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住宅メーカーの住宅
コラム.1:類稀なる日本のプレハブ住宅
1.なぜ、プレハブ住宅か
※1
ページ末尾注記参照。
プレハブ住宅に関する記事ということで、唐突に思われた方もいらっしゃるかもしれぬ。 なにせ、私も編集担当の方から話を頂いた時には、マイ・スキップ誌で本当にコレをやるの?と思いましたもの※1
確かに私は幼少の頃からなぜかプレハブ住宅に興味を持ち、一時期のブランクを除いて未だに趣味としてこの住宅形式について個人的に色々と調べています。 更には自身のウェブサイトに時折チマチマとその追求の成果を書き綴っております。
プレハブ住宅が趣味になるのかと思われるかもしれませんが、今の世の中、何事も趣味になり得ます。 ですから、まずは何故ここでプレハブ住宅なのかというところから始めることにいたしましょう。

2.特異な日本の住宅産業

筆者の居住地近傍に現存する大和ハウス工業A型。 1962年5月から1967年4月の間に発売されていたモデルだが、建設時の様態を良好に留めて現在も大切に住み続けられている。


パナホーム(当時は、松下電工住宅事業部)草創期の住宅。 最近まで良好な状態で建っていたが、撮影して間もなく解体されてしまった。


他の写真と同様、鉄骨造を用いた昭和30年代後半のプレハブ住宅。 八幡製鐵が発売していたエコン住宅の建設事例。 当時は、製鉄会社がプレハブ住宅事業に参画する例も多く見受けられた。
プレハブという言葉を聞いて、どのような住宅をイメージされるだろうか。 災害後に建てられる仮設住宅や建設現場に設置される事務所などを思い浮かべる方が多いのではないかと思う。 私も、それがプレハブ住宅であるいう認識のもとに初めて眺めた事例は小学生の頃に遡る。 上越新幹線の高架軌道建設に従事する職人の方々の宿泊施設として建てられたものだ。 建設現場近傍の空き地に忽然と幾棟も建ち並んだ風景は、とっても壮観であった。
そもそもプレハブとは、プレファブリケーション(prefabrication)の略。 つまり、pre=あらかじめ、fabricate=工場で生産するという意味であることは、専門書に大方載っている。 作り置きした部品を現場に持ち込み、効率良く一気に家を組み立ててしまう。 だから、緊急とか仮設という条件で建てる住宅として、プレハブは強みがある。
しかし、プレハブ住宅はそのような用途のみでは語れぬ。 例えば、積水ハウスや大和ハウス工業、あるいはミサワホームやパナホームといった住宅メーカーは、家を建てる機会を有した方のみならず、TVや新聞の広告等を通じて多くの人が知っていることであろう。 実は、これらの会社が扱う住宅にもプレハブ工法が用いられている。
いずれも昭和三十年代後半に住宅業界に参入。 個々に独自の工法を開発して事業展開を図り、今日の地位を築いている。 そして、大和ハウス工業と積水ハウスは年間売上高が一兆円を超える巨大企業。 住宅メーカーでこれ程の事業規模を安定的に継続させている会社が存在するのは、実は日本のみ。 この四社に限らず、その多くは昭和三十年代から四十年代にかけて創業。淘汰の波を乗り越えて大企業として今日の住宅業界に君臨する。 ここに、プレハブ住宅に関する日本の極めて特異な状況が見えてくる。 そんな辺りに、この紙上で取り上げてみる価値が見い出せるのではないか。

3.プレハブ住宅草創期
国内におけるプレハブ住宅の歴史を紐解く際にどこまで遡るか迷うところではある。 しかし、住宅メーカーの継続的事業として成り立った最初期のものは、1959年10月に大和ハウス工業が発売した「ミゼットハウス」とするのが一般的だ(右写真)。
といってもこれは独立した戸建て住宅ではなく、母屋に付属して庭先に据え置く別棟の扱い。 例えば、個室を欲する子供のために勉強部屋として離れを建てましょうかというニーズを狙った商品。 その施工時間は約三時間程度。広さ6畳でお値段は工費込み11万8千円(当時)。 デパートでも販売を行ったという。
そして積水ハウスが1960年4月に「セキスイハウスA型」を発売。 こちらは付属棟ではなく独立した戸建て住宅として成立したモデル。 外装に金属素地のパネルが用いられたため、一部からは「米びつ」などと揶揄されたという。 その完成度は今一つで、早々に後継モデルにとって変えられた。
また、パナホーム(当時は、松下電工住宅事業部)も1961年に「松下住宅1号」を発表している。
ここに挙げた三社は、いずれも鉄骨を主構造に採用している。 プレハブ住宅の草創期において鉄骨が使われた背景。 それは、1950年に勃発した朝鮮動乱と深く関わる。 この動乱をきっかけに鉄の需要が高まり、鉄鋼メーカー各社は増産体制を敷いた。 しかしその特需の収束と共に新たな市場開拓を迫られ、住宅に目が向けられた。 そのため、プレハブ住宅草創期においては、この三社以外にも鉄骨造を手掛けたメーカーが多い。
勿論、鉄骨系以外の工法もある。 今日に至るまで用いられている主だった工法は他に三種。 木を用いた木質系のもの。 コンクリートを用いたもの。 そしてユニット系だ。 それぞれに関する概要や歴史については機会を改めたい。

4.技術史としての再考
さて、その草創期について、鉄骨を主要構造体に用いた事例について少し書いてみた。
住まいは、そこに暮らす人々の想いが最も大きく反映される物理存在だ。 プレハブ工法が用いられたハウスメーカーの住宅とて例外ではない。 一つの産業として、その時々の多岐に及ぶニーズに適切に対応すべく、あるいは先導すべく各社切磋琢磨して商品性や技術を洗練させ今に至っている。
例えば、その草創期においては、戦後間もない時期における絶対的な住宅不足という社会問題に対し、低廉で高品質な住宅を安定的に大量供給するという使命を帯び、各社技術陣が試行錯誤を繰返した。 今日の同業界の隆盛は、草創期における技術者達の果敢な挑戦が礎となっている。 それは既に半世紀前の出来事。 特異な日本の産業形態の一つとして、技術史の視点から往時のことを捉え直すべき時期に差し掛かっているようにも思う。


註:
この文章は、新潟県長岡市を中心に発行されている地域情報誌「マイ・スキップ」に寄稿したコラムの再録になります。 当ページの内容は、同誌第169号(2015年2月発行)掲載記事です。
(レイアウトはhtmlの組み立て上、再構成)

2018.07.14/記