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住宅メーカーの住宅
工業化せがい造り:三井木材工業 Hiハウス
1.二階建てへの挑戦

プレハブ住宅の草創期、各社から発表されていたモデルは、いずれも平屋建てであった。
住宅メーカーによるプレハブ住宅の原型と位置づけられるモデルは、1959年10月発売の大和ハウス工業の「ミゼットハウス」とされている。 庭先に別棟として建てることを想定した7.4平米から9.9平米の小部屋で、勿論平屋。
独立した住宅の最初期モデルとして1960年4月に積水ハウスから発表された「セキスイハウスA型」も平屋。 後続モデルとして翌年7月に発売された「セキスイハウスB型」や、1962年4月発売の大和ハウス工業の「ダイワハウスA型」も平屋であった。
以降、各社から発表されたモデルも平屋であった。

業界で初めて二階建てを商品化したのは、これも積水ハウス。
1962年には、「セキスイハウスB型」を単純に二層重ねた総二階、あるいはその総二階に下屋を付けた「セキスイハウス2B型」を発表している。 しかし、内外観共に単調にならざるを得ず、商品性は決して高いとはいえなかったのではないか。
総二階ではなく、二階の位置を自由に設定できる工法を最初に開発し商品化したのは、日商ハウスとミサワホームの様だ。 1963年、向ヶ丘遊園に開設された第三回朝日新聞社主催プレハブ住宅展に、両社とも総二階ではない二階建て住宅を出展している。
1965年には、積水ハウスの「セキスイハウス2B型」も二階の位置を自由に設定できるようになった。
更に、1966年にはナショナル住宅産業からインナーガレージとしてのピロテイを組み込んだ「ナショナル住宅R2N型」が発表される等、二階建てのデザインに多様性が出てきたのは1960年代半ば以降のことになる。

2.デザイン性を持つ総二階
※1
写真2:*2

ミサワホームO型外観

こういった状況下にあって、1964年に発表された三井木材工業のHiハウスは、総二階でありながらもデザイン性に優れたモデルとして興味深い。


写真1:*1Hiハウス 25型外観。

今でこそ、上下階の面積が同じという総二階造りは珍しいことではない。 しかし、当時においては冒険であった。
一般に、総二階作りの企画モデルで成功した事例というと、ミサワホームO型※1が挙げられる。 1976年発表のこのモデルの開発段階におけるテーマの一つに、「いかにしてずん胴の美人を作るか」ということがあったという。 それ程に、総二階というのはデザインに制約が多いと考えられていた。
結果として、化粧柱や化粧破風の配置、腰屋根の設置、二階部分のオーバーハング等によって単調さを補うことで、デザイン的に優れた外観を実現。 空前の大ヒット商品とあったことは周知の事実。

Hiハウスは、このO型の成功に遡ること十年前に、同様にオーバーハングを用いて優れたデザインの総二階建て住宅を実現したモデルだ。
吹寄せに組んだ二重の梁を一階外壁面よりも持ち出し、その上に二階を載せる。 更に二階の屋根も、梁によって持ち出され、深い軒を形成している。


図1:各階平面図*1

形態的には、全国各地の町家や旅籠に見受けられるせがい造りを連想させる。 なるほど、日本には総二階ないしは総二階的な住宅のデザイン手法が古来から醸成されていたのだ。
果たして、このモデルのデザインに、伝統的民家のデザイン形式が意識されていたのか否かは判らない。 しかし、その様なイメージを抽象化しつつ踏襲したという見立ては可能だろう。

3.工業化とブランディング

ところで、このモデルに採用された工法を工業化住宅という範疇に組み入れられるかは、実は少々微妙だ。
発表当時、つまり昭和40年代の住宅関連の書籍を見ると、いずれもこのモデルについてはプレハブ住宅として紹介されている。 当時はまだ新建材の扱いであった集成材を主要構造体に使用しているため、従来の木造軸組み工法とは区別した様だ。

あらかじめ大量生産した部材を用いて住宅を作るというプレハブ住宅の定義からすれば、確かにプレハブの範疇なのかもしれぬが、しかしそれでは在来軸組木造で一般化されているプレカットだってプレハブリケーションということになってしまう。 いや、既にプレハブ−非プレハブという分類自体が意味を持たなくなりつつあるのかもしれない。 しかし、工業化の度合いで分けるとするならば、少なくともユニット工法と同等とは言いがたい。
住宅建材としては当時は新進の工業株材であった集成材を主要構造体として用いることで、性能や品質面の安定を図りつつ、在来軸組み工法と同等の自由設計を可能にする。
そんなところが、このモデルの特徴ということになろう。


写真3:*1
玄関廻り外観

写真4:*1
ダイニングキッチン内観

同社では、この工法を採用した住宅を事業展開するに当たり、当時の木質構造の第一人者である横浜国立大学教授の飯塚五郎蔵に設計監修を依頼していた。
大学教授がプランニングに関与することによる他社との差別化。 三井物産グループの一社である同社のブランディング戦略の一環でもあったのであろう。

日本における住宅産業の興隆期において、その当時の住宅市場の中では特異なモデルが商品化された。



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引用した図版の出典:
*1:三井木材工業
*2:ミサワホーム

2011.08.21/記