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万年塀
※1

プレコン式組立てコンクリート造の概念図*


国内における鉄筋コンクリート系プレハブ住宅の歴史を調べていると、万年塀の記述が時折目に留まる。 理由は、そのルーツが双方とも同じである可能性が高いとされているため。

鉄筋コンクリート系プレハブは、構造体を形成するパーツを標準化し予め工場で大量生産するプレキャストコンクリート構法の開発の歴史でもある。 その歴史を遡ると、昭和初期に伊藤為吉が発表した「組立混凝石建築」に辿り着くのだそうだ。
そこには、木造の落とし込み板壁工法(板倉工法)をコンクリート造に置き換えた様な納まりが確認出来る。 鉄筋コンクリート製の柱と柱の間に同じく鉄筋コンクリート製の板を差し込んで積み重ね、上端を梁で固定する構成。 個々のパーツは大人二人が無理なく持てる重量及び大きさに抑えられていた。
この形式は戦中から戦後にかけて田辺平学のプレコン※1に引き継がれ、ユタカプレコン(現、トヨタT&S建設)がその製作に携わる。 しかし、ここでこの組み立て構法の開発は途切れる。 その後ユタカプレコンは落とし込み板壁的な工法ではなく中型パネルを用いた壁式構造の開発にシフトした。 これは、現場での組み立ての前提が人力から重機の使用に変わり重量や形状の制約が緩和されたこと。 あるいは、パーツの細分化によって生じるジョイント部の止水性確保や組み立てに係る施工効率等のプレコンが抱える問題の解消が背景にあったのだろう。
1954年に中型パネルを採用したトヨライトハウスA型を、更に1962年に改良版のB型を発表。 B型はその後の量産公営住宅にも応用され、更に中層集合住宅向けのティルトアップ工法の開発等を経て今日の鉄筋コンクリート系プレハブ住宅の主流を形成するに至っている。

一方、同じく「組立混凝石建築」を基に工法が編み出されたと思しき万年塀の方は、その後外構部材として建物用途に拠らず広く用いられることとなった。
その初期段階における開発の経緯については諸説ある様だ。 しかし今では日本工業規格(JIS)にも規定され、その正式名称を「鉄筋コンクリート組立塀構成材」としている。

万年塀の施工高さは一般的にはちょうど大人の目線よりも少し上。 従って、道路や隣地からは敷地内を窺い知ることが出来ないものが殆ど。 多くの万年塀が、侵入抑止やプライバシー確保を目的としたし、あるいは敷地境界における外構の設え自体がその様なものとかつては捉えられていた。
しかし時代の推移と共に、価値観は大きく変容した。 地域コミュニティの醸成や景観への配慮。 地震時の倒壊リスク低減。 敷地内外を見通せる方が防犯上有利という判断。 例えばこの様な事々を背景に、閉鎖的な構えは減りつつある。 そんな傾向と共に、万年塀を見かける機会も少なくなってきた。

ところで、閉鎖的という印象の当該外構部材も、事例を観て廻るとそれなりに多彩な表情を持つことに気づく。 例えば以下の画像の様に、板状のパーツに様々な形状の孔を穿ったものだ。

主には通風の機能獲得が目的であろう。 しかしその形態操作に意匠性を持たせることで、例えばそこはかとなく和の表情を醸し出したものも見受けられる。
工業製品としての現場施工も含めた高度な生産性。 そしてその枠組みに抗うことなく付与されたささやかながらも多様な表情。 そんな観点で希少化しつつある当該外構部材に接してみることも、新たな佇まいの堪能の機会となるのかも知れぬ。



 
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*:引用した図版の出典
コンクリートブロック造及び軽量コンクリート造
<竹山謙三郎,浅野新一,平賀謙一/共立出版社(1952.1)>

2016.02.20/記
2020.05.02/文章加筆・調整,画像追加・差替