日本の佇まい
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建築外構造物
柿川に架かる橋の親柱

新潟県の長岡市。 幼少の頃から高校卒業まで、この街に住んでいた。 だから、勝手知ったる何とやら。 時折同地に赴けば、記憶の中に在る風景(若しくはその痕跡)を所どころで確認し得る。 そんな佇まいを愉しむ一方、新たに知覚する風景との出会いも当然ある。
市内中心部を流れる柿川と呼ばれる小さな河川に架かる幾つかの橋の親柱も、そんな遭遇の一つ。 最初に目に留まったのは、どの橋の親柱だったか。 記憶に定かでは無いが、個性的なコンクリート製の造形に関心を持ち、他の橋はどうだろうと川沿いを観て廻る。 すると、然程広くはない範囲に市街地ゆえに多数架けられた橋の一つ一つに、異なる趣向を凝らした造形が確認された。

一般的な桁橋において、建築物の内外観の様な意匠的趣向を凝らせる余地は少ない。 架橋に係る構造上の合理によって、その形状がほぼ確定する。
もしも意匠の付与を求めるならば、構造に直接関与しない欄干部分に留まろうか。 転落防止の用途に供するその部位の中でも特に目に付き易いのが親柱。 そこに、土木技術者たちの想いが込められる。

栄橋親柱
御幸橋親柱
霞橋親柱

追廻橋親柱

柿川は、同市を東西に分かつ信濃川の支川。 かつては、舟運によりその流域に街の中心部が形成された。 ために、架けられる橋の親柱にも、それなりの意匠性の付与が正当化された面もあったのではないか。

例えば、矩折に配した壁と四分の一の円形断面を組み合わせた栄橋。 欄干の笠木レベルと関連付ける様に四角柱の途上を矩形に抉り、更に天端にくり型を設けて表情を整えた御幸橋。 水平方向の深目地を重ねた、霞橋や雁行橋。 水平断面及び天端に曲面を多用した追廻橋。 四隅に大きくしゃくり面を取り、深目地と組み合わせて組積風にあしらった小畑橋。 凸部を帯状に重ねた意匠が整えられた一之橋、等々。

※1
掲載した各橋の竣工年
(画像掲載順)

栄橋:1956年3月

御幸橋:1954年9月

霞橋:1939年4月

追廻橋:1960年3月

一之橋:1939年4月

小畑橋:1941年11月

これ以外にも多数の橋が架かる。
それ以外の事例を含め、意匠への拘りが認められる親柱の多くは昭和三十年代以前に架橋されている※1。 個々に異なる意匠は、いずれも長年の風雪の作用によって表面にあたかも洗い出しの如く骨材が浮き出したテクスチュアと相俟って、深い風情を纏う。
一之橋親柱
小畑橋親柱

以降に架橋ないしは架け替えられた橋には、同質の意匠への意識は希薄な傾向が見受けられる。 それは、柿川の舟運としての機能が昭和初期に途絶え、連動する様に経済の中心が徐々に駅前へと遷移したことと関係するのか。 あるいは、車社会の進展による人の移動の高速化が、ささやかな意匠に目を向ける利用者の余裕を、そしてそこに価値を見い出す造る側の矜持をも喪失させてしまったのだろうか。

忙しく変容する街並み。
その中にあって、小さなスケールながら都市施設の一部として長年にわたって街を支え続けてきた泰然たる風格が、それぞれに漂う。



 
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参考文献:
マイスキップ2012年7月号<マイスキップ編集部>
ガイドブック柿川<長岡市立科学博物館>

2025.08.23/記