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住宅メーカーの住宅
コラム.3:プレハブ住宅を巡る国の関与
1.プレハブ住宅団地

JR東京駅南端に位置する地下四階ホームから千葉方面に向かう京葉線。 途中、東京ディズニーリゾートや工場地帯を通り海浜幕張駅を過ぎた辺りから、車窓から望む風景は板状箱型の集合住宅が延々の如く建ち並ぶ様相へと変わる。
そこは、昭和40年代に造成が進められた千葉海浜ニュータウンという名称の住宅団地。 京葉線の複数駅を跨いで連なる広大なエリアには、日本住宅公団(現UR都市機構)が整備した住棟が並ぶ(写真1)。


写真1

その多くにプレハブ工法が採用されている。 外壁や床、屋根等を構成するコンクリートパネルを規格化し別の地の工場にて大量に生産。 それを現地に運んで組み立てることによって、品質の安定した居住空間が効率的に大量供給された。
規格化されたパーツの組合わせであるため、群を成す集合住宅はいずれも似た内外観を持つ。 建設時期による違いはあるものの、差異は僅かだ。



2.パイロットハウス

写真2*1

パイロットハウス技術考案競技採択モデルの一つ、三井造船の「MZ-HOUSE」施工風景。
一住戸を桁方向に三分割したユニットを工場で製作。 現地に移送し組み立てる工法が採用された。

写真3補足:
パイロットハウス技術考案協議で採択され実際に施工・分譲された住棟。
右が鹿島が開発したモデル「KHS-PT」。 左が竹中工務店のモデル「ICS-BT7」。

写真4補足:
大成建設の採択モデル「高層壁式PLC造共同住宅」。

そんな没個性的な風景の中に、周囲とは状況を異にする一画がある。 そこに並ぶ九棟の集合住宅は、個々に異なる内外観を持つ。 いずれも、旧建設・通産両省主催のもと昭和45年に実施されたプレハブ住宅に関する先導モデル事業「パイロットハウス技術考案競技」の一環で建てられたものだ。
同事業は、プレハブ住宅の普及を目的に、先進の生産・施工技術提案を建設会社や住宅メーカーから公募。 採択案を実際に建設し、公開・分譲するという骨子にて実施された。
そこでは例えば、住棟を構成する一つ一つの住戸をあらかじめ工場で殆ど製作。 それを丸ごと現地に運んで積み重ねるといった大胆な工法(写真2)等、趣向を凝らしたプレハブ集合住宅が建ち並んだ(写真3,4)。

写真3
写真4
それぞれを眺めて比較するのは楽しい。 けれども、さすがに築四十年を超える住棟群。 デザイン性を含めてそれなりに年月を経ているという印象は免れ得ない。
この事業では戸建住宅についても同様の考査が行われた。 しかし集合住宅も戸建住宅も、採択案の中でその後各社にて実際に商品化され継続的な事業展開を実現した例は僅かなものに留まった。


3.建設省vs通産省
パイロットハウスは、前述の通り旧建設・通産両省が主催する国家プロジェクトであった。 住宅は建築の分野なのだから旧建設省が事業を推進するのは判る。 しかしなぜ旧通産省までが?と少し不思議な気もする。 実は、国内のプレハブ住宅草創期において、その管轄に関わる主導権を巡って両省の熾烈な駆け引きが展開されたのだ。
先手を打ったのは通産省。 中央公論の昭和42年三月号に「住宅産業論」という論文を発表。 省としてプレハブ住宅の普及に努め、戦争終結以降慢性的且つ深刻な問題となっていた住宅不足の解消に寄与することを公にアピールした。 成長有望な産業に対し各種施策を立案・推進し育成を図る。 こうして国際水準の競争力を獲得した産業分野は幾多に及ぶ。 プレハブ住宅をそれらの工業製品と同様に捉え、その成長戦略を強力に推し進めようという考え。 如何にも通産省らしい発想だ。
この動きを苦々しく思ったのは建設省。 住宅は当然自分達のテリトリーだと考える。 かくして暫くの間、両省のなわばり争いが勃発。 一方が住宅施策を立案する部署を立ち上げれば、他方も少し異なる名称の同様の部署を設立する。 そして各種認定制度や資格制度も、それぞれの管轄のもとに似た様な仕組みが創設されるといった具合。 業界はその狭間で苦労する場面も多々有った様だ。


4.官製プレハブ施策のその後
写真5*2

ハウス55プロジェクト採択モデルの一つ、ミサワホーム55の施工風景。
そんなライバル関係にある両省が協力して主催したプレハブ技術の先導モデル事業は、パイロットハウスだけではない。 その後、昭和51年にも同様の技術考案競技を開催している。 新住宅供給システムプロジェクト(通称「ハウス55プロジェクト」)と呼ばれるものだ。 昭和50年度価格で百平米当たり五百万円の低廉で高品質な住宅を安定的に大量供給するシステムを五年後に実用化することを目標とした。
パイロットハウスとは異なり、こちらは選抜された三つの企業グループが昭和56年から57年にかけて相次いで商品化を実現。 市場に大々的に投入された。 とはいえ、こちらも当初の目論み通りとはいかず。 その後始まるバブル景気に向けた波の中で、業界は高級化路線へとシフト。 いわば、官主導の「国民住宅」として三社が発表したプレハブ住宅も、その流れに飲み込まれることとなった。
現在、国土交通省管轄の先導事業に往時の様な大掛かりな工法開発の類は見受けられぬ。 建物の長寿命化や環境配慮等、総論から各論的なテーマに移行している。 それは、市場のニーズが既に大量生産大量供給から、より高度できめ細かな居住性能の確保に移って久しいことの現れでもある。


註:
この文章は、新潟県長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」に寄稿したコラムの再録(一部加筆・調整)になります。 当ページの内容は、同誌第175号(2015年8月発行)掲載記事です。
・レイアウトはhtmlの組み立て上、再構成
・引用画像は掲載時のものと一部差替え

引用した図版の出典:
*1:三井造船
*2:ミサワホーム

2019.04.13/記