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住宅メーカーの住宅
コラム.4:埋没する史実のまにまに
1.40年代プレハブを巡って

昭和40年代に建てられたプレハブ住宅の実見を目的に、その頃造成された住宅団地を時折巡っている。 見知らぬ人間が住宅街を徘徊している様子は傍から見ると十分不審かもしれぬ。 しかし、やましい意図は全くない。純然たる建築探訪だ。
こうして歩き回っても、往時の事例に遭遇することは稀だ。 他国に比べ住宅の建替えサイクルが短いと言われる所以である。 だから、見つかるととても嬉しくなる。
しかし、その殆どは改変が著しい。 それと判別することも困難だ。 一方で、旧態を良く留める事例もある。 その差異は極めて顕著だ。 改修されているものは徹底的に手が加えられているし、旧態を留めているものは頑なに原型を守り通している。 所有者の住まいに対する考え方や愛着の持ちようの違いが如実に顕れているといったところか。
観察の対象としては、どちらもとても面白い。 前者は、竣工時のデザインの痕跡を探し出す愉しみと、今日に至るまでの変容過程を想像してみる愉しみがある。 そして後者は、既に史料的な価値がそこに在る。



2.エコン住宅

写真1:
筆者が見かけた平屋建てのエコン住宅。旧態が良好に保持されている。
そんなプレハブ探訪のさなか、旧態を良好に留める興味深い事例に出会った(写真1)。 その外観を構成するシステムが敷地外からの目視においても極めて明瞭且つ特徴的だ。 ハテ、これは何処のメーカーの住宅だろう。 帰宅してから細々と収集している当時の住宅雑誌等をめくってみるが、断定するに足る情報がなかなか見つからない。 そのまま半年余りが経過していたのだけれども、意外な場所で手掛かりを見つけた。 何の気なしに入った地方の公立図書館。 そこに所蔵されているプレハブに関する調査報告書の中に、詳述が有ったのだ。
その資料から、メーカーが八幡製鐵所(現、新日鐵住金)のグループ会社、八幡エコンスチールであることを特定出来た。 名称は、エコン住宅。 「エコン」とはエコノミカルの意味なのだそうだ。

写真2*1
創刊号の表紙

写真3*2
創刊号に掲載されたエコン住宅の広告
※1
同誌は、現在も「SUMAI no SEKKEI(住まいの設計)」という名称で刊行されている。
八幡エコンスチールが住宅の商品化に向けた開発に着手したのは1959年。 1961年4月発売の「サンケイ家庭版−新しい住まいの設計※1」創刊号に、業務提携先が出した広告が載せられている(写真2,3)。 従って、エコン住宅は国内において初期に属するプレハブ戸建住宅ということになる。
私が観た事例も、その頃に建てられたものなのだろうか。 平屋建てであることや単純な全体構成からは、初期事例である可能性は十分にある。 であるとするならば、建てられてから半世紀以上が経過するとても貴重な事例ということになろう。


3.草分けということ


写真4*3
セキスイハウスA型外観


写真5*4
「サンケイ家庭版−新しい住まいの設計」に掲載されたミゼットハウスの広告

独立した戸建プレハブ住宅として国内で初めて商品化された積水ハウス産業(現、積水ハウス)の「セキスイハウスA型(以下、A型)(写真4)」が発売されたのは1960年4月1日と同社の社史に書かれている。 エコン住宅の発表がいつ頃であったのかは今のところ特定出来ていない。 しかし翌年の4月には広告を出していたことを鑑みるならば、A型と大して変わらぬ時期に発売されていたことは十分考えられそうだ。
同時期に発刊された住宅雑誌を何冊かめくってみると、エコン住宅とA型、そしてこの連載の初回で取り上げた大和ハウス工業のミゼットハウスの広告(写真5)が並ぶ。 住まいとしては少々いびつという印象のA型や、母屋の付属棟という位置づけに留まるミゼットハウスに比べ、エコン住宅の完成度は、誌面の広告写真を見る限りにおいては高い。
また、草創期のプレハブ住宅は技術的な制約のために平屋建てに限定されていた。 業界で初めて二階建ての住宅を商品化したのも積水ハウスと言われている。1962年に、平屋モデルを単純に二層重ねた総二階、若しくはそこに下屋を付け足した「セキスイハウス2B型」を発表している。 しかし内外観共に単調にならざるを得ず、商品性は決して良好とはいえなかった。
総二階ではなく、二階の位置を自由に計画できる工法が初めて商品化されたのは1963年とする文献が多い。 例えば、この年にミサワホームも二階建てモデルの商品化を実現している。

写真6*1
創刊第2号の表紙

写真7*2
エコン住宅内観

写真8*2
同左、外観
しかし遡ること二年前、1961年6月に発刊された前述「サンケイ家庭版」の第二号(写真6)に掲載されている八幡エコンスチールの記事には、二階建てのエコン住宅が紹介されている(写真7,8)。 細い鉄骨柱でリビングルームを軽やかに二階に持ち上げ、その真下にガレージを組み込んでいる辺りは、当時としては極めて先進的で意欲的な取り組みと言えそうだ。


4.埋没する歴史の廂間に
この様に、国内のプレハブ住宅においてエコン住宅が「草分け」あるいは「初」に関わる事項は少なからずあるようだ。 にも関わらず、歴史(住宅史)の中に記述されることは稀だ。
国内における住宅産業史自体が建築史の中ではマイナーな扱いであるが、それでもその手の資料を開けば、ミゼットハウスやA型は必ず登場する。 結局、草創期から現在に至るまでトップランナーの立ち位置で事業を継続しているメーカーの業績が記録として残される。 歴史とはそういうものなのかもしれぬ。
昭和30年代から40年代の住宅雑誌に目を通していると、エコン住宅以外にも今日において名前を聞くことの無いプレハブ住宅の記事が散見される。 その中には、草創期ならではの創意工夫に富んだユニークなモデルが埋もれているのかもしれない。


註:
この文章は、新潟県長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」に寄稿したコラムの再録になります。 当ページの内容は、同誌第178号(2015年11月発行)掲載記事です。
(レイアウトはhtmlの組み立て上、再構成)

引用した図版の出典:
*1:産経新聞出版局
*2:八幡エコンスチール
*3:積水ハウス
*4:大和ハウス工業

2019.12.21/記