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住宅メーカーの住宅
プロトタイプモデル:竹中工務店・T型ハウス
1.鉄と紙の住宅
※1
コンコア外観*
住宅諸室の機能を居間や和室や水廻り等、6種に分類。 それぞれを3.6m×5.4m×2.7mの容積を持つユニットに収め、必要に応じ組み合わせて住宅を構成する手法が採られた。

※2

Tパネルの断面構成**

竹中工務店と新日本製鐵の共同出資で1964年8月に設立された日本ホームズは、ツーバイフォー工法を用いた住宅のイメージが強い。 確かに同社は当該工法に対する国内普及の先駆的役割を果たし、その事業期間の大半はこの工法による高級住宅の施工実績が占める。 但し、その設立初期においては他の工法の開発も行われていた。 例えば1967年5月に発表したコンコア※1。 これは、軽量鉄骨構造のユニット工法が用いられている。 そして今回取り上げるT型ハウスも、新規開発の工法に拠っている。

アメリカESI社の保有技術に基づき着想されたその工法は、フェノール樹脂を含侵させた厚さ0.3mmのクラフト紙を用いたペーパーハニカムコアを芯材にした両面フラッシュ鋼板を用いるというもの。 面材と枠材には溶融亜鉛めっき鋼板が用いられ高い耐候性と剛性を有する。 また、ハニカム内にロックウールを充填することで断熱性や遮音性能も併せ持つ。 そんな多機能パネルを床・壁・屋根に全面採用する。
その開発に、日本ホームズからの要請で竹中工務店が参画したのは1973年6月のこと。 他に、新日本製鐵や日立製作所も共同開発企業として名を連ねた。 各種検証を経て、「Tパネル※2」と名付けられた当該パネルを用いたプロトタイプモデル「T型ハウス」が、1975年1月初旬に竹中工務店の技術研究所内に建てられた。


T型ハウス外観**

なだらかに葺き降ろされた大屋根。 その屋根の端部を巡る力強い破風板。 壁式構造なので柱や梁等の軸組み材を要しないにも関わらず外観に生じているそれらの要素は、いずれも「Tパネル」のジョイント部分に設けられた樹脂化粧鋼板製の化粧材。
これらによって構成される外観は、鉄と紙による新開発の部材を採用した住宅という印象は希薄。 むしろ、同社が1973年3月に販売を開始した木造住宅「ナチュラル・デザイン」を彷彿とさせる。
プランは4LDK。 一階リビングは、その上部の屋根勾配なりの吹抜け空間を持つ。 また、両階に分けて配された水廻りにはユニット化された製品が用いられた。


T型ハウス平面図**

ちなみに、「T型ハウス」という名称は、アメリカのフォード車が開発した自動車「フォード・モデルT」に肖っている。 同自動車が指向した大量生産やコストダウンの技術を住宅生産にも取り入れようという意図がそこに込められていた。

2.多機能部材 Tパネル
※3
プロトタイプモデル矩計図**
図中の網掛け部分は、T型パネルの内部に充填されたペーパーハニカムコアを示している。

※4
パネル周縁の枠材部分(白抜き部分)はペーパーハニカムコアが充填されないため無断熱。 その外部に張られた化粧材は断熱材が裏打ちされているが、面強度の確保が目的であり熱抵抗値は高くない。 従ってこの断面箇所に熱橋の懸念が生じる。

当該モデルの矩計図※3をみると、なるほど確かに外壁、内壁、屋根、床等、あらゆる構造材に「Tパネル」が採用されていることが判る。 パネルどうしの接合部における意匠的な配慮や止水性確保のための様々な工夫も窺える。
しかし、違和も感じる。 それは施工精度に係る逃げの不在。 誤差を許容し得ぬそのディテールは、大型鋼板パネルゆえに生じる温度変化に起因する熱収縮への対処についても疑問を持たせる。 あるいは、両面フラッシュを形成する鋼製四方枠どうしの接続箇所に生じている熱橋も、居住性能に対する不安要素だ※4

この熱橋について少し言及するならば、同モデルは、研究所内の福利厚生施設に供しつつ居住性能の実証試験が行われた。 そこでは敢えて高湿の使用状況も再現し有害な結露の発生が無いことを確認したと、報告書にある。
しかしそれは、熱橋箇所の室内側部分がいずれも巾木や廻り縁等の硬質樹脂製内装材で覆われているために表面結露が目視されなかったという状況なのではないか。 それら内装部材の内側における結露発生の懸念は、図面からは払拭され得ぬ。
そしてその発生が繰り返されることに起因する鋼材や内装材への経年の影響は如何にと、少々気にならなくもない。

また、上下階界床に関しては、この「Tパネル」の直仕上げであることが図面から判る。
床面はカーペットが敷かれているが、天井面の仕上げは、壁紙の直張りなのか。 図面には記載がない。 しかしいずれにせよ、天井懐が無い状況で照明器具の設置やその配線をどの様に考えていたのか。
内観写真(右図**)を見ると「Tパネル」を用いた壁のジョイント部分に設けた化粧柱の上部にコンセントが設置されていることが確認できる。 そこを電源に、コードを天井面に這わすか懸垂状に配し、シーリングライトに接続する形式が考えられていた様だ。 ペーパーハニカムコアを内部に断熱材を隙間なく充足させる構造ゆえに内部配線・配管が難しいTパネルの制約だったのであろう。

3.T型ハウスからハウス55へ
※5
旧建設省・通産省共催で実施。
延床面積100平米の住宅を、1980年(昭和55年)時点で500万円台の価格で大量供給可能な住宅生産システムを構築することを目標に掲げた。
提案競技が実施され、42の企業グループが応募。 TOPSグループを含む3グループが開発主体として選出された。

この「Tパネル」を用いた住宅生産システムの構想は、1976年に公募された国の先導事業「新住宅供給システム開発プロジェクト(通称、ハウス55プロジェクト)※5」での採択によって、現実味を帯びることとなった。 というよりも、実はこの「Tパネル」こそが、当該先導事業実施の発端となった経緯があるようだ。 その内情は様々語られているのでここでは触れない。 ともあれ、国からの支援を受けることとなったその技術開発は、新日本製鐵及び松下電工(当時)と組んだTOPSグループと称する開発企業体によって実現に向け推進された。
しかし方針は途中で大きく転換。 「Tパネル」の採用範囲は上下階の界床のみとなり、他の部位は「Mパネル」と呼ぶ別途開発されたパーツが用いられることとなった。 これは、鋼製フレームの両面に乾式パネルを張った両面フラッシュパネルであり、開発の目玉であった鋼板ペーパーハニカムコア複合パネルを全面採用した住宅の実現はその時点で破棄された。

1979年3月、「Tパネル」と「Mパネル」を併用した居住性能試験棟が、ハウス55プロジェクトの一環として茨城県の筑波研究学園都市内に建てられた。
延床面積126.4平米。 越屋根を頂く切妻屋根を冠した4LDKのそのモデルの矩計図をみると、パネルの併用により熱橋部位が大幅に縮小。 また、天井も直仕上げではなく吊り天井に改められており、「T型ハウス」に見受けられた懸念事項への対処が図られていることが確認できる。 事業化を前提に、そのスケジュールを鑑みた現実的な対処が様々検討された結果だったのであろう。

同年11月、当該工法に係る各種要素技術の研究開発は完了。 しかしその成果は、日本ホームズではなくTOPSグループの一社である松下電工と、そしてナショナル住宅産業(当時)に引き継がれ、事業化に向けた商品開発を継続。 1982年1月1日にナショナルハウス55※6が発売された。
国費を投じて開発された技術のうち、実際に採用されたのは、界床部分への鋼板ペーパーハニカムコア複合パネルのみ。 他構造体は同社の既存工法が用いられた。 そのため当然のことながら、その外観は当時の同社の他の商品群との関連性の中に位置づけられる。 総二階建てながらも、各種化粧材の導入やメリハリのあるカラースキームによってソツなく纏め上げられたその外観には、T型ハウスの面影は見受けられない。 それでも、住宅生産の工業化に向けた夢は辛うじてその一部に実現されることとなった。

※6
ナショナルハウス55外観***


引用した図版の出典
*:日本ホームズ
**:竹中工務店
***:ナショナル住宅産業(当時)

2019.10.19/記