乱の様相を呈していたユニット工法の住宅市場の中には、セカンドハウスとして開発された商品群の流れもあった。

ユニット工法の草創期について調べると、実はユニット工法とセカンドハウスは結構縁があるように見受けられる。
例えば、積水ハウスが1962年7月に発表したプラスチック製ユニット住宅「C型キャビン」も、その規模からすればセカンドハウス的な意味合いが強かった。


C型キャビン*1

セキスイハイム試作モデル*2

あるいは、積水化学工業によるセキスイハイムの開発時においても、二番目の試作モデルは別荘を想定したものであった。 それは、一番目の試作があまりにも先進的であったため、需要としてはセカンドハウスの方が適切なのではという意見があったことに拠る。 実際、1970年5月に二番目のプロトタイプを建設した場所も、琵琶湖に面する蓬莱町の別荘地であった。

では、ユニット工法を用いたセカンドハウスとして商品化されたモデルにはどのようなものがあったのか。 以下に四種の事例を記載する。



1.常盤産業/トータス
外観*3
※1

基本単位平面図*3

※2

二単位接続事例*3
直径700mmの球形アクリル部材を用いた外部開口や、外装に施された大胆なカラーリングが外観を特徴づけている。
構造は軽量鉄骨軸組。 その軸組に発泡系断熱材を芯材とした両面フラッシュ鋼板(外部側は塩ビ被覆鋼板)の外装材を張り、ユニットを成す。

ユニットの広さは10平米強。 矩形の両端に三角形を接続させた横長に伸長する六角形平面を成す※1
中央の矩形部分は2400mm×3000mmの広さを持ち、主に居室の用途に。 そして左右の三角平面は、底辺2400mm、高さ1200mmの形状で、収納やサニタリー及びベッドスペースに充てられる。 ベッドは、斜辺を利用し角度をずらしながら下部二台、上部一台を造り付けたもの。
三人が居住する想定はやや窮屈な印象はある。 しかし前提がセカンドハウスであること、そしてセカンドハウスの利用が三人程度の場合が多いという独自の調査結果に基づいた。

六角平面の採用は、面積拡張のためにユニットを複数単位を接続する場合に斜辺を取り合わせることで建物形状に変化を与えるため。 単純な矩形の増床では無く、雁行や屈折を伴う接続形態によって、セカンドハウスとしての個性や楽しさを獲得しようと企図された。 実際の複数単位接続プランも、コの字やV字型の配棟が提案されている。
上に引用した外観写真は、ユニットを二単位V字型に接続したもの。 その平面図は左記※2の通り。



2.昭和電工/サンレポー
※3
施工状況*4

パネルとユニットを併用した両端コア形式の特徴が見て取れる。

1972年4月に商品化。
居住に必要な機能を収めたサブユニットを住棟両端に線形に配し、双方の間にスラブを掛け渡して全体を構成する。 即ち、パネルとユニットを併用した両端コア形式のモデルになる※3

サブユニットは一つの単位が800mm×2400mmの平面形態をなし、基本プランにおいては建物両端にそれぞれ二単位ずつ、計四単位が配置される。 それぞれの内部には居室以外に住宅に必要な機能が別々に納められた。 即ち、サニタリー、キッチン、そして家具及び収納式ベッドの四種。 更に構造の機能を担うことで両端コアを成し、二つのコアに挟まれた空間が居室用途となる。 つまり、居室の間口はコアどうしの離隔によって決定し、奥行方向もコアの長辺寸法である2400mmがモジュールとして規定される。 ここでコアどうしの離隔は、3200mmと4800mmの二種が設定された。
サブユニット及びスラブパネル共に、鋼製軸組下地の両面フラッシュパネルが用いられた。 外表はアルミ化粧パネル。 室内側は化粧鋼板もしくは合板を張り、パネル内部には断熱材が充填された。


64-2S-A1型外観*4
48-2S-A1型内観*4
48-2S-A1型平面図*4

引用した画像のうち、外観写真は両端コアの離隔を4800mmとした64-2S-A1型。 コアに挟まれた空間の広さを活かし、2LDKのプランが設定されている。
一方、内観写真及び平面図は同離隔が3200mmの48-2S-A1型。 一回り小さいために屋内はワンルームとし、中央に配した片側固定の回転式可動収納によって食寝を軽く分離する措置がとられた。 右記平面図からは、両端コアの特徴が読み取れる。
サブユニット及びスラブパネルの基本パーツ以外にデッキやパーゴラが装備され、セカンドハウスとしての楽し気な住まいの在りようが演出された。



3.高崎製紙/TAKASAKI-UHS

居室を規定するメインユニットに、居住に必要な様々な機能を収めたサブユニットを任意で取り付ける構成を採用。 平面図を見ると、矩形平面を持つメインユニットの長辺側外壁二面に、台形平面の大小様々なサブユニットを装着している構成が確認できる。
メインユニットの外装には、断熱材を充填した木質系パネル。 サブユニットにはFRPが用いられた。



UHS-C-70型外観*5
同平面図*5
※4
右文中に引用した外観および平面図は、メインユニット一単位による構成。 TAKASAKI-UHS-C-70という型式が付けられている。

※5
二単位を雁行接続させたプランバリエーション例*5

メインユニットは上下二つのパーツによって構成される。 重ねて搬送できるよう、双方とも舟形断面を採用。 現地で上下向かい合わせに積層させて居住空間を形成する。 敢えて完成形のルームユニットとして工場生産及び出荷を行わない方式を採用し、輸送効率と施工性の両立が図られた。 更にその方式によってユニット全体は扁平六角断面をなし、内外観の商品性の付与に供す。
メインユニットの一単位は、短辺2400mmm、長辺6000mm※4。 複数単位を接続することで任意の広さ設定を可能とする※5

サブユニットは、サニタリーを収めたもの、あるいは、キッチンセットや玄関、ソファベッドを収めたもの等、幾つかのパーツが用意された。 セカンドハウスとして求める居住性能に応じ、パーツを任意に選択し装着できるところが面白い。

住まいをメインユニットとサブユニットに分化して構成する手法は、例えば段谷産業のダンタニコームや、ミサワホームのホームメカ等にも見受けられる。
モデル名の「UHS」は、ユニバーサル・ハウジング・システムの略。 ユニットを分化し、個々を任意に接続、拡張、装着しながら如何ようの居住空間の創出も可能にする企図が、その名称に表された。



4.利昌工業/フローラ
上記3種の事例は、いずれもそれまで住宅に採用されることが無かった鋼板やFRP等の素材を外皮に用いている。 しかし、それらを構造的に補強するために鋼材や木材による軸組下地を併用していた。
対して1972年5月に発売された当該モデルは、下地組みを用いずFRPパネルのみで外皮を成立させている。 その実現にあたり、二方向に曲率を持つシェル構造を採用。 三種のパーツが設定された。 各パーツのエッジには補強のためのリブが設けられ、そのリブを介して各パーツを機械接合する方式が開発された。 シェルの厚みは4.5mm。 リブ部分は12mm。 その内側全面に吹付硬質ウレタンフォームを施し断熱性が確保されている。 パーツ一枚当たりの重量は80kgに抑えられ、山間部等重機のアクセスが困難な立地条件での施工に考慮された。
一つのユニットは4枚のパーツを組み合わせて成立する。 壁と屋根が分化せぬ曲面の連続体であるため、床面積の算定根拠が曖昧となる。 取り敢えずは、フロアレベルから高さ1500mmの位置の水平断面積で10平米となるように形状を設定しているのは、建設時の確認申請適用除外(一部条件を除く)とするため。
※6
内観パース*6

※7
ジョイントフローラ平面図*6

外観*6

平面図*6

その外観は、開発時に「かまくら」がイメージされたという。 一方、曲面を伴うパーツを組み合わせた全体像は花弁が閉じた蕾の様でもあることから、ローマ神話に登場する花の女神がモデル名称として用いられた。 更に、全体のプロポーションから高さが抑えられた玄関庇を構成するパーツは、茶室の躙り口が見立てられた。 即ち。内部空間に入る際の精神的切り替えを促す建築装置である。
そうして至る屋内は、三次元曲面のみで構成された非日常性に溢れる。 狭隘な空間に、サニタリーやキッチン、そして造り付けのベッドや収納がぎっしりと納められた様態は、さながら宇宙船のコクピットの如し※6

こうして一つの極小空間で住まいの機能が完結するフローラは、そのユニットを一単位としてジョイントパーツを介して複数単位を接続することも企図された。 左に示した平面図※7は、二単位を用いたプランバリエーション。 複数単位を接続したものを「ジョイントフローラ」と称した。 各単位を構成するシェルをジョイントパーツに置換すれば、原理的には縦横無限の拡張が可能となる。



※8
例えば前掲の利昌工業のフローラは沖種郎の設計に基づく。 他にも、太陽工業の「パンドラ99」に黒川雅之、日光化成の「ヤドカリ」にはGKインダストリアルデザイン研究所が関わっていた。


日光化成「ヤドカリ」*7

用途をセカンドハウスに特化することで、これらの事例は非日常性を愉しむ空間が積極的に演出された。 そのため、内外装共にそれまで住宅建築に馴染みが薄かった工業製品が積極的に用いられた。
また、予め殆どを工場で造り込み現場施工を単純化させるユニット工法は、人里離れた別荘地における工事には都合が良い面もあった。 そして多くの事例は狭隘な最小限住戸を一単位とし、必要に応じて単位を増設して規模を拡張する方式が採られた。 その考え方も、同工法との親和性を持つ。

ユニット工法によるセカンドハウスのラインアップの充実は、昭和40年代後半をピークとする。 当時の住宅雑誌等に目を通してみると、関連記事や広告の多くもこの時期に集中する。 1973年時点において、その数は30社に及んだと紹介する資料もある。 事業参入事例は、住宅メーカーや商社、そして建材メーカーから他業種に至るまで様々。 そしてその商品化プロセスも、独自開発のみならず、建築家の参画※8や海外からの技術導入等、多様であった。

この時期に特異ともいえる興隆をみせた理由は三点考えられる。
一点目は、その時期が国内におけるユニット工法を用いた建築生産方式の草創期にあたること。 同工法の可能性について、セカンドハウスのみならず、日常生活の場としての通常の住まいや一般建築等、幅広い用途で事業化に向けた商品開発の動きが興った。
二点目は、別荘地の開発ブームによる市場形成。 それは、1972年6月に当時通産相であった田中角栄がまとめた「日本列島改造論」が大きく影響したと言われている。
三点目は、海外の動静。 海外からの技術導入事例が示す通り、当時のユニット住宅の興隆は国内に限ったことでは無い。 むしろ海外において、その市場形成が先行していた。

以降、国内においてこの形式の推移は三つの系統に分岐したと考えられる。 一つは仮設事務所としての展開。 もう一つがトレーラーハウスとしての進展。 更に、アルミを主要構造体とする住宅開発の流れである。



 
INDEXに戻る
引用した図版の出典:
*1:積水ハウス
*2:積水化学工業
*3:常盤産業
*4:昭和電工
*5:高崎製紙
*6:利昌工業
*7:日光化成

2011.01.08/記
2021.11.06/改訂