日本の佇まい
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町並み紀行
広川原
場所:
長野県佐久市田口

写真1:

群馬県の下仁田町と長野県の臼田町と結ぶ、群馬県道・長野県道93号下仁田臼田線。 峠道といった趣きのその県道沿いには、規模の小さな集落が点在する。
広川原も、そんな山間集落の一つ。 群馬、長野両県境を長野側に少し入った場所。 標高1120mの田口峠の手前に位置する。

県道から脇道に入って少々歩を進めると、県道に沿って流れる馬坂川に面した傾斜地に寄り添うように、集落が形成されている。 その世帯数、僅か数戸。 しかも、多くは廃屋の状況を呈している。
いずれの住居も、かつてこの地域一帯に広く分布した養蚕民家の形式に拠っている。 すなわち、ほぼ総二階建ての造りで、二階の外周にはバルコニーが廻る。 そして緩勾配の切妻屋根がその上を覆う。 バルコニーは、二階部分を中心に営まれていた養蚕のためのサービス動線として機能。 切妻屋根の上には、換気のための越屋根が付く場合もある。
山林に囲われ周囲から孤絶した環境が、かつての様式を物理的に留めることになったのだろうか。



写真2:
集落を、馬坂川より望む。傾斜地に集落が形成されていることが判る。
写真3:
集落内の民家。この地の養蚕民家の形式が良く現れている。

集落の奥には禅昌寺という寺があり、立派な山門が屹立する。 由緒は調べるに及んでいないが、その構えからは過去におけるこの集落の興隆を偲ばせもする。
そもそも、この地に人々が居を構えた経緯は如何なるものであったのだろう。 そして、人煙が立ち昇ってこのかた、どのような歴史を歩んできたのだろうか。

似たような規模及び状況におかれる山間集落は、全国津々浦々に散在する。 かろうじて存続するそれらの佇まいの歴史と今後。 そんなことに想いを馳せる機会となった。



INDEXに戻る 2011.06.11/記