日本の佇まい
国内の様々な建築について徒然に記したサイトです |
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建築探訪
市営住宅柏陽団地 |
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所在地:
北海道恵庭市 柏陽町 建築年: 1971年〜77年 規模: 72棟,328戸 |
写真1 |
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JR千歳線の上り方面の列車が恵み野駅を過ぎて間もなくの進行方向右手のエリア。
そこに、二階建ての住棟が延々と建ち並ぶ団地が広がることに気付く。
散々眺めているはずの車窓からの光景なのに、なぜ今まで気に留めることが無かったのだろう。
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“風景は人にかかわりなく在るものではない。人の在り方に応じてさまざまに立ち現われるものである。”
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という、中村良夫著の「風景学・実践編」の冒頭に書き記された言葉を思い起こす。
暫し跨線橋からの眺めを堪能したのち、地上に降りて団地内を散策する。
車窓からは同じ規格に思えた住棟も、実は幾つか種類がある。 |
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写真2:
単純な招き屋根形式の住棟が建ち並ぶエリア。 |
写真3:
切妻屋根形式の平屋建て住棟が連なるエリア。 左手前のものはRC造。奥に見える三棟はコンクリートブロック造。 構造形式の違いだけでなく、集合煙突の取付き位置も、南側外壁面のものや北側のもの、あるいは棟部分に付くもの等、様々。 |
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以下は、単なる個人的な推察になる。
年度ごとの事業執行に対し、すが漏れ対策と雪処理に関するフィードバックに基づき、屋根形状を改良。
その変遷が、団地内の住棟形式に微妙な差異となって顕れた。
勿論、実際の配棟はそんなに単純ではない。
それに、改善に向けたフィードバックも、この団地の開発事業のみに完結したものではなく、同時期に北海道内各地で実施された同様の団地開発とも密接に絡んでいたのかも知れない。 |
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写真4:
招き屋根の妻面を寄棟とし、更に南面の軒先を腰折れの急勾配とした形状の住棟。 主に団地内の北側のエリアに配棟されている。 |
写真5:
PCa工法による住棟。 写真4とは異なり屋根の妻面を寄棟にしていないが、軒先を腰折れとした納りは写真2の住棟との微差である。 写真には写り込んでいないが、妻面の外壁には約900m間隔でパネルのジョイント目地が設けられており、PCa工法であると判別出来る。 |
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推察が膨らんだついでに、時系列に関して推察をもう一つ。
団地内の住棟は、コンクリートブロック造かRC造と書いた。 そのうち、RC造の多くは現場打ちコンクリートだ。 住棟によって鉄筋のカブリ不足や収縮に起因すると思われる経年クラックが散見されるのは、現場打ちに対する品質管理の問題もあろう。 しかし、団地の北側にあたる恵み野駅に近いエリアには、同じRC造でもプレキャストコンクリート(以下、PCa)工法を用いた住棟が確認できる。 これも、在来工法から始まり、各種フィードバックに基づく構造躯体の品質安定化を目指した結果と考えたらどうだろう。 広大な敷地の南側から始まった住宅建設が、エリア内を北進しつつ技術的な洗練を重ねて北端のPCa工法の採用で完了する団地の造成過程。 そんな物語を想い描くことも出来そうだ。 ちなみに、PCa工法を採用した住棟の規格は、隣接する北広島市内に建つ道営住宅高町台団地のテラスハウスタイプとほぼ同じである。 こちらの施工が1977年以降。 柏陽団地の開発期間を鑑みると、PCa工法採用の時系列的な流れにも整合が付く。 |
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2011.10.01/記 |