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住宅メーカーの住宅
コラム.2:彩り豊かな70年代プレハブ
1.プレハブの工法
前回は、国内におけるプレハブ住宅草創期の事例として、鉄骨を主要構造体に用いた工法について何点か挙げた。 しかし勿論、他の工法もある。 主だったものは木質系とコンクリート系、そしてユニット系。 それぞれについて草創期の動向を述べてみたい。


2.木質系プレハブ
事例としてミサワホームが代表格に挙げられる。 同社の前身である三澤木材プレハブ住宅事業部時代に、木製の構造パネルを接着剤と釘を併用して組み立てることで家を造る「木質パネル接着工法」を開発。 1962年の営業開始以降、同工法を進化させ、独創的な事業展開を図っている。
1876年にミサワホームO型(写真1)を発表。 これは空前の大ヒット商品となった。 その後のマイナーチェンジ商品も含め、シリーズ累計で5万戸以上も建てられたと言われているが、一つの住宅商品がここまで売れた事例は他国を見ても無い。 商業的な成功と住宅としての完成度の高さを受け、他社も追従して類似商品を多数発表。 その影響は今日にまで及ぶ。 これも、日本におけるプレハブ住宅の特異な一事象。 実際、今でも全国津々浦々にてO型を確認することが出来る。

写真1*1
写真2*1
草創期においては、同様に木質系工法を用いたメーカーが幾つか存在した。 しかしその大半は、ツーバイフォーという欧米の木造工法を国内で施工することが1974年に解禁されると、そちらに流れて行った。


3.コンクリート系プレハブ
写真3*2

コンクリート系プレハブ工法の施工事例。 画像は、パイロットハウス技術考案競技の戸建部門で採択された竹中工務店のモデル「ICS-PH」の施工風景。 同工法はコンクリート製のパネルとユニットが併用された。
二つ目が、コンクリート系。 大成建設ハウジングのパルコン(写真4)などがその代表。 もともとは日本住宅公団(現、UR都市機構)が建てる団地の効率的な施工のために開発された工法を戸建て住宅向けに応用。 1968年に住宅事業を開始した。
当初はそれこそ板状箱型の団地の一部を切り取って戸建て住宅にしたが如くの無味乾燥な内外観を呈し、強靭さだけが取り柄みたいなところがあった。 そしてそれはパルコンのみに限ったことではなく、この工法を用いた住宅に共通していた。 しかし今現在では、洗練されたデザインのモデルが多数発表されており、隔世の感がある。

写真4

写真5*3
パルコンもそうであるが、この工法はゼネコンが住宅事業に進出する際に採用される傾向があった。 例えば、かつては清水建設がシミズホーム、間組(現、安藤・間)がハザマホーム(写真5)という名称のコンクリート系戸建てプレハブ住宅を手掛けていた。


4.ユニット系プレハブ
※2

写真6:
中銀カプセルタワービル外観
三つ目がユニット系。 これは、どうせ工場であらかじめ作るのならば、構成部材ではなく一部屋を丸ごと作ってしまおうというもの。 プレハブの草創期においては、このユニット工法こそが、プレハブの究極の在り姿と捉えられていた面がある。 従って、住宅メーカーのみならず、建築家もこの工法を採用した作品を発表している。 例えば、黒川紀章設計の「中銀カプセルタワービル※2」などが挙げられよう。
住宅メーカーにおけるこの工法の先駆は、積水化学工業が1970年に発売した「セキスイハイムM1」だ(写真6,7)。 その最初期製品は、箱を単純に積み上げた様なラディカルなデザインであった。 その新奇性が市場に受け入れられて事業的に大成功。 結果、例えばヤクルトやカネボウや日立化成など、異業種からの後追い参入が相次いだ。

写真7*4
写真8*4
しかし、この工法は工場生産ラインが他に比べ大掛かりであり、初期設備投資が大きく事業化のハードルは高い。 そのため、オイルショックなどの経済情勢の影響で淘汰が進み、現在この工法を採用するメーカーは、積水化学工業を含め数社に留まる。


5.百花繚乱の70年代
※3

写真9*5
主だった工法についてその概要を書いてみた。 勿論これ以外にもユニークな工法が編み出された。 例えば、地上で二階部分を先に作り、それをジャッキで二階の高さまで持ち上げ、その下に一階を造るという工法。 写真9は、フジタ工業(現、フジタ)が商品化していた木質系の戸建住宅「フジタハウス」の施工風景※3。 二階部分をリフトアップしている状況。 正規の位置まで上昇させた後、その下部に一階を施工する。 これだと、高い場所での作業を行う必要が無くなり安全面でメリットがありそうだ。 あるいは、工場で完成させた家を一旦折りたたみ、現地に運んでから元に広げる工法という工法を採用したメーカーもあった。
この様な創意工夫のもと、様々なプレハブ形式が開発され、市場に揉まれて淘汰される。 その間、それぞれの方式に基づき各社がその個性を競いつつ多彩な商品を続々と発表。 1970年代の住宅産業界はまさに百花繚乱の様相を呈していた。
今現在、同業界に当時の様な活況は見い出しにくくなってきた。 各社の個性が希薄になりつつあるという印象だ。 その要因については、また機会を改めることにしたい。


註:
この文章は、新潟県長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」に寄稿したコラムの再録(一部加筆・調整)になります。 当ページの内容は、同誌第173号(2015年6月発行)掲載記事です。
・レイアウトはhtmlの組み立て上、再構成
・引用画像は掲載時のものから一部差替え

引用した図版の出典:
*1:ミサワホーム
*2:竹中工務店
*3:安藤・間
*4:積水化学工業
*5:フジタ

2018.12.01/記