日本の佇まい
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建築探訪
常祐山円徳寺
所在地:
東京都港区
三田1-11-48

写真1:本堂南側外観


※1
東京都港区内には、武蔵野台地から続く七つの高台が散在する。
三田台地はその一つ。 他には、北から順に赤坂台地、青山台地、飯倉大地、麻布台地、白金台地、高輪台地がある。


※2
上記※1の高台と低地を結ぶ坂道が近世より幾つも作られ、それが現代まで引き継がれている。
日向坂もその一つ。 江戸前期、通りに面して徳山藩毛利日向守拝領屋敷があったことが名称の由来。

渋谷川から名称を変えて港区内を流れ東京湾に注ぐ二級河川「古川」。 この古川が三田台地※1の西側の崖端に沿って流れる箇所に架けられた「二の橋」を渡ると、その先に「日向坂」と名付けられた坂道※2へと接続する。
二の橋の手前側には片側四車線の幹線道路である明治通りが古川の流れに沿って通り、大量の車が引っ切り無しに疾走。 古川の上空にも首都高速2号目黒線の二層構造の高架が重く覆いかぶさり、自然光を遮られた川面はどこかドブ川的な様相。 昭和半ばの高度経済成長期に実施された都市再開発の弊害がそのまま凝縮されたかの如き状況が、その場を支配する。
しかしながら、明治通りを背に首都高の真下を通り二の橋を渡って昇り坂に歩を進めると、雰囲気は一変する。 三田台地の北部に広がる「小山台」と呼ばれるそのエリアは、近世においては大名屋敷が並ぶ武家地であった。 そしてその地勢が現代にそこはかとなく引き継がれ、道路沿いには三井綱島倶楽部や旧逓信省簡易保険局庁舎、あるいは各国の大使館等が建ち並び、落ち着いた雰囲気を醸成している。

この坂道を散策する際には、これらの建物ばかりに目を奪われがちだ。 しかし、そんな道路に面してやや奥まった場所に、当該寺院が位置する。 日向坂に差し掛かってすぐの向かって左手に目を向けると、古風な山門の向こう側に不思議な形をした当該寺院の本堂の屋根が見える(写真1)。


写真2:本堂南側立面


写真3:本堂の屋根。
左手に首都高の高架が見える。

その建築形式を有り体に記述するならば「RC造・切妻・妻入り」ということになる。 建物正面に近づいてその外観を眺めれば、この記述のままの立面が普通に立ち上がる。 あえて特異な点を挙げるならば、棟木が二つに分割され吹き寄せに配置されていることくらいだ(写真2)。
外壁面そのものは、然程意匠に意が払われている訳ではない。 どちらかというとぞんざいな扱いだ。
しかし、やや距離をとって眺めると建物の印象は大きく変わる。
その棟木が、正面から後方に向けて一定の勾配を伴って高く持ち上がる。 従って、その棟木に架けられた垂木も、建物の後方に向かうに従い段階的に傾斜がきつくなり屋根勾配が徐々に変化。 結果、独特の屋根形状が形成され、建物の外観を個性的なものにする。 そして同時に、その形態がもたらす明確な軸性や対称性によって宗教建築の本堂をしての象徴性を内外観に付与している。
大雑把に言い切ってしまえば、日本の建築文化は屋根の文化だ。 屋根やその軒先、あるいは軒裏の意匠に最大限の配慮がなされる。 屋根の意匠性に特化したこの本堂も、構造をRCに変えつつそんな文化を受け継いでいるといえるのかも知れぬ。

日向坂を背にこの寺院を眺める際、左手に首都高速の高架を望むこととなる(写真3)。 そして同じく二の橋の向こう側に通る明治通りの喧騒が常時伝わってくる。 一方、逆の右手方向には武家地の名残を保つ奥ゆかしい大使館街が広がる。 そんな異種領域の結界に、当該建物が位置する。
その屋根は、首都高速高架や幹線道路といった巨大なインフラ施設に対して全くひけをとらぬ存在感を持って結界を護るかの如き様相を呈しながらそこに静かに鎮座する。



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