日本の佇まい
国内の様々な建築について徒然に記したサイトです
町並み紀行
建築の側面
建築外構造物
ニシン漁家建築
北の古民家
住宅メーカーの住宅
間取り逍遥
 
INDEXに戻る
建築探訪
千城台東第一県営住宅
所在地:
千葉県千葉市
若葉区千城台東2
建築年:
1971年〜72年


1.初期工業化公営住宅の系譜

千葉モノレールの千城台駅周辺には、1965年に造成が始まった計画戸数8800戸、総面積207haに及ぶ住宅地が広がる。 計画的に敷設された街路に沿って昭和40年代以降の様々な形式の戸建て住宅が建ち並ぶ風景を眺めながら歩くこと10分余。 千城台東第一県営住宅が見えてくる。
広さ34481平米の敷地内に、テラスハウス形式の二階建て住棟が幾つも並ぶ。 総戸数313戸。 棟間は十分な離隔が確保され、その間に敷地内通路や緑地がゆったりと配置。 視線の先に常に大きな空が豊かに広がる。

各住棟を構成する住戸の内外観は、全て同一規格で構成されている。
外壁面に規則正しく入る縦目地は、それがプレキャストコンクリートパネル(PCa)のジョイント部であることを容易に視認させる。 全体がPCaを多用した組立て形式であることや、外壁に取りつく外部開口の配置。 そして全体のフォルムからは、かつて旧建設省が開発した「量産公営住宅第一種簡易耐火構造二階建(63MTC型)」が原型として見えてくる。


2.公営住宅の量産化

※1

千城台の隣、小倉台に建つ62MLC型が原型の平屋建て県営住宅。 背後に63MTC型系列の二階建て住棟も建てられている。

※2
型式の「M」はMass production、「T」はTerras houseを指す。

※3*1

建築研究所での二階建てモデル試施工実施状況。 PCaの室内側に格子状のリブが見える。

※4*2
豊田市聖心町にトヨタ自動車の社宅として建設されたトヨライトハウスの住棟群。 画像左下にPCaのストックヤードも確認出来る。

1961年8月に一期工事として90戸を整備。 前後して、旧建設省の量産公営住宅開発担当官から技術供与の打診及び視察を受けている。

1960年代初頭、公営住宅の大量供給を目的に旧建設省内でPCaパネルを用いた構法の開発が始まった。 当初は平屋建て(62MLC型)※1の検討が進められ、1962年10月には関東、中京、関西の各エリアでを835戸の建設に着手。 二階建ての63MTC型※2についても同年12月下旬にプロトタイプモデルの試施工と各種検証※3が行われ、翌1963年、全国で大量供給が開始されている。

僅かな検討期間でのこの成果は、既存技術を組み合わせる方針の徹底が功を奏した様だ。
構造躯体は、モデュール化されたリブ付き薄肉中型PCaパネルをボルト接合により組み立てる方式。 具体的には、1959年に豊田コンクリート(現、トヨタT&S建設株式会社)が開発し既に社宅等の施工実績を持つ「トヨライトハウスB型」※4の技術が参照・応用された。 そして内装壁は、フラッシュ構造の木製建具の製造技術を転用したパネルを標準化。 PCaパネルのリブ部分を利用し、建具工事の一環でパネルを取り付ける工法が編み出された。
パーツ化された内外装材の配置は900mmグリッドに基づき、その外周に壁体厚を考慮した躯体芯を並置させたダブルグリッドを設定。 内外装共に、徹底したプレファブリケーションとモデュラーコーディネーションが厳格なコストコントロールのもと策定された。 加えて、標準化された各種パーツの生産供給についても業者の指定や民間団体の設立によって体制を確立。 全国にあまねく所定の品質を保持する簡易耐火構造の公営住宅が大量に建設されるに至った。
即ち、国内では数少ない住宅生産に関わるオープンシステムの実現例ということになる。

千城台東第一県営住宅は、諸室配置が63MTC型とは微細に異なる。 住戸の外形こそ芯芯で間口3810mm、張間5610mmと同じ寸法だが、諸室の面積配分及び配置に違いが認められる。
量産型公営住宅は、63MTC型の策定以降、その生産システムを踏襲しながら延床面積や諸室配置、更にはPCaの割り付け等の調整に伴う型式の追加・統廃合が幾度か実施された。 当該団地の住戸には、外観目視で確認可能な構成要素及び建設年と照合すると「MTC-C型」と呼ばれる型式のモデルが採用されている様だ。
1965年から1974年に掛けて各地で供給された型式の一つ。 一階の北側中央に玄関。 その左右にトイレと浴室を配置。 桁方向に昇降する階段を挟んで南側に6帖のダイニングキッチン。 二階は中央の階段の南北にそれぞれ6帖と3帖(1帖の押入れ付)の個室が配置されている。 また、外壁PCaには施工性の向上を目的に900mm幅に加え1350mm幅のパーツも用いられた。


3.現況
※5
入居募集を継続している別の団地の同型の住棟において、隣接住戸どうしの2戸1化により床面積の拡張を図っている事例もある。

当県営住宅は、1990年代半ばに入居募集を停止。 以降入居者の転居等が進み、全ての住民の退去を受け2018年に廃止された。
老朽化が理由となっているが、ストック活用の一環として様々な修繕の選択もあり得たのかもしれぬ。 否、例えば外部建具が木製からアルミ製のサッシに交換されていることが双方の建具が併存する状況から読み取れる等、必要な修繕が随時施された推移が確認出来る。 しかし抜本的な居住性能の再整備となると、なかなか難しい面もありそうだ。
それは、建物そのものが生産性や施工性を主眼に開発されたものであったことに起因する。 量産型公営住宅に対する当時の要求水準は、これらに特化していた。
例えば、構造壁に用いられているリブ付き薄肉中型PCaパネルのシェル部分の厚さは40mm。 格子状に一体成型されたリブ部分も120mm。 これは、コスト的な制約の中で耐震性能等の構造体としての要求水準を満足しつつ施工性に関わる重量を最小限に留めることを念頭においた断面設定であったのだろう。
しかし供用開始から半世紀近くが経過した今現在、住まいに求められる品質はこれらに留まらなくなってきた。 例えば遮音性能や温熱環境の観点において、何らかの後補によって今後想定される先進の性能へと引き上げを行うにはこの部材断面では物理的な限界があるものと思われる。 42.74平米という床面積も、設備や間取りの更新性及び可変性に制約を課す※5

千城台には、同型の住棟を含む同様の県営及び市営の住宅団地が他にも幾つか散在する。 供用が継続されているもの、建替えのため既に除却されたもの、あるいは空家住戸を多く抱えたのもの等、状況は様々。
千城台以外の全国各地の事例においても然り。 各自治体が管理する公営住宅の入居者募集サイトを閲覧してみると、「簡耐二階」若しくは「簡耐2」等、当該テラスハウスの形式を表わす符号が記された住棟が徐々に減りつつある様子が見て取れる。 表記が削除された団地について確認してみると、建替えや除却等の記事を目にする機会がこのところ随分増えた。

時を経ることで、要求される居住性能との整合を見い出しにくくなっている面もあろう。 しかしそこには、かつての住宅生産の工業化に向けた使命と夢が静かに穏やかに沁み込んでいる。



 
INDEXに戻る
引用した画像の出典
*1:プレハブ住宅<財団法人日本住宅協会>
*2:1964年版日本のプレハブ住宅<日本のプレハブ住宅編纂委員会>

参考文献
・プレハブ住宅<財団法人日本住宅協会>
・プレハブ建築協会二十年史<社団法人プレハブ建築協会>
・わたしの住宅工業化、産業化の源流物語<澤田光英>

2022.11.19/記