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建築探訪
第二日吉ビル県公社常盤町6丁目共同ビル
所在地:
神奈川県横浜市
中区常盤町6-77
建築年:
1960年

南側外観

幹線道路から一本奥まった幅員の狭い街路に面して建つ当該建物を初めて見かけた際、最初に視線が向かったのは三階から上のバルコニー手摺であった。 穴開きコンクリートブロックが規則正しく積まれている。 その背後に、バルコニーを区画する薄肉コンクリート板の隔壁が手摺と直交して等間隔に並ぶ。 一目で共同住宅の用途と判別可能な構成だ。 隔壁で仕切られた一区画が一住戸。 それが一つのフロアに5戸並び、更に三層重なることで15の住戸によって構成された共同住宅。
暫し見上げていたその視線を下層に移せば、接地階及び二階は商業施設の用途。 掲げられた看板から、いずれも飲食店であることが判る。 この下部二層の外壁の多くはタイル張り仕上げ。 コンクリート素地剥き出しの上層の住宅部分とは、形態のみならず素材の面でも違いが露わとなっている。

目視である程度推定可能な建築年代と上下層で用途を分ける建物構成から、当該建物がこの界隈で1950年代半ばから60年代に掛けて盛んに建てられた市街地共同住宅の一事例であろうことが容易に読み取れる。 更には、地図で確かめた建物名称が民間建物と公営住宅の併記となっていることも、その可能性を補完する。



南面見上げ
東側妻面
南東側外観

戦後復興期、当該建物が立地する横浜市関内エリアでは、都市の不燃化を目的に土地所有者と県の住宅供給公社を共同事業主とした俗に「下駄履き住宅」と呼ばれる市街地共同住宅が多数建てられた。 その多くは、戦災により灰燼に帰した当エリアに敷設された比較的整形な街路に沿って、中庭を内在するロの字型平面形状の沿道型配棟を指向した。 しかし、土地取得の困難等により、多くはそのブロック形態を目指しつつも未完に終わることで特異な景観をこの界隈に形成してきた。
当該建物は、外観目視の範囲では最初からその様な街区型建物が指向された様には思えぬ。 片廊下型の矩形の配棟で完結した。 但し、東南の角地に建つことで、バルコニー側と妻側の二面が接道する。 そのため、東側妻面に設けられた共用階段の踊場部分の手摺にも南側バルコニー面と同じ穴開きコンクリートブロックによる意匠を組み込むことで、立面としての統一性を外観に付与している。

初見の際、既に下部二層に入居する店は営業を継続しているようには見えなかった。 また、上層の各住戸に到る垂直動線としての共用階段の一階出入口部分も合板で塞がれて進入禁止措置がとられており、いずれの住戸も既に無人であることが読み取れた。
それから程なくして、当該建物は除却。 戦後復興期の都市再生を彩った建物の一つが消え、街はその歴史の記憶を忘失してゆく。

 
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2023.02.11/記