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住宅メーカーの住宅
ユニット住宅三題
昭和40年代から50年代初頭にかけての工業化住宅を概観する上で、ユニット構法を外すことは出来ない。 恐らく、この時期がユニット構法の全盛だったのではないか。
それは、この構法が工業化住宅に期待される生産性という命題に対する最終的な到達点と位置づけられていたからだ。 つまり、建物の完成形を特定のモジュールに則り幾つかのユニットに分割してあらかじめ工場で可能な限り造り込んでしまい、それを建設現場に運んで組み立てれば完成という、極めて高い工場生産性。
国内において、この構法による住宅の商品化をいち早く実現したのは、積水化学工業になる。 「セキスイハイムM1(以下、M1)」を1970年に発表し翌年から発売を開始。 その事業的な成功に端を発し、以降、ユニット構法を採用した住宅が他メーカーからも続々と商品化され住宅市場を賑わせた。 この時期を中心に、ユニット住宅の中で個性的なモデルをM1以外で三点、以下に記載する。


1.段谷産業/ダンタニコーム
※1
居住のための機能をユニット化し、外装に外付けする事例として、1972年開催の国際グッドリビングショーにミサワホームが出展した「ホームメカ」も挙げられる。

上記写真*4は、同社が当時開発していた「ホームコア」のプロトタイプモデルにホームメカを装着したもの。 外壁に出窓の様に取り付いている部材がホームメカ。 ホームメカの内部は、ユニット化されたキッチンセットやクロゼット、オーディオ設備等がバリエーションとして用意された。
なお、同社は1991年にも“装置壁”として「道楽ユニット」を発表している。

※2
同時代における設備ユニットの外在化の事例として、ナショナル住宅産業(現、パナソニックホームズ)のナショナル住宅R2G型も挙げられる。 このモデルは建物そのものは軽量鉄骨軸組み構法で造られるが、その外壁面に設備ユニットを「房」として外付けした。 この形式のことを、同社では「クラスタープランニング」と呼称していた。
1975年6月発売。
M1の構成概念をより鮮烈に具現化したモデルという点で興味深い。
M1は、居室の空間を規定するメインユニットと、居住のための機能を納めたサブユニットの組み合わせを基本構成としていた。 矩形のメインユニットの短辺にサブユニットが外接する状況が直截的に外観に顕れているのがM1の特徴だ。
サブユニット※1に収められる機能は、具体的にはキッチンやユニットバスや収納等々であるが、しかしこのサブユニットとメインユニットの関係は必ずしも厳密ではない。 面積的にサブユニットに収まりきれない機能がメインユニットに侵食しているプランが殆どであった。

三階建てタイプ外観*1
一階平面図*1

それに対して、ダンタニコームはその分化が徹底している。 上記一階平面図を見れば明白であろう。
まずは、ユニットを工場から現場へ運搬する際に影響する道路交通法への対応から、短辺方向の幅を2.5m弱に抑えた大きな箱(メインユニット)が、長辺方向を繋ぐ形で三つ並び、リビングダイニングルームの空間を規定している。
このうち左のメインユニットには、接続面を除く三方(図面の上下と左辺)にサブユニットが取り付いている。 つまり上辺にはキッチンユニット。 左辺には勝手口や洗面トイレのユニット。 下辺には浴室ユニットが、メインユニットから突き出すように接続している。
同様に、真ん中のメインユニットには、上辺に居室拡張ユニット、下辺に玄関を構成するユニットが突き出している。
右側のメインユニットにも、上辺に家具ユニットが一つ、右辺に居室拡張ユニットが二つ付いている。
これがメインユニットとサブユニットの分化の内訳だ。 階段もサブユニットとして独立していれば、なお構成原理に美しく整合した。 しかし、メインユニットからサブユニットをオーバーハングさせて設置する構造形式では難しかったのだろう。
ともあれ、この分化の徹底により、居室への影響を最小限に留めつつ設備の更新を容易に行うことが可能な住居形態が実現されている※2

三階建ての住宅を商品化していたというのも先駆的だ。 積水化学工業が三階建てモデル「ハイムスカイワード3階建て」を商品化したのは、6年後のことになる。



2.ニッセキハウス工業/Uシリーズ
これも1975年に発売されたモデル。
外観写真を見ての通り、瓦葺きの屋根を冠したユニット住宅である。 何かと機械的なイメージが強かった当時の各社モデル事例の中にあって、このUシリーズは明らかに異色だ。
同社は、プレハブ住宅に和瓦を載せた初めてのメーカーだ。 だからユニット住宅においても、拘らなければならぬアイテムであったのだろう。
屋根に和瓦を葺くからには、和風のテイストを外観全体に取り入れなければならない。 そのためか、外壁面には真壁風の柱があしらわれている。 構造体としての柱なのか、それとも外装パネルのジョイント部材なのか、あるいは単なる表層デザインとしての付け柱であったのかは定かではない。
しかし、開口部や雨戸の配置との齟齬が、外観にいびつさを与えている。

寄棟屋根タイプ外観*2

切妻屋根タイプ外観*2

とはいえ、このいびつさは、初期のユニット住宅全般に見受けられる傾向だ。 ボックスを積層するというこの構法特有の条件が、慣例的な住宅のイメージからかけ離れたデザインを余儀なくする。
積水化学工業は、それを逆手にとったラディカルなM1で成功した。 後続メーカーの多くも、そんなM1の路線を踏襲した。
その中にあって、少しでも住宅らしさをという努力を感じさせるのが、このモデルである。

ユニット構法における和風表現がある程度達成したモデルは、1985年9月発表のトヨタホームの「樹(こだち)」を待つこととなる。



3.クボタハウス(現、サンヨーホームズ)/コスモU
※3
建設省,通産省,建築センター共催により実施された、住宅における工業化構法の先導モデル提案事業。
112社から145件の応募があり、集合住宅10件と戸建住宅7件が採択。 入選作は、関東と関西で実際に施工・分譲された。

※4
クボタパイロットハウスSPA型構成概念図*3

ユニット構法で用いられるルームユニットは、日本の伝統的なモジュールである「尺」に乗せにくいという足枷が付き纏う。 理由は、ルームユニットを工場から建設現場に移送する際に発生する道路交通法による寸法制限。 短辺方向最大2.5mという規定が、尺モジュールの採用を阻む。 初期のユニット住宅の間取りに共通して見受けられるいびつさは、この制約が大きく関わっていた。
この問題に対し、同社は建物の組み立てに際し、ユニットどうしを直接接合するのではなく相互に離隔を設けて構成する方式を開発。 モジュールに対する自由度を確保する取り組みを早い段階から実施していた。

例えば1970年に開催されたパイロットハウス技術考案競技※3において採択モデルに選定された「クボタパイロットハウスSPA型」※4。 そこでは、居室ユニットと水廻りユニットを建物両端に対面設置しその間を柱梁フレームで繋いでフリースペースを構成する方式を提案。 中央部についてユニットのモジュールとは切り離したプラン構成を可能とした。 プレハブ住宅としての生産性をユニット構法によって確保しつつフレキシブルなプランニングをも可能としているところが興味深い。

1983年に発表したコスモUにおいても、ユニットどうしに隙間を設けるという発想で尺のモジュールとの整合を獲得している(下図)。
例えば、短辺2.4mのボックスを33cmずつ離して設置すれば、一間半幅の空間を作ることが出来る。 こうしてユニットを並べれば、尺のモジュールに則ったプランニングが可能となる訳だ。 モジュールの問題を乗り越える手法として、これもとても面白い。


外観*3
ユニット構成概念図*3

これらの構法に関連し、例えばミサワホームにおいても2001年に両端にユニットを配置する「ダブルコア・ジョイント工法」を開発。 翌年、この方式を採用した「HYBRID-Mマホーの家」を商品化している。 また、コスモUに似た方式として「スリットジョイント工法」を2003年に開発。 ここではユニットどうしに341mmの離隔を設ける納まりが採用され、プランの微細な調整が可能となった。



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引用した図版の出典:
*1:段谷産業
*2:ニッセキハウス工業
*3:クボタハウス(現、サンヨーホームズ)
*4:ミサワホーム

2010.09.04/記
2019.07.13/第一章・第三章改訂,第二章加筆