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住宅メーカーの住宅
最上位型式の継承:ザ・センチュリーNEW CERAMIC
1.受け継がれる型

※1

ミサワホームG型外観*

※2

上に引用したミサワホームG型外観南面中央の大開口の屋内に配されたウェルカムホール*

1986年にミサワホームから発表されたモデル。
たっぷりとおおらかに葺かれた大屋根。 その頂部には、3階の存在も垣間見える。 そして南面中央に三角平面を伴って張り出すボリューム。 これらの外観構成要素や全体象からは、同社が1978年に発表した企画住宅商品群の最上位モデル、ミサワホームG型※1を想起させる。


外観*

その印象は、平面プランにおいても同様。 妻側立面の北寄りに設けられた両開き形式の玄関ドアから屋内に入ると、G型を思わせる諸室配置が各階に展開する。
勿論、違いもある。 例えば南面中央に配されていたウェルカムホール※2の廃止。 三角平面の全面ガラス張りの巨大なサンルームや、そこに向かって張り出す折り返し階段の中間踊り場。 そして2.5層の豪放な吹抜けによって構成された最上位モデルならではの象徴的空間は、温熱環境の面では厳しい面もあったのか。 象徴性とのトレードオフと位置付けるにはなかなかに厳しい空調負荷に考慮し、現実的なリビングルームへと改められた。

各階平面図*

しかし、象徴機能を担う垂直要素としての階段や吹抜けは玄関ホールに移設。 より鉛直指向の高い空間が整備された。
あるいは、G型のもう一つの大きな特徴であったウェルカムホールの直上にあたる2.5階に配されていた南面中央のエクストラルームも3階へと、そして更にルーフデッキと関連付けられ、天空に向けた更なる高みへと再編がなされた。

かように、ミサワホームG型の型を踏襲しつつより豪壮に発展させたモデル。 ザ・センチュリー NEW CERAMICには、工業化住宅による豪邸の在り方として同社がG型で具現化した型式を継承しようとする意志が、内外観のそこかしこに見い出される。



2.住宅生産の工業化からの分岐
2-1.PALCとパコカライン論

※3
延床面積100平米の住宅を、1980年(昭和55年)時点で500万円台の価格で大量供給可能な住宅生産システムを構築することを目標に実施。 提案競技が実施され、42の企業グループが応募。 ミサワホームグループを含む3グループが開発主体として選出された。

※4

ミサワホーム55外観*

当該モデル名称に使われている「NEW CERAMIC」とは、同社が開発したPALCと呼ばれるコンクリート系の外装パネルを指している。
住宅は様々な部材の集合体として形作られる。 例えば壁一つとってみても、構造体、内装材、断熱層や防湿層、防水材、外装材、外層仕上げ材等々。 求められる要求性能が各部材に分散し、ために幾つもの工種が複雑に取り合う状況が労働集約型の現場の生産性を規定してしまう。 ならば、単一素材に出来るだけ多くの機能を担わせれば、住宅生産の在り方を大きく進展させ得る。 そんな発想から、「多機能素材パネル」の開発が同社で始まったのは1972年頃のこと。
一方、ほぼ同じ時期にあたる1971年6月に「パコカライン論」なる住宅生産理論も発表している。 これは、国内において古来より主に軸組を基本に継承・洗練されてきた住宅生産システムを、パネル化、コア化、カプセル化と進化させる発想。
二つの構想は、前者がPALCに、後者が鉄骨造のラーメンフレームを用いたルームユニット構法へと進展。 更に、旧通産・建設両省共同の先導モデル事業として1976年に発足した「新住宅供給システムプロジェクト(通称「ハウス55プロジェクト」)」※3の採択モデルとして1981年1月に発表された「ミサワホーム55」※4に双方の技術が結実した。
以降、同素材及び構法を更に発展させたモデルが同社から多々発表。 近年に至るまで、HYBRIDという呼称で同社の商品群の一体系を成し続けてきた。

2-2.パコカライン論からの分岐

ザ・センチュリー NEW CERAMICにはPALCは用いられているが、ユニット構法は採用されていない。 形式的には重量鉄骨造三階建てになる。 即ち、軸組造。 PALCは、その構造フレームの外表にカーテンウォールとして取り付けられる。

ユニット構法は、工場生産されたルームユニットを現場に輸送するプロセスに伴う道路交通法上の寸法制限が、そのモデュール設定に深く関わる。 即ち、2500mm弱の短辺幅が住宅全体の寸法体系を支配し、内外観意匠に大きな影響を与える。
一方、その構法に拠らず軸組造を用いたザ・センチュリー NEW CERAMICは、より自由なモデュラーコーディネーションが可能となる。 ここでは455mmを基本単位とし、更に水廻りには227.5mmモデュールを採用。 最上位モデルに求められるきめ細かなプランニングを可能とした。
軸線を45度振った1階の和室。 その角度の振れに沿う廊下によって玄関ホールからリビングルームへの優雅な空間展開を演出する動線の確保。 更にはその軸性に関連付けられたリビング南面に突出する三角平面の出部屋などは、モデュールの詳細化によってもたらされた従来の同社のモデルには無い動的な空間構成だ。

リビングルーム*
和室*
G型を照応しつつ、G型を成立させていた「パコカライン」における進化の第一段階目にあたるパネル構法とは異なる構造形式への分岐が、より動的な平面プランを実現。 最上位モデルとしての佇まいの在り姿が、より強化・深化された。

2-3.生産性と意匠性

生産性と意匠性は常に相剋の関係にある。 一般的に、前者を重視すれば後者に制約を課す。 逆に後者を優先すれば、前者のメリットは退行する。 双方のバランス、若しくは両立の在り方が、商品としての工業化住宅の出来栄えや価値をほぼ決定してしまう。
例えば積水化学工業のセキスイハイムM1は、前者に依拠しつつ、その枠組みならではの意匠に先鋭化することで、逆に高い商品性を獲得した。 ミサワホームO型は、双方が高次に両立した類い稀なる事例として空前絶後の大ヒットモデルとなり、以降の住宅市場における商品企画の在り方に深い影響を与え続けた。

ザ・センチュリー NEW CERAMICが後者に軸足を置いたのは、最上位モデルを指向するがゆえであろう。 そのための軸組造の採用。 しかし一方で、PALCの採用によって工業化への指向にも与する。
「パコカライン論」に則り一体不可分として扱われてきたユニット構法からPALCを切り離す措置は、既に1984年から同社の鉄骨系アパートメントにて採用され始めていた。 その流れは次の年、セラミックエイブル(センチュリーフリーサイズ)として戸建て住宅にも展開。 そして当該モデルを含むザ・センチュリーシリーズへと繋がった。



3.LDKの超克、OAGのその後
3-1.大きな生活
同モデルを含むザ・センチュリーシリーズの初期事例は、「LDK+OAG」を今後の住まいの形として提唱した。 従来の公室としてのLDKと任意の数の私室というnLDKによって組み立てられる二元的なプランニングを乗り越え、より豊かな住まいの在り姿を獲得する手法として、更にOAGなる室の概念がそこに追加された。
ここで、「O」とはアウトドアリビングないしはアウトドアダイニング。 「A」はアトリエ。 「G」はゲストルーム及びゲストカーポート。
いずれも、これから到来する余暇時代を満喫する”大きな生活“に向けて住まいに求められる要素として提示されたものである。
外観俯瞰*
※4

往時の広告の画像*
M型2リビングに設けられた二つ目のリビング"余暇室"の活用事例がそこに示された。

そこに指向された思想の原点は、同社が1980年6月に発表したミサワホームM型2リビングになろう。
このモデルのプランには、従来のnLDKに加えてもう一つのリビングルームとして「余暇室」が組み込まれている。 そこは、週休二日制の定着と共に増えるであろう在宅の余暇を満喫するためのあらゆる事々が実践可能な室と位置付けられた。 そしてその室の在り方を象徴する演出として、数組の男女が余暇室にて正装に靴履きでホームパーティに興じる様子※4が販売資料に用いられた。 やや鹿鳴館的なぎこちない違和が漂うその画像は、しかし従来には無い未来志向の豊かな住まいの在りようを提唱・獲得しようとする商品企画の強い意志が込められたものであった。

同様の方向性のもと、より豊かな住まい方を描くべく提示されたのが、余暇室を進展させた三つの空間の概念、OAGだ。
例えばザ・センチュリー NEW CERAMICにおいては、「O」は大屋根がもたらす広々とした軒下空間や一階南面に三角平面に張り出す出部屋上部のベランダが。 そして「A」は同じく大屋根の頂部に設えられた三階のエクストラルームが。 そして「G」は軸性を45度振ることで構成された独特な意匠を伴う和室等がそれに該当する。

OAGが指向する大きな生活*
三階エクストラルーム内観*

これらの空間を伴うことによる住宅の豪壮化は、当時の国内の経済情勢の高揚とも深く関わろう。 より絢爛に、そして多彩な付加価値が貴ばれた時代。 その流れに沿ったモデルの提示は、企業価値の向上を担わせる思惑も勿論込められていたのだろう。


3-2.実質本位の暮しへ

OAGには、以前から議論のあったリビングルームの曖昧な位置づけ、即ち、いわゆる「リビング不要論」を乗り越える一つの手法として企図された面もあったのではないか。 用途が曖昧な空間であるリビングルームを要において組み立てるnLDKという設計手法の超克を、新たな設定した多彩な空間との連関によって実現する。
そんな作り手側の考え方は、しかし住み手のリビングの捉え方の進展に取って替えられているのが現状であろう。 例えばそれは「リビング学習」などの言葉によって象徴されるリビングルームの使われ方に代表される。 曖昧で使いこなす術に苦慮していたリビングルームが、住み手によって十分極々自然に使用される空間として定着している。
すなわち、OAGといった代替もしくは付加価値機能の提示など求められもしない。 住まいの中の公室としてのLDKに、既に十分OAG的なるものが取り込まれ使いこなされている。 そこに、かつての余暇室で演出されたぎこちなさは無い。

豪壮化と一体で提案されたかつての最上位モデルの型は、より日常に寄り添う素直な様態に変容し、超克ではないリビング空間そのもののありうべき姿としてそれぞれの住まいの中に存している。

 
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*引用した図版の出典:ミサワホーム

2023.01.14/記