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建築探訪
四同舎(旧湯沢酒造会館)
所在地:
秋田県湯沢市
前森1-1

竣工:
1959年

設計:
白井晟一

構造:
RC2F

備考:
登録有形文化財

北西側外観


エントランスポーチ廻り
垂直方向の強い軸性を持つ構えながら、微妙に対称性が崩されている。 黒い柱は鋼板仕上げ。

※1

北側立面開口部廻り
二階縦長窓の面台として分厚い白御影を配し、直下の一階開口には丸穴を規則的に穿ったPCa製窓グリルが嵌められている。

その内外観を鑑賞する機会に恵まれ、JR湯沢駅に降り立つ。 秋雨前線の影響で、あいにくの天候。 冬の気配も少々感じさせる。
曇天模様というと、かつて当該建物の設計者である白井晟一の自邸・虚白庵を訪ねた際もそんな天気であったことをフと思い出す。 親族の御厚意で除却前に一般公開されたその日も、時折降雨を伴う陰鬱な雲に覆われていた。 入場制限を必要とする程に見学希望者が詰めかける状況にあって、それでもなお邸内は静謐さと奥ゆかしさと、そして深く安らかな闇に包まれる。 そんな崇高な佇まいを大いに堪能した。
一方、湯沢市を中心に県内に散在する氏の50年代の作品については、以前から今一つ腑に落ちぬという印象も持っていた。 書籍等を通じて目にするそれらは、どこか不思議でいびつなディテールやプロポーション。 虚白庵の佇まいとそれらがどうしても自身の中で一致しない。
果たして、その乖離が四同舎を観ることで解消され得るのか。 そんな関心と共に、市内中心街を貫通する旧羽州街道から少し奥まって立地する当該建物に向かった。

そうして眺める四同舎の内外観は、しかしやはり不可思議に溢れている。
例えばエントランスホールにおいて、繊細なテクスチュアのタイルを大部分の壁に張っておきながら一番目立つ正面の壁は荒々しいコンクリート打ち放し。 その吹抜けホール内の三方の壁を巡って二階に至る階段に優美な曲面を伴って取り付く木製手摺は、わざわざ白く塗装してテクスチュアを消している。 あるいは、一階集会室は床の間も床柱も無く、代わりに丸太が中空を飛ぶ。 本来であれば床の間が設えられるであろう筈の壁面に、室内のプロポーションを無視して唐突に外部開口が穿たれ、穴空きPCaを用いた窓グリル※1が見える。 その外観だって、分厚いパラペットが少々野暮ったく見えなくもない。
内外観ともに枚挙に暇がないそれらの不思議なディテールは、単純には規範からの離反、若しくは誤謬と受け留めそうなところ。 しかしその結論に簡単に至れぬのは、空間体験の中ではいずれも何の違和も無く個々の部位に納まっているため。

画像補足:
訪問時、エントランスホール内に円筒形の白い物体が置かれていた。 本文中のエントランスホールの画像の右隅に映っている表面にフルーティングが施されたものがそれ。
これは、2016年に解体された白井晟一設計の旧雄勝町役場(湯沢市雄勝庁舎)の柱の一部分。 解体を惜しんだ有志で切り出し移設したものだそうだ。
特徴的な楕円形断面が良く分かるとても貴重なものだ。

※2
一階集会室
正面左上に、本文で指摘した外部開口。 現状は換気扇で大部分が塞がれているが、かつては窓グリルから外光が粒子状にもたらされる趣向だったのだろう。

右手の太鼓張りの襖は、隅角部の打ち放しのRC柱と竪枠を介さず直接取り合う。 また、各部位に八掛けや留め納まりが多用されている。
天井照明はオリジナルのものでは無く、後に取り換えられたもの。
エントンランスホール
二階ギャラリー

つまり、ホール正面の壁が周囲と同様のタイル仕上げだったら、空間に締りが無くなってしまうだろう。 手摺も、集成材の生地のままだったら、その場の雰囲気の中で浮いてしまっていたかもしれぬ。 集会室も、外観構成上どうしてもそこに生じる外部開口に対して丸太を横に掛け渡たすことで、床の間と同質の設えが与えられている様にも見える※2。 パラペットだって、そこが豪雪地帯であることを鑑みれば、この力強さこそが地域性として求められよう。 あるいは、壁体が強調されたファサードに対しても、プロポーションを調律する上で過不足の無い厚みとも捉えられる。

形態操作に纏わるこれらの知覚は、何に起因して作用してくるものなのか。 あるいはもしかすると、鑑賞する側は、空間の本質についての極めて挑発的且つ深遠な問い掛けを個々のディテールを通して設計者から投げつけられているのかもしれない。 白井作品に接する時は、いつもそんな感覚に囚われてしまう。 否、それすらも先入観なのだろうか。 そう、結局のところ"無垢の視線"などあり得ない。
恐らく、設計者御本人は謎掛けの意識などありはしない。 そんな次元で建築と向き合っていた筈も無い。 規範と呼ばれているものに囚われず、物質そのものや個々の関係性、それによって組み立てられる空間の在り方を深く洞察し、プロジェクトの与件の中で構築する。 その真摯な思索の中で編み出された結果が、それぞれのディテールに宿っているということなのであろう。

一階集会室
二階会議室
正面の壁は微妙にRが付けられている。
※3
エントランスポーチを建物西端から臨む。 平面的に角度の振れた一階外壁面と大きく突き出た庇によって、奥のポーチに向かって強いパースが形成されている。

※4
両関酒造本社事務所外観

一通り内部を鑑賞し、屋外に出る。
改めて眺める外観のうち、エントランスポーチの右手に突き出る庇に唐突感を覚える。 これも不思議の一つ。 でも、その庇に取り合う一階外壁面が、エントランス扉も含めて建物の軸線に対し微妙に角度が触れていることに気づいたとき、その突出の意味が自分なりに解釈出来た。 つまり、強靭なパースペクティブの形成である※3。 その突出と壁面の振れにより、エントランスポーチに向けて強いパースが発生する。 そのパースペクティブによって、表通りからアクセスする来訪者を迎え入れる仕立て・・・などと見立てられなくもない。 そしてそれは、表通りに対しやや引きが取られた立地条件ゆえに効果を発揮する。 なるほど・・・などと一人理解した気分に一瞬陥るのだけれども、しかしそれが正解なのか否かは勿論知る術もない。 結局は不思議なディテールの一つとして、消化しきれぬモヤモヤのうちに自らの印象の中に宙づりのままとなる。

案内して頂いた現所有者の方にお礼を述べ、建物をあとにしてから暫し周囲を散策。 すると、これは四同舎を意識したのではないかと思わせる建物が目に留まった。
旧羽州街道に面して立地する両関酒造本社事務所※4。 丸みを帯びた分厚いパラペット。 小叩きの様な風合いを出した白色の外壁(タイル張ではなく吹付け仕上げだが)。 その壁面から面落ちさせた開口部。 いずれも四同舎の外観構成要素に相通ずる。 そして両者とも酒造の業務に関わる建物だ。 外観から推察される建築年は明らかに四同舎の方が先。
となると、一つの極個人的な仮説が浮かび上がる。 即ち、四同舎に惚れた会社関係者が、自身の本社社屋建設にあたり建物要素を積極的に採り入れた可能性。 もしもそうであるならば、四同舎が地元で愛され続けて来た作品であることの傍証にもなろう。



 
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2020.12.19/記