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掛川市
写真1補足:
掛川大手門駐車場。
その名が示す通り、近年復元された掛川城大手門の近傍に位置する。 頂部に瓦屋根を載せ、壁面の開口にも竪格子を取り付けて和風を演出している。


写真2補足:
地区計画に則り形成された“城下町風”な街並みの一部。
掛川市と聞いてすぐに思い浮かぶのが、「掛川市城下町風街づくり地区計画」と称する市内中心部を対象とした景観行政。 市街中心部に鎮座する掛川城に対する景観的配慮に関するデザインガイドラインとして1994年に策定された地区計画に則った城郭風の建物が対象エリアに面的に散在する。 代表事例としての自走式駐車場(写真1)に関する記事を建築専門誌で目にして以降、そのディズニーランダゼイションな風景が記憶の片隅に残っていた。 その自走駐や、あるいは他の事例を目視すべく駅の北口から延びる駅前通りを、対象エリアに向けて北進する。

写真1

写真2

例えば高層マンション。 そして公共施設。 更には店舗併設住居等々。
それらに施された明らかにソレと思われる意匠は、なるほど確かに掛川城という市域のシンボルに対する表層上の配慮と理解出来ぬ訳でも無い(写真2)。 あるいは、その様な配慮を欠いた建物が陸続と建ち並ぶ街中に歴史的建造物が異物の如く残置するという国内の何処ででも見かけるありふれた哀しき風景を想う時、安易に否定的な価値判断を投げかけることは軽率でもある。
しかし例えば、かつての城下町において町人の所有建物に城郭的な構えを施すことが認められていたのかといった時代考証も含め、単純に肯定的な捉え方が可能というものでもない。 ためにそれらに向ける視線は、掛川城との調和の妙というよりは、全く異なる建築用途の上っ面にソレ風を装う擬態の具体的手法、あるいはそんな擬態に溢れる都市という現象への興味といった点に留まることとなる。

そんな視点で市内を散策している折、もう一つの興味深い佇まいを見付けた。
それは、駅前通りに直交して東西に延びる道路の両側に形成された連雀町商店街の景観(写真3,4)。 そこには、同一もしくは類似する外表を纏った二階建てないしは三階建ての長屋建て形式の建物が歯抜けに建ち並ぶ。 それらはいずれも水平連窓をアルミスパンドレルで挟んだ立面を成す。

写真3補足:
掛川市内の連雀商店街の町並み。
右手前の建物は形式を異としながらも町並みには参画しようとする意思を持って立面を整えた様子が読み取れて面白い。


写真4補足:
商店街の中に建つ「連雀ニューセンター」。 同様に水平連窓の外観が確認出来る。 道路を挟んで向かい側にも同じ外観の建物が建つ。


写真5:

同じく連雀商店街の町並み。
右手に他と同様の形式を採用した三階建ての建物。 左側の建物二棟は、写真3の事例と同様に「近代化事業」に基づく建替えは未実施ながら景観の連続性に向けたファサードへの配慮が見て取れる。


写真3
写真4

その佇まいから、建築年は昭和30年代から40年代辺りと推定可能。 連なるそれらの群景は、防火建築帯か、或いはそれでなくとも何らかの地区計画に基づき形成されたものであろうことは一目瞭然。

興味をもち、市内の図書館にて少し調べてみることにした。 ちなみに、掛川城に隣接して立地する同市の市立図書館も、景観に対する配慮が十分に伺える外観を有している。 その館内で市史を捲ってみる。
関連する記述によると、1967年に「連雀町商店街近代化事業」を策定。 その事業計画に則り第一期工事を1968年8月1日に着手。 12月10日に竣工し、「新建材のアルミ色で統一」された商業店舗が完成したと記されている。 以降、二期工事を1969年に実施。 更に同じ通り沿いに連続する中町商店街にも、同様の地区計画が広がりを見せたとある。
このプロセスが、水平連窓を基本とした共通の形式を持つ建物が歯抜けながらも建ち並び、それらが面する歩道直上を覆うアーケードがその群景を横通しに連結する景観が形成されるに到った背景になる。

少々面白いには、商店街沿いに立地する地区計画に基づく建替え未実施の建物においても、景観的な連続性の確保に向けた配慮を立面に施したと推察される事例が散見されること(写真3,5)。 策定された地域計画の成果が、徐々に計画対象地域内の建物に緩く波及・拡大してゆく過程がそこに見て取れる様で興味深い。
あるいはそのことが、前述した近年の城下町風景観行政についても似た様に進行しているのかもしれぬ。

年月を経ることで今となってはむしろ懐かしささえ漂う群景と、昨今のディズニーランダゼイションな事例が市内中心部にてあからさまに出会いそして折り重なる。 60年代後半と90年代半ばという時を隔てた二つの異相の地区計画による成果の混交もしくは衝突。 同市の市街地はそのような視点で観察可能な町並みを呈している。



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参考文献:
掛川市史<掛川市教育委員会>

2020.01.25/雑記帳より移設のうえ加筆・画像追加