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住宅メーカーの住宅
異形のユニット系:小堀住研・コボリコンポスU-71
1.卍型接合体
※1
コボリコンポスU-71外観*

シャフトとその周囲のユニットの関係等、構成原理をもっと視覚的に明確化させる措置が採られていれば、商品としての魅力付けが更に強化されたかもしれぬ。

小堀住研(当時)が、1971年6月に発表したユニット工法の住宅。
主要構造には鉄骨フレームが用いられ、ユニットの大きさは二種。 一つは、短辺2,400mm、長辺5,700mm、高さ2,450mmの直方体。 もう一つは、二辺を2,400mmに揃えたほぼ立方体のボリュームを持つ。

先ず、建物の中心に立方体のユニットを二層据え付けて、鉛直方向の動線として機能するシャフトを設定する。 シャフト内部は、その正方形平面に合わせて廻り階段を設置。 四隅に生じるそれぞれの踊り場を三段の段床が繋ぐ。
このシャフトの各立面に直方体のユニットが卍の字状に連結。 それぞれのユニットへは各踊り場に設けられた出入り口からアクセスするため、踊り場の高さに合わせて諸室のフロアレベルが決定される。
従ってその全体像は、シャフトを中心にその外周に直方体ユニットがスキップ形式で螺旋状に連なる構成となる。


各階平面図*

下層から順番に内部構成を記述すると、以下の通りとなる。
玄関に入ると、同じフロアレベルでリビングルームの用途に供する直方体ユニットが接続する。 そこから階段を四段昇ると、最初の踊り場に面してダイニングキッチンとサニタリー機能を収めた直方体ユニットが接続。 更に四段昇ると和室を収めた直方体ユニット。 更に四段昇って寝室の用途に供する最上層の直方体ユニットに至る。 最上層のユニットは、リビングルームのユニットを収めた最下層ユニットの屋根に設けたバルコニーに面する。 また、最上層ユニットの直下はピロティとし玄関ポーチの用途に。 そして和室ユニットの直下も同様にピロティとし駐車場の用途に当てている。

2.メタボリズムの可能性とユニットの制約

構造的制約を不問とするならば、廻り階段を収めた立方体ユニットを積層し続ける限りにおいて、その周囲に卍型に直方体ユニットを接続するこの構成は無限に拡張が可能ということになる。 そして個々の直方体ユニットは、原理的には隣接する他のユニットへの影響を及ぼすことなく任意に交換・更新が可能だ。 この辺りは、当時興隆していたメタボリズムの思想に通ずるものが窺える。
当時他社からも続々と発表され始めていたユニット工法の住宅が採用したボックスを単純に縦横に接続するという手法とは異なる独創性が見受けられるという点において、なかなかに野心的だ。


住居構成概念図*

しかし問題点もある。 それは、ユニットの構成上、居室の短辺方向の最大幅が2,400mmに限定されてしまうこと。
この寸法の制約は、工場で組み立てたユニットを建設現場まで移送する際に掛かって来る道路交通法の規定に対処したものだ。 他社の事例を含め、ほぼ全てのユニット工法の住宅がこの法規に基づきユニットの短辺寸法を2,500mm以下としている。
単純に縦横にユニットを接続する方式であれば、短辺寸法の倍数で居室の大きさを様々に設定可能だ。 一方、U-71の様に螺旋状に接続する構成手法ではその様なプランニングの自由度は得られぬ。
実際、第二層のダイニングキッチンは空間としての余裕に乏しいし、隣接するサニタリー部分も、全ての機能を無理矢理一纏めにした強引なものとなっている。 あるいは、第三層の六畳の和室も短辺方向が寸足らずなものとなっている。

※2
住宅生産における工業化工法の先導モデル提案事業。 112社から145件の応募があり、集合住宅10件と戸建住宅7件が採択。 入選作は関東と関西で実際に施工検証が行われ、検証モデルはその後分譲された。

※3
コボリコンボスP-71外観*
中央のユニットに非居室用途を集中。その両翼に居室用途を配置する構成はU-71モデルに比べると手堅い現実的なもの。
一方、ピロティやルーフバルコニーの設置、あるいは採用する外装パーツに、U-71との関連性を持たせている。

※4
従って、冒頭では「発表」という言葉を用い、「発売」という表現と区別した。

※5
嶺崎医院外観(部分)
3.先進性と商品性の狭間

当該モデルの開発の発端は、旧通産省・旧建設省・日本建築センター共催で1970年に実施されたパイロットハウス技術考案協議※2にある。
当該コンペティションへの応募に向け、同社では鉄骨系ユニット工法及び木質パネル工法を用いた二つのモデルを開発。 両案とも採択には至らぬ結果に終わったが、それらのモデルをベースに社内開発を継続。 翌年、当該モデルと、そして木質パネル工法を用いたコボリコンボスP-71※3を発表するに到った経緯がある。

同社の社史を確認すると、両モデルが載せられたカタログの画像が掲載されている。 しかし解説文や年表での言及はコボリコンボスP-71のみに留まる。 1971年6月の発売以降、プランバリエーションを増やし、1974年3月には「住研ホーム桂」に名称を変更。 その後の同社の「桂」シリーズの礎となったプロセスが説明されている。
一方、コボリコンボスU-71の方は、発売を示す具体的な記述が見当たらない。 カタログの存在や建築専門誌への掲載等、商品化実現を示す記録は散見されるのだが、その販売実績について今一つ不明なモデルである※4

コンペティションへの応募にあたり、その実施主旨を踏まえユニット工法に拠る提案を行うことは戦略として自然な流れである。 そこで、恐らく類似の工法提案が他社からも多数提出されるであろうことを踏まえ、一歩踏み込んで螺旋状にユニットが連なるラディカルな案を策定したという経緯があったのではないか。 そのラディカルさが、商品としての住宅という立ち位置において少々非現実的なものとなった面は否めない。 例えばそれは、敷地利用における非効率性や先述の居室の広さの問題等である。
商品としての実現性の曖昧さ、あるいは現実性からの乖離は、先導モデル事業に向けた開発という出自と関わっているのかもしれぬ。

4.ラディカルへの接近

建築家・渡邊洋治の作品の中に、嶺崎医院※5という医院併設住居がある。 「怪獣病院」もしくは「龍の砦」とも呼ばれるこの怪作は、その別名の通り、とぐろを巻いた龍が天へと飛翔するかの如き異形の外観を持つ。 そしてその外観のままに、内観も諸室がスキップフロア形式で螺旋状に連なる。

強引に関連付ければ、コボリコンポスU-71は、この嶺崎医院をユニット工法に置換し、更に商品化住宅に転換したものと解釈することが可能かもしれぬ。 勿論それは空想の飛躍も甚だしいし、そもそもその様態自体、両者は大きく異なる。 意匠はもとより、嶺崎医院が円形に連環するのに対しU-71は矩形。 そして前者は中心がボイドとなっているのに対し後者は鉛直動線を収めたシャフトが配されている。 しかし、ピロティから屋上庭園に至る迄の諸室を螺旋状に連携させる構成。 そしてスキップフロア形式の採用。 あるいは、前者の竣工が1968年で後者の発表が1971年という同時代性。
そんな辺りに無理矢理関連性を持たせて当該モデルを読み解いてみるのも面白いかもしれぬ。



*引用した図版の出典:小堀住研(現、ヤマダホームズ)

2019.07.27/記