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住宅メーカーの住宅
一形式の変容過程:ミサワホームCHYLDER O2/GOMAS O
1.O型Child以降
1976年に発表され、昭和50年代の工業化住宅を代表するモデルとして君臨しつつ、その立ち位置に安住することなく常に攻めの姿勢で改善や市場動向に応じた仕様の取り込みを貪欲に進めモデルチェンジを繰り返してきたミサワホームO型シリーズ。 その流れは、昭和60年代に入ってからも続く。 昭和50年代の時代背景と共にあった当該モデルが昭和60年代以降どのような変化を遂げたか。 別ページに記載のそれまでのモデルに引き続き、以降の変遷について二つのモデルの概要をここに記載する。


2.CHYLDER O2
※1
その他にも、同社では1989年9月1日に「ビバリーヒルズ」というブランドを発表。延床面積260平米以上、建設費を1億から3億と想定していた。
他社においても、例えば東急不動産は同じく1989年に分譲価格が数億円にのぼる「ワンハンドレッドヒルズ」という不動産開発を千葉県内で行っている。

※2
この傾向は、既に1982年9月21日発表のミサワホームOIII型のサンロフト仕様においても確認される。

※3

写真2*
一、二階を貫く吹抜けと大黒柱の上部に配置されたロフト。 それ以前の空間構成を継承しつつ、光に満ち溢れた今まで以上に豊かな設え。

※4
写真1はインナーバルコニー設置タイプであるが、このほかに屋内に取り込んで玄関直上の吹抜けにするパターンもあった。

1987年4月24日発表。
その二年前に先進5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)にて発表されたプラザ合意に端を発し、時まさにバブル経済の真っ只中。 沸き立つキャピタル・ゲインに世は浮かれ、だぶつく資産の消費先として住宅市場においても高付加価値を求める動きが加速した。 そんな市況に対応し、ミサワホームでも1986年9月21日に超高額住宅ブランド「ザ・センチュリー」をリリース。 延床面積343.17平米の「OAGのある家」を始め数々の破格な超高額高級事例※1が住宅展示場や販売資料を華々しく賑わせた。

初代モデルの発表から10年以上が経過したO型も、そんな市場動向と無縁ではあり得ぬ。 より広く、より豊かな方向へとその内容を大きく変質させたのがこのCHYLDER(チャイルダー) O2だ。


写真1:CHYLDER O2外観*

その象徴が、寄棟屋根の急勾配化とそれによって玄関側に設けられた巨大なドーマウィンドウ。 この形態操作は、外観から和風の要素を排除することとなり、和洋折衷の絶妙なバランスという初期のこのモデルの特徴は小洒落た洋風の印象へと大きく変貌を遂げることになる※2
そしてこのドーマウィンドウは大黒柱直上のロフトに自然採光と通風をもたらし、その空間はO型固有のやや聖性を帯びた暗がりの収納部から特別な居室(的な空間)へとその位置付けを昇格※3。 そんな変容の要としてのドーマウィンドウを筆頭に、二階北側居室の外部開口に出窓を採用し、玄関直上にインナーバルコニーが設けられ※4、更に一階のキッチンと洗面室を直接繋げる動線を増設する等、規模・仕様とも拡大する方向に内外観の改変が施された。



3.GOMAS O
※5
建築年数を経たO型の改修事例として、南側二階開口廻りのフラワーボックスをエクステリアメーカーの既製品バルコニーに取り替えているものが多く見受けられる。
当該モデルでのバルコニーの採用は、そんな入居後のニーズを組み込んだものなのかもしれぬ。

写真4*
GOMAS Oのリビングダイニングルーム構成事例

バブルクラッシュに前後する1990年9月1日に発表。
既に経済動向の潮目を掴んでいたのか、その内容は豪壮化にひた走ったそれまでの数年間の自由設計高級高額路線とは一線を画す。 かといって、単純な過去帰りの軌道修正でもない。 売れ筋モデルを推奨事例として揃えることで生産性や施工性の効率化並びにコストパフォーマンスの向上を図る一方、それらを雛形として扱うことで設計要望への柔軟な対応を両立させるセミオーダー的な組立てを標榜。 その雛形としてかつての企画住宅モデル群に白羽の矢を立てた。
名付けられたブランドは「GOMAS(ゴマス)」。 別ページにそれぞれ記載している昭和50年代に同社が怒涛の如く世に繰り出した企画住宅群、G型,O型,M型,A型,S型。 それらを一まとめにして再度ブランド化し、例えばG型の後継モデルは「モデルプランG」、S型は「モデルプランS」などと呼称。 その中に、O型を引き継ぐ「モデルプランO(以下、GOMAS O)」もラインアップされた。 勿論、いずれも単なる復刻ではない。 とりわけ、G型とM型はその内容を大きく変え、内外観にかつての意匠は見受けられぬ。 継承されたのは、以前の商品体系におけるそれぞれのモデルの位置付けのみという印象。 一方、形態としての面影を留めるO型を含めた他3モデルについても、時代の嗜好を取り入れた様々な調整が図られた。


写真3:GOMAS O外観*

このGOMAS Oについて言えば、外観に関したっぷりとしたおおらかな切妻屋根を採用。 外観ボリュームを豊かに演出している。 そして南側及び玄関側立面の二階にバルコニーを設けている点も過去のそれとは大きく異なる※5。 矢切パネルやバルコニー手摺を濃灰色とし、白壁との明快なコントラストを形成。 これは、旧O型において木調の化粧胴差や窓枠等の線形外装部材と白壁を対比させた構成の変容、ないしは新たな解釈と見立てることが可能であろうか。
推奨事例として販売資料等に提示された5種の平面プランバリエーションは、いずれも桁方向の幅が四間半以上。 それによって、旧プランにおける一階和室の床の間とその背後に間仕切り壁を挟んで隣接する洗面室出入口のやや強引な納まりが解消されている。 この寸法設定のみならず、いずれも延べ床面積が40坪以上であること等、余裕という点ではバブルの余波を引き摺っている、そんな印象だ。



4.その後のO型
写真5*
1976年発表の初代ミサワホームO型外観

2003年4月4日、昭和の名作の再構築という位置づけで「O type kura」というモデルが発表された。 GOMAS O以降、O type kuraまでの間におけるO型の動向は把握していない。 あるいは、その追及はあまり意味をなさぬことなのかもしれぬ。
O type kuraのキャッチコピーに「日本のあたりまえ」というものがあった。 なるほど、かつてのO型はシリーズ累計で5万戸以上が全国津々浦々に建てられた大ヒット商品。 二十世紀終盤の日本の風景、都市景観に少なからぬ影響を与えたモデルと言って良い。 そしてその基本骨格は他社の商品開発にも影響を与え、確かにスタンダードモデルとして定着し今日に至っている。
そんな日本の住まいとしての「あたりまえ」の形式となりながら、しかし現況その形式に則るものの多くと初期ミサワホームO型との間には厳然とした差異がある。 それは「企画住宅」という指向性、すなわち、生産性に依拠した固定プランを前提としつつ、そこに採用可能な提案をぎっしり詰め込むことで自由設計では得られぬ先進性を付与し、且つ自由設計以上に優れた住み心地を提供しようという思想の多寡だ。 そしてそんな「企画住宅」が最も有意に機能したのは、メーカー側が住まいの在り方を積極的に先導し得た昭和50年代の住宅市場においてのことであった。



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*引用した図版の出典:ミサワホーム

2016.07.02/記