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町並み紀行
濃昼
場所:
北海道石狩市
浜益区濃昼

写真1

※1
海沿いを走る国道231号。 その経路上において特に険しい地形を持つ雄冬岬近辺。

国道231号が通る北海道西部日本海沿岸は、このような風景が連なる。
札幌市から留萌市までの全通は1981年。 冬期を含めた通年供用が可能となったのは1992年のこととなる。

かつて、札幌から日本海沿岸を通って浜益方面に向けて北上する長距離の路線バスが日に数本運行していた。 その経路の殆どは、国道231号を通る。
札幌市内のバスターミナルでそのバスに乗車。 市街地を通り石狩を抜け、出発から約一時間半を経過して厚田を通過した辺りから、車窓から眺める風景は極めて荒々しいものに変化する。 険しく切り立つ断崖絶壁が海に迫り、まとまった平地らしき箇所が殆ど無い。 そのため、道路は進行方向左手を日本海、そして右手を断崖に挟まれ、あるいは断崖に穿たれたトンネルを幾つも抜けながら北に向かって進路をとることとなる※1
旧来、船舶を利用した海上の往来を基盤に成り立ってきた沿岸の各集落を、車社会に対応した交通網の中で結び付けるべく敷設が進められたのではあろうが、この様な場所に良く国道を通したものだと感心する。
厚田から何本目かにあたる赤岩トンネルを抜けると、右手の視界を阻んでいたその断崖が山間に向かって鋭く後退。 視線が奥へと開ける。 そしてその崖に沿って、道路は右手に急カーブ。 小さな集落が眼下に見えて来る。
カーブが終わる辺りに設けられた停留所で下車。 浜益に向かって去りゆくバスを見送りながらバス停の標識を確かめると、そこには「濃昼」とある。

濃昼(ごきびる)。 難読地名として良く引き合いに出される。
その地名と同じ名前を冠した二級河川、濃昼川が日本海に注ぐ河口付近の谷あいの狭隘な平地部分に形成された小さな集落だ。 西端のみが、漁港を介して日本海に開かれている以外は、全て急峻な山に囲まれている。
そんな集落をバス停の前から撮ったのが写真1。 正面奥に、背後に山を背負う様に鰊番屋木村家住宅とその付属蔵が横一列に並んでいる。 鰊漁家建築のページにも載せている洋館を意識した異形の番屋だ。 その存在が、かつてこの集落が鰊漁場として大いに栄えていたことを物語る。
この木村家の向かって左手方向に漁港。 逆の右手に集落が細長く続く。 多くの住宅が海に対して妻側を向けるように配棟されていることが写真からも読み取れる。
海を背に集落の奥の方に歩を進める際の風景が、以下の写真2。


写真2

写真3

その一番奥の人家が途切れたところに、浜益村立濃昼小中学校の木造校舎(写真3)が見えてくる。 小中一体となったこの学校は、1897年開校という歴史を持つ。 そしてその校庭の脇に、濃昼神社に至る参道とその鳥居が立つ。
集落の西端が港。そして東端が学校と神社。 海に向かって幅方向が狭く奥行きが深い谷合の狭隘な平地の奥行き方向両端に集落の拠点となる施設を置き、その間に家々が身を寄せ合う。 そんな構造が見えてくる。

・・・と、ここまでは、私がこの集落を訪ねた1990年代前半頃の話。
今現在、既に小中学校は廃校。 木村家番屋は郷土料理屋として一時期活用されたが、いつの間にか閉店。 付属蔵も除却されている。 更に赤岩トンネルも、内陸側に平行して新赤岩トンネルが開通することによって閉鎖。 接続する国道の付け替えも行われ、急カーブは解消。 道路事情は改善されたが、以前から少なかった札幌からのバスの便数は更に減ってしまった。
時の経過と共に、集落と、そして集落を取り巻く状況はゆっくりと変わりつつある。



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