鰊番屋に強い関心を持った理由。
それは勿論、別途「ニシン番屋について」のページにて概要として記した通り、その特異な建築形態にある。
個々に様式化された二種の異相の空間が一つの屋内に並置され、その様態が外部の意匠に深く影響を及ぼす。
そしてその外観自体も特異な様式を成す。
しかし、そんな建築的関心以上に、状況への関心の方がより強かった。
鄙びた漁村集落の中に、あるいはその外れに忽然と壮大な木造建築が日本海に対峙しつつすっかり忘却に付されたが如くひっそりと鎮座する。
いずれもが無量から無という鰊漁に纏わる歴史を背負い、そして多くが漁労建築としての用途を失い永らく放置され朽ち果てなんとする境遇にある。
建築的な興味と置かれた状況へのシンパシー。
その二つがない交ぜとなって深く惹き込まれることとなった。
そんな番屋建築の中にあって、この八反田家番屋は少々趣きを異にしていた。
建築的にも、そして状況的にも。
まずは建築的な面。
建物中央よりやや片側に偏在して設けられた玄関と、その直上の屋根部分にケムリ出しが突出する辺りは、番屋建築の外観を構成する要素の範疇に留まる。
しかし、それ以外に、これを番屋だと視認する要素は乏しい。
例えばそれは、玄関を挟んで左右に網元と傭漁夫達の居住スペースを分ける構成原理のままに外観意匠を変える措置が見受けられないこと。
玄関を挟んだ双方ともに繊細な竪繁格子を伴った開口部が連なることで、外観を端正に仕上げている。
あるいは二階部分も同様。
道内の多くの二階建ての住居用途の建築に見受けられる様に、一階と二階で和洋の意匠を積層させるような措置は採られていない。
機能的に不要ゆえに格子こそ設置されていないが、両袖に繊細な意匠の袋戸を取り付けた和の設えで整えられ、一階廻りとの整合性を保っている。
つまりは、鰊番屋特有の動的な意匠を伴わぬ。
どこまでも繊細に、そして端正に外観が纏められている。
しかしそれにも関わらず、内観は鰊番屋建築の様式に則っている。
向かって左手に傭漁夫達の居住スペースである「ダイドコロ」、右手に網元の居住スペースがそれぞれ配置される。
様式に関する外部の離反と内部の遵守。
しかしながら双方に乖離や破たんは見受けられぬ。
洗練度の高い建築だ。
一方の状況的な面における他の番屋との相違。
それは、極めて良好に旧態が維持され続けていたことにある。
番屋としての機能を失ってからも海の家として活用されるなど、時代に移り変わりに応じつつ海に纏わる用途にあてがわれながら、大切に建物が維持され続けてきた。
廃墟然とした番屋が多い中でそれは奇跡的なことであった・・・と、ここでは語尾を過去形で記している。
残念なことに2011年6月29日、この番屋は火災によってその姿を失うこととなってしまった。