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建築探訪
芦屋浜シーサイドタウン高層住区
所在地:
兵庫県芦屋市
高浜町,若葉町

建築年:
1979年

写真1:
地区センターからペデストリアンデッキ沿いに
若葉町側の街区の臨む


※1
正式名称は、「工業化構法による芦屋浜高層住宅プロジェクト提案競技」。 そのタイトルからも、プレファブリケーションを主要テーマに据えた事業提案コンペであったことが判る。
※2
複数案を提出した企業連合が三社あった。
例えば企業連合のうちの一つである三菱グループは、採択されたASTM案以上に先進的な構法で纏めたA案と、既存技術の応用で手堅く纏めたB案を提出している。 A案は、準入選案となった。

※3
本文記載の会社以外に、松下電工(現、パナソニック電工)・高砂熱学工業・松下興産の計5社で構成。
提出時のASTM案の模型写真では、スーパー・ストラクチャーのトラスから植栽が外部に溢れ出している。 特異な構造形式を活用したその様な建築緑化の演出も考えられたが、その後の供用において実現することは無かった様だ。

※4
建設省,通産省,建築センター共催により1970年に実施された、住宅における工業化工法の先導モデル提案事業。 112社から145件の応募があり、集合住宅10件と戸建住宅7件が採択。 入選作は、関東と関西で実際に施工・分譲が行われた。

大阪湾西部の広大な埋立地に林立する巨大な高層住宅団地。 海側から遠望すれば、六甲山脈を背景にほぼ同一の外観構成要素にて統一された板状建物が52棟建ち並ぶ。 総戸数3381という一つの都市の規模を持つこの団地は、その建設が進められた1970年代において考え得る居住環境の未来の在り姿を追及しようという強い意思のもとに創り出された。 そのことが、当時標榜された「未来」に差し掛かりつつある今現在においても容易に視認可能だ。
骨太な鉄骨トラスで複数フロアを一単位とするスーパー・ストラクチャーを屹立させ、その中にプレハブ生産された住戸を規則正しく配列する。 スーパー・ストラクチャーの縦方向は、共用階段を内蔵。 水平方向は垂直動線から各住戸に至る経路及び空中庭園としての機能を担う。 そんな住棟構成を極めて直截に外観デザインに顕わした板状高層住棟が、先進の都市計画学に基づくゾーニングに則り、地上に幾つかの広場を形成するように広大な敷地内に計画的にレイアウトされる。 更には、歩車道分離や適切な公共施設の配置、そして地域暖房及び給湯システムや真空ゴミ収集装置の導入等、未来につながる理想が多数取り込まれて一つの都市が実現した。

但し、各住戸の内部に関しては日常生活に革新をもたらすような斬新なプランや設備は導入されていない。 当時において概ね一般的であった形態や仕様が採用された。
未来都市を指向するとはいえ、建物用途は不特定多数の居住を想定した民間と公営の分譲及び賃貸住宅。 従って、住戸内まで開発者側が思い描く未来を持ち込むことは事業として現実的ではない。
それでも、高層居住がまだ一般的では無かった時代である。 低くても14階建て、最も高い住棟になると29階建てということ自体が先進的な住環境であった。

この団地開発の構想がスタートしたのは1960年代の終わり頃。 大阪湾に面した芦屋一帯の臨海部に埋立地を造成し、そこに理想都市を建設しようと考えていた兵庫県。 そして集合住宅の供給における工業生産に基づく産業化をより高度且つ広範に推進したいと考えた建設省(現、国土交通省)。 更には芦屋市や兵庫県住宅供給公社、日本住宅公団(現住宅・都市整備公団)、日本建築センターの6団体が協働し、このプロジェクトが始まった。
計画の策定にあたり、1972年に技術提案競技を実施※1。 新しい都市の在り方や高層住宅建設の手法が競技のテーマに掲げられ、22企業連合から25の案が提出※2。 審査期間を経て翌年8月に竹中工務店や新日本製鐵(現、新日鉄住金)を中心とするASTM事業連合の提案※3が採択され、実施に向けた作業が進められることとなった。

集合住宅の生産性、つまりプレファブリケーションの在り方に関する技術開発が国内で本格的に始まったのは1960年台の初め頃になる。 未だ戦後の住宅難が深刻な社会問題となっていた状況下において、低コストながらも品質の安定した住居の大量供給を目的とした検証は、1963年に策定された量産型公営住宅によって初めて体系化される。 結果、狭小ながらも各住戸に専用庭を有するテラスハウス形式の同一規格の住棟が全国津々浦々に建設・供給されることとなった。
その後、中層集合住宅におけるティルトアップ工法の展開や、1970年に実施された通称パイロットハウス技術提案競技※4等、生産体制の高度な工業化を前提とした住宅産業の構造化を念頭に各種取組みが官民共に推し進められてきた。
この芦屋浜団地は、これまでのそうした成果を踏まえつつ更にフィールドを都市に拡張した壮大な総括と位置付けられるものであった。 住宅の工業化に加え最新の都市計画の粋を結集し、未来志向の理想の街づくりを行おうという前代未聞のビッグプロジェクト。 その事業は、複数の行政及び事業主体との調整や計画地近隣住民との折衝、そして前例のない構法に基づく施工の実施といった多難なプロセスを経て、埋め立て工事の着手から約十年を経て完成。 夢の未来都市が稼働し始めた。

芦屋浜以降、住宅生産の工業化を中心に据えた都市開発がこれ程ラディカルに実現した例は無い。 類い稀なる空前絶後の「かつての未来都市」は、その計画段階における多岐にわたる検討から完成・供用開始後に発生した様々な「出来事」も含め、二十世紀の技術遺産としての価値を既に十分帯び始めているのかもしれぬ。



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