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建築探訪
大栄ビルヂング(アーク栄東海ビル)
所在地:
愛知県名古屋市
中区栄2-9-5

設計:
ポール・ルドルフ
山下司
納賀雄嗣
建築年:
1973年9月

規模:
SRC10F,B4F

写真1:北東側外観

写真2:北側立面


※1

大栄プレタメゾン外観

※2
上記※1は初期事例。以降、同モデルは古典オーダーを模したパーツを表層に纏う意匠に変容する。 そこまで山下司が関わっていたか否かは不明。

ポール・ルドルフが日本で初めて手掛けた作品。 共同設計者として、山下司と納賀雄嗣の名前が連なる。

当該建物の元のオーナーは、この地を本拠に住宅及び不動産事業を展開していた大栄住宅。 同社は、1976年にコンクリート系プレハブ住宅「大栄プレタメゾン※1」を発表している。
当時、同工法を用いて事業展開を図っていた他社のモデルの多くは、あたかも公営住宅団地に建ち並ぶ住棟の一部を切り取って戸建てにしたかの如き無味乾燥とした内外観を呈していた。 そんな状況にあって、大栄プレタメゾンはそれらとは一線を画す。 例えば、部屋の間口若しくは天井高目一杯に嵌め込まれた大開口のサッシ。 立面ごとの庇の有無の使い分け。 あるいはその庇と関連付けた袖壁の設置による変化とメリハリの付与。 屋内空間への大胆な吹抜けの導入等々。

そのデザイン監修には、山下司が参画していた。 国内のコンクリート系プレハブ戸建て住宅の草創期において、意匠的に優れたモデルを実現し得た背景には、そのことが大きく関与している※2
時系列を鑑みると、同氏と大栄住宅の商品開発を繋げる契機は、当該建物に関する設計業務の受発注にあったのかもしれぬ。 勿論、逆の経緯も十分考えられる。 いずれにせよ、日本の住宅産業史の一項目に、この建物が深く関わっていた可能性。 そんなことを念頭に眺める外観は、周囲に建ち並ぶ同規模の建物とはやや異質なものに映る。

※3

写真5:南東側外観
南側隣地が平置駐車場であるために視認可能な外観。 接道する北側と同様のデザイン処理が見受けられる。

※4※6

写真6:サンクンガーデン
奥の階段を昇り切ったところが前面道路レベル。 その背後の地上部分に写真4のアプローチ。 手前の階段は、もう一つのアプローチ。

※5
写真3の左手ないしは写真4右手の円形の壁面等に、化粧出目地仕上げが確認できる。
この仕上げは、内観に露出する全ての円形柱型にも共通して用いられている。


写真3:ピロティ見上げ

写真4:エントランス廻り

上下両端をそぎ切りしたアルミ製のパイプが、竪繁格子の如く基準階の外表に並べられている(写真1,2)。 それは、斜線制限に対応して斜めにカットされた上層三フロアの外壁面にも同様に取り付けられ、あるいは接地階のピロティ空間内の壁面にも廻り込み(写真3)、更には接道しないがためにほぼ見え掛りとはならぬ建物裏手の南側立面や東西側面の一部にまで徹底して用いられている※3
接道する北側立面では、各フロアの非常用進入口の位置をずらすことでルーバーの設置間隔に微細な変化を与えて(写真2)表情を創り出す。 あるいは、ピロティ見上げのワッフルスラブに千鳥配置したダウンライトや、同じくピロティ内に配されたシリンダー状の壁面に設置したブラケット照明のデザインにも、同ルーバーとの関連性が認められる(写真3)。

そのピロティには広くドライエリアを設けサンクンガーデンを整備※4。 地下階と地上二フロア分を含めた三層の吹抜け空間が広がる。 建物規模に比して豊かな容積が確保されたのは、もともと本社機構を持つ自社ビルのエントランス廻りの構えとして計画されたためか。 その空間内には、建物を支える円形断面の構造柱が並び、それらの間に内部用途に応じたシリンダー状のボリュームを大小配置。 いずれもピッチの細かい竪方向の化粧出目地が表層に施され※5、外装竪ルーバーとの関連性を持つ。
建物出入口は前面道路よりも後退して設けられており、ドライエリアを挟んで左右に配したアプローチを通って屋内に至る。 そのアプローチには、地盤面と一階床のレベル差を処理するため、三段の階段を設置(写真4)。 段床には豆タイルが敷き詰められ、その端部は踏面の奥行を直径とするRを施した片持ちの意匠。
ドライエリア内に設けられた地下階と連絡する階段にも同様の意匠が施されている※6。 力桁形式ゆえに段床が一枚づつ独立した階段は、日本庭園に見受けられる飛び石の様にも意識される。 そしてそのサンクンガーデンからは、ワッフルスラブの天井や外装から廻り込む竪ルーバーの連なりが見上げの視線に確認される(写真3)。
例えば、ワッフルスラブは格天井、ルーバーは前述の通り竪繁格子、そのルーバー材の断面を中空の正円とし且つ端部を削ぎ切りする措置は竹に見立てられる。 更に力桁階段による飛び石のイメージ等、各所に採用された和様を思わせる意匠は、ルドルフ自身による日本的なるものの思索の結果であったのかもしれぬ。 これらの設えが相まって、前面道路を往来する際の視線を受け留める建物の基壇が演出された。

写真7:北側立面見上げ

建物最上部に載るシリンダーは、外壁面と同様のアルミパイプを密に並べて形作られたもの。 その配置は、ピロティ内に視認される円形断面の構造柱や同じくシリンダー状のボリューム等と共に建物全体を円筒の意匠で統制しようとする意図の顕れであろうか。
そのシリンダーを載冠する塔屋からは、左手に向かって空中歩廊を架橋。 かつては社旗掲揚に供したポールを天空に高く突き立てる鉄骨造の塔へと至る動線を確保している(写真1,2,7)。
建築制限から除外される条件の範囲内で配されたこれらの工作物は、機能のみを鑑みれば、形態的必然性は伴わぬ。 しかし、斜線制限による建物ボリュームのカットによって生じた空へと抜ける視線上の余白に設えられたそれらが、ファサードデザインやピロティ空間の構えと相乗して都市の只中にあって決して周囲の風景に埋没せぬ固有の佇まいを創り出した。



 
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2014.07.05/記
2021.05.22/改訂