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住宅メーカーの住宅
プロトタイプモデル:ミサワホーム・第7号実験棟
1.工業化が拓く未来住宅
※1
延床面積100平米の住宅を、1980年(昭和55年)時点で500万円台の価格で大量供給可能な住宅生産システムを構築することを目標に実施。 提案競技が実施され、42の企業グループが応募。 ミサワホームグループを含む3グループが開発主体として選出された。
1980年代の初め頃。 住宅メーカーの住宅に深い関心を持っていた少年時代。 ミサワホームが当時配布していた月刊広報誌「ホームイングニュース」に掲載されたこのモデルの外観写真を見て、とてもワクワクした気分になったことを今でもよく覚えている。 こんな近未来的な住宅がいずれ商品化され世に出回るのかと。 端正な総二階建てのその住宅が緑量豊かな住宅地に建ち並ぶ風景に、輝ける未来を思い描いたものだった。
といっても、情報はその外観写真一枚のみ。 そしてそれが、住宅生産技術の工業化をテーマに建設・通産両省(当時)が立ち上げた「新住宅供給システム開発プロジェクト(通称、ハウス55プロジェクト)※1」に則るミサワホーム55のプロトタイプモデルであるということくらい。 但しその外観から、当時同社から発売されていたミサワホームA型二階建てに類似する内観構成なのだろうということは容易に想定し得た。

外観*

※2
ミサワホーム,昭和電工,日新製鋼,日立製作所で構成されたミサワホームグループ<MG-55>、新日鉄・竹中工務店・松下電工のTOPSグループ、清水建設・日立化成・日本通運・北進合板のSG-4グループ。
このうち、TOPSグループについては、「竹中工務店・T型ハウス」のページ参照。

※3
ハートコアの概念図*
上下二層にキッチンや浴室、トイレ等の水廻りの設備を集中配備してカプセル化。 パソコンの筐体に各種デバイスを任意に装脱着するかの如く、このカプセル化された設備ユニットを住宅に組み込む、あるいは交換することで、住宅建設の生産性や機能の更新性を獲得しようと構想された。
1980年開催の第6回東京国際グッドリビングショーに出展された。

概念図と平面図を比較すると、類似した形態のキッチンセットが確認できる。 また、概念図の上層に描かれた洗面室やトイレや浴室のレイアウトも、平面図の二階サニタリー部分と類似することが読み取れる。

それが実験住宅第7号と呼ばれるプロトタイプで、施工性や構造強度、そして各種室内環境を実物大モデルで測定・検証することを目的に1979年3月に筑波学園都市内に建てられたものであることを知るのは、近年になってからのこと。 建設された敷地には、今は一般財団法人ベターリビングつくば建築試験研究センターが立地する。 同施設には、各種部材の性能試験実施のため幾度か訪問している。 その敷地内にかつて当該モデルが建てられていたのかと改めて思うと、なかなかに感慨深い。
ハウス55計画は、提案競技を経て開発主体としてミサワホームグループを含め三者の企業体※2が選定され個々に開発を進めてきた。 同敷地内には、同じ時期に他二グループのプロトタイプモデルも同じ目的で建てられ、同様の検証が行われた。

2.中央コア/ハートコア
平面図を観てみると、A型二階建てと同様の中央コア形式であることが確認できる。 つまり建物中央に非居室用途を線形に纏め、その両翼に居室を接続する方式。

一階平面図*

二階平面図*

一階平面図を見ると、中央軸に玄関やホール、そして同社が同じ時期に開発を進めていたハートコア※3と呼ばれる水廻り設備を一箇所に集中させたユニットが設置されている様子が判る。
その中央軸の左右に取り付く居室は、どちらも室内を南北に分かつような三等分線が引かれている。 これは間仕切り壁ではなく、当該モデルがユニット工法によって組み立てられることに伴うそのモジュールを示したもの。 実際にはそれぞれ大きな一室の空間をなす。 二階平面も同様。 但し二階は、両翼共に三連のモジュールを南北に二分割する間仕切り壁が設けられ、四つの居室を確保。 全体で5LDKを成す諸室構成が中央コアによって合理的に組み立てられている。

ユニット工法による組み立て手順は引用した概念図の通り。 まず、一階中央軸の北側にハートコアを据え付ける。 そして両翼四隅に居室ユニットを設置。 ユニットに挟まれた離隔部分に南北のユニットを接続するPCaスラブやサッシを取り付ける。 同様の手法で二階部分も組み立てが行われる。


一階組み立て概念図*

二階組み立て概念図*

※4

第5号実験棟*
実物大モデルによる施工性の検証を主だった建設目的とした。 建物規模は、第7実験棟とほぼ同じ。

※5

第3号実験棟*
その外観から、第5及び第7実験棟と同じ中央コア形式の内観構成が読み取れる。

A型二階建てと同様の平面形式を持ちながら、外観は全く異なる。
それは、A型二階建てが木質パネル接着工法という同社独自の壁式構造を採るのに対し、当該モデルがユニット工法を用いたため。 鉄骨のラーメンフレームで構築されたユニットをモジュールとする構法と、そして同社が当該モデルの商品化のために開発したPALCと呼ばれるコンクリート系の外装パネルによって、それらの生産技術ならではの外観が形作られた。 即ち、上下階を連続する大開口。 そして石積みのパターンを転写したPALCによる独特の外壁の表情。 あるいは勾配を排したフラット屋根。 そこに、従来の住宅様式を参照し得ぬ。先進的で個性あふれる外観が実現した。

とはいえ、当該モデルは突然変異で現出した訳ではない。 その前年、同社では当該工法開発の業務提携を行っていた昭和電工の川崎事業所内に類似の内外観を持つ実験住宅第5号※4を建設している。 更に、その二年前の1976年。 かつて蒲田にあった昭和電工の中央研究所内において、三階建ての実験住宅第3号※5を試作している。 そこでも、中央コアによる先進の意匠の萌芽が見て取れる。

3.ホームコアからの進展
同社における中央コア形式の採用。 その源流を辿ると、1969年発表のホームコアまで遡ることになる。 その平面プランからは、明確な中央コア型の平面形式と水廻りの集中配置によるコア化の志向という第7号実験棟に通じる始原の姿が見て取れる。
ホームコア平面図*

3DK平屋建て16坪で総工費100万円という破格のローコスト住宅を、当時の同社の他商品と同等の品質を保ちながら大量供給する。 商品開発の主要テーマに据えられたその課題に対し、徹底した生産性の合理化、すなわちプレファブリケーションの深化が追求された。
内橋克人著の「続々続々・匠の時代ーミサワホーム「木と家と人」物語」の中では、そのことを「完全プレハブ」と記している。 その初期の具現形が、ホームコアである。 そして、同書には「ホームコアの原点に戻らねば」という同社の技術者たちの言葉が時折登場する。 その草創期から80年代半ば頃まで、同社における技術開発ないしは商品開発の拠り所として、ホームコアが常に意識されていたのかもしれぬ。

1976年のミサワホームO型発表以降、同社の商品体系の主軸が企画住宅に移行する迄の間、ホームコアは姿かたちを少しずつ変えながら同社の主力モデルの一翼を担ってきた。
そして企画住宅路線への移行後は、平屋建てのローコストモデルという位置づけがA型平屋建て、中央コア形式がA型二階建てモデルへと、要素を分岐しつつ引き継がれる。 一方、住宅の工業化に向けた一本の強い芯として、ホームコアの思想はミサワホーム55の開発路線にも継承。 第7号実験棟へと引き継がれた。
更にその流れは、雁行という動的な形態を伴って別稿に記した第8号実験棟へと繋がってゆく。


1981年に発表されたミサワホーム55の最初期商品化モデルに、この中央コア形式は反映されなかった。 様々な制約の中で、プロトタイプとは異なる様態に留まったことは、別途纏めたミサワホーム55・U型のページで既に言及している。 この中央コア形式と、その枠組みの中での設備のコア化がユニット工法を伴って商品化モデルとして結実するのは、1989年発表のミサワホームNEAT INNOVATORまで待つことになる。


 
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*引用した図版の出典:ミサワホーム

2021.08.14/記