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建築探訪
坂出人工土地
所在地:
香川県坂出市京町

建築年:
1968年〜1986年

設計:
大高正人

写真1:外観


1.初見の印象

かつて建築専門誌にて当該建物のことを初めて見知った際、そこに掲載されていた写真は、高所より俯瞰したアングルのものであった。 木造家屋が陸続と建ち並ぶ旧態依然とした既存の街並みの中に忽然と屹立する姿を捉えたものであった。
黒々とした瓦屋根がやや陰りを帯びた雰囲気の日本家屋の集積と、剥き出しのコンクリートの量塊が陽光を燦然と浴びて群景をなす様態との鮮烈な対比。 そんな印象を抱かせる掲載画像には、旧弊の既存街区を刷新し理想的な都市環境を創造する処方箋としての人工地盤の可能性を高らかに謳い上げる意図が明確に写し込まれていた。



2.環境問題と人工地盤

昭和半ばの高度経済成長期、旧来からの都市は社会全体の変化に対応できず疲弊しつつあった。
車社会の進展や人口の集中に起因する都市のアメニティの低下。 端的には、「交通戦争」という言葉が一般化し、都市部における日常生活の安全性が脅かされていた。 あるいは経済活動に伴う環境破壊や大気汚染の懸念が指摘され始めてもいた。
その解法の一つとして歩車道分離に活路を求め、例えば駅前広場の上空にペディストリアンデッキを整備する動きが昭和40年代に入ってから各地で進行。 一般的には、橋上駅として線路及びホームの上を跨いで作られたコンコースから段差を伴わず連続する広大な人工地盤が駅前広場の直上に整備された。
そこには光と緑に満ちた広大な歩行者専用の公共空間が広がり、更には近接する商業施設へと連携する。 デッキの周縁部より眼下に視線を向ければ、バスやタクシー、そして自家用車がひっきりなしに蠢く様子が伺える。 それらとは一切無縁のデッキ上は、きわめて快適で安全な都市空間ではある。
しかし、駅始発の路線バスに乗るためにデッキから直下のバスプールに下降すると、様態は一変する。 広大なデッキによって日光が遮断された暗がりがそこに広がる。 頭上を塞ぐその構造体によって、間断無く行き交う各種車輌が撒き散らす騒音や排気ガスもこころなしか籠りがち。 人工地盤は、その上部に理想空間を創出するとともに、直下に暗部を産む。
坂出人工土地に対しても、この駅前ペディストリアンデッキの上部と下部の落差と同様のことを思った。



3.人工大地

そのままでは環境悪化の一途を辿るであろうことが懸念された木造密集住宅街区の一画を段階的にクリアランス。 更地となった敷地にRCの構造体を立ち上げ上空に人工地盤を構築。 その地盤の上に集合住宅群による居住環境を整備し、下部に公共施設や店舗や駐車場等を配すという野心的な再開発事業は、各地の駅前広場に整備されたペディストリアンデッキとは用途及び形態を異にする。
しかし、地上から切り離された人工地盤によってその上下に異種都市施設を重層させるという点では同一だ。 あるいはやや先んじるものの、その第一期工事の事業期間は各地の駅前広場にペディストリアンデッキが整備され始めた年代と概ね同じ。
であるならば、人工地盤の下部の様相は如何に。 実見に当たっての関心事はそこにあった。



4.上界・下界
写真2:
坂出駅からアクセスした際に最初に見える全景。

L型に配置された両棟が接する交差点に面した隅角部には、辻広場が設けられている。
交差点を挟んで写真の向かって左側には、アーケードを冠する既存商店街が線形に伸びる。 その商店街と交差点を挟んだ人工土地下の商店街との連関性を、辻広場によって持たせることが企図されていたのかも知れぬ。

やや時代がかった商店街が広がる坂出駅前通りを数刻歩を進めると、交差点に面して当該建物が見えてくる(写真2)。
地上から眺めるその全貌は、初見の俯瞰画像の印象とは異なりあまり冴えたものではない。 野暮ったいパラペットとバルコニー手摺が廻る三階建ての建物が二方向の道路に面してL型に配棟。 その桁方向が等間隔に区画され、様々な店舗があたかもアーケード街の如く雑多に並ぶ。
交差点に面したL型配棟の隅角部に小さな辻広場が形成され、その広場に面する一方の妻壁の設えに僅かに大高建築らしさをみとめるのみ。 否、それも設計者が誰であるかを知っているからこそ。 あるいは、建物に対する予備知識があるからこそ分厚いパラペットの上部にも視線を向けることとなる。
その視線の先に見える、下層とは異なる立面を持つ分棟配置された建物群の存在。 それが、この建物が他とは大いに異なる機能と構成を擁したものであることを認識させる。



写真3:
人工土地上の集合住宅群
写真4:
住棟立面
写真5:

雛壇状の住棟
直下は市民ホールの用途。

写真6:

人工土地下部の駐車場。
柱梁フレームの形態や、円形のトップライト(右手)の配置等、意匠的な配慮は見受けられるが・・・。

分厚いパラペットは人工土地の外周であり、その上に並ぶ建物はその人工土地上に建てられた市営の集合住宅。
当時の大高正人の作風に基づき周到に造形された立面(写真4)を持つ住棟が絶妙な配置で建ち並ぶ群景は実に見事(写真3)。 かつて思い描かれた理想的で先進性に溢れた都市居住環境の獲得に向けた設計思想やその熱意が時を経た今になっても十分に伝わってくる。 北東に配棟されたひな壇状の住棟(写真5)も、それが坂出市民ホールの上部に計画されたものであることが立体都市への強い意志を感じさせるもので興味深い。 そして立体都市という意味では、それらの住棟群の直下に、人工土地を介して商店街や駐車場といった異種用途が配置されているという状況も実に面白い。

しかし人工土地の下部に歩を向けると、途端に駅前のペディストリアンデッキの下層と同様の、若しくはそれ以上の状況を目の当たりにすることとなる。
剥き出しの人工地盤の構造体が頭上を重々しく覆う駐車場(写真6)。 そして店舗が連なる暗がりの屋内共用通路。 勿論、トップライトを多用する、あるいはその直下に緑地を配する、更には構造体の柱梁フレームの形態にも意を払う等、暗く閉塞的な空間とならぬよう様々な建築的配慮がなされてはいるが、それでもかなり厳しい。

大地の上に第二の人工の大地を築き、都市の諸問題の解決にあたるという発想。 そのこと自体は具体的な有用性と展開性を伴う手法なのであろう。
しかしそれによって生じる下部空間をどう処理するか。 あるいはプロジェクトの推進及び同手法の今後の更なる進展を図るために求められる権利関係の法的な整理と解釈に纏わる普遍性の確保。 その解法を見ぬままに四期二十年に及ぶ事業は完結した。
未来を標榜する再開発事業として造り出された空中都市は稀有な事例という位置づけで建築史の一ページに収まり、しかし特異でありながら地上レベルの視線においては周囲の風景にすっかり埋没しつつ今に至る。



2018.11.17/記