日本の佇まい
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北の古民家
日の出写真館

※1

斜面地に建ち並ぶ炭鉱住宅

※2

降りしきる雪の中、札幌発の夕張行き高速バスに乗車。 約二時間後、終点のリゾートホテル前に到着する。 降車した乗客たちは皆、煌びやかなその施設へと吸い込まれて行く。 その背後に広がる雄大なスキー場を暫し眺めたのち、私は独り逆の方向へと歩き始める。
向かう先は、かつてこの地で興隆した石炭鉱業に従事していた人々が暮らしていた住宅群。 山間の急峻な斜面地に雛壇状に造成された土地に横へ奥へと永遠に連なるかの如く建ち並ぶ炭鉱住宅群を捉えたかつてのこの地の風景写真を目にし、実際に訪ねてみたいと思い立った。 当時の手帳を確かめてみると、1991年1月15日のこと。
既に幾つもの炭鉱が閉山して幾年月。 代替の主力産業として官民挙げて整えた観光施設群の華やかさとは無縁に、それらは深い積雪の中に静かに佇んでいた。 住む人がいなくなって除却され、所どころ歯抜け状に更地が点在する中に木造平屋建ての長屋が並ぶ。 もはや、目にした一枚の写真と同じ壮観な風景は望むべくもない。 それであっても、かつての様態を容易に想像し得る程度の群景を辛うじて留める家並み※1を、暫し堪能する。

夕張の街の構造は容易に把握可能だ。 対面して山並みが迫り、その谷底に川が流れ、僅かな平地が線形に沿う。 その平地に商業地を含む街の機能が帯状に形成され、対面する斜面地双方に上で述べた炭鉱住宅が連なる。

炭鉱住宅群を巡り終え、谷底の商店街に向け斜面を下る。 冒頭で述べたリゾート施設との落差か、それとも断続的に雪が降り積む厳冬期の気候のせいか。 かつて石炭産業で栄えていた頃の活況をそれぞれの店構えに微かに漂わせつつ、街はどこか寂し気な趣きを沈着させている。
そんな通り沿いを特にあても無く彷徨うさなか、当該写真館が唐突に目の前に現れた※2

旧所在地:
北海道夕張市本町3
北東側外観

接道する北側立面上階の左手には、同一形状の二枚引違い窓が三行二列並置されている。 その右手、立面の中央部分には小壁を挟んで上下に開口が並ぶ。 上部は二枚引き違い。 下部は腰に鏡板を張った欄間付きの建具。 二階にも関わらず掃き出しとしたのはなぜだろう。 召合せ框が二本突き付けとなっているため、開き勝手は倹飩若しくは両開きと思われる。 更に右手に、欄間付きの上げ下げ窓が二つ。 それぞれの直上に配された窓も、中央の掃き出し窓と同様に倹飩若しくは両開きの様だ。

様々な建具が配されながら雑然とした印象に堕していないのは、配置された開口及び壁面のいずれも水平方向の幅及び配列が尺モジュールに則っているため。 そして右手の上下開口が、上部のものは天端が、下部は下端が、左手三行二列の開口の上下端とそれぞれ揃えられているため。 あるいは、いずれの開口にも、その天端に簡素ながらくり型を施したコーニスが配されているため。 更には、壁面が全て下見板張り仕上げであることも、全景を調律している。

北西側外観
北側立面
画像補足:
北西側外観画像の右端に映り込んでいる細い支柱を伴う工作物は、商店街の入り口等に設けられるアーチ看板。 道路の真上を横断するアーチの中央には、「梅ヶ枝横丁」の表示が掲げられていた。
 
矩形に収められた多様性と規律。 巧まざる措置が立面に商業建築としての個性を与え、永らく商店街に彩りを添えて来たのであろう。

※3
左手の三行二列の開口部分は、撮影スタジオだろうか。
下記画像は、「北海道開拓の村」に移築・公開されている「広瀬写真館」。 旧所在は岩見沢市。

こちらも、豊かな自然光を撮影スタジオに取り入れる目的で急勾配の屋根面に板ガラスを葺いた大開口を設け、内外観に個性を与えている。

北面であるがゆえに安定した自然採光が可能となるそれぞれの開口が、内部の如何なる諸室構成に対応して配置されたものなのか※3。 そしてそれぞれの開き勝手が選択された機能的要請は如何なるものであったのだろう。

建物そのものはL型の平面形状を持つ。 矩形に纏めた接道側に対し、直交して奥に配されたボリュームは一般的な家型の外観で纏められている様子が画像に写る東西側面背後の状況から確認出来る。
正面のみ家型のシルエットを排除し店舗としての構えを成す。 いわゆる看板建築に広く見受けられる措置ではあるが、しかし先に記した通り、当該建物の場合は単なる表装に留まらぬ。 屋内用途を踏まえた外観を形成。 加えて西側立面にも正面側の一部と同様の開口が並んでおり、接道側立面のみ意匠を取り繕っている訳ではない様子が見て取れる。 更にその奥、住居部分二階の温室のような出部屋の存在も興味深い。

2017年5月、同地を再訪する。
約四半世紀を経て、炭鉱住宅が建ち並んでいた斜面地は木々に深く覆われ、石炭鉱業が勃興する以前の山並みへと還りつつあった。 当該写真館も現存せず。 どの様に街並みに収まっていたのか。 それを確認する想いは、既に叶わぬ。



 
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2008.08.08/記
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