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建築探訪
住友炭鉱住宅
所在地:
北海道三笠市
弥生花園町

建築年:
1967年〜1969年

構造:
木造二階建て

写真1:弥生桃山町の住友炭鉱住宅


炭鉱住宅については、あまり興味を持ってはいなかった。
北海道在住時、道内の炭鉱住宅街を観て廻ったことは幾度かある。 例えば夕張の場合、急峻な斜面地の広範にわたって折り重なるように長屋形式の炭鉱住宅がビッシリと建ち並ぶ様は、とても壮観ではあった。 しかし、それ以上の関心は当時は特に沸かず。
同時期における私の興味の対象は、完全に鰊番屋に偏っていた。 漁業と鉱業。 ジャンルは違えど、鰊番屋も炭鉱住宅も道内において極めて重要な位置づけにある産業史に纏わる建築だ。 にも関わらず、なぜ鰊番屋に興味を持ったのかということに関しては、特に自己分析に手間取らない。 例えばそれは建築としての意匠の完成度であったり、建築形態の特異性であったり、あるいは今現在置かれているロケーションや今日に至るまで重ねてきた境遇等々、シンパシーを抱く要素が鰊番屋にはあまりにも多過ぎた。

しかしながら、無量から無への劇的な変貌という歴史を背負っている点において、炭鉱住宅もまた鰊番屋と相通ずるものがある。 ならば改めて北海道内に現存するそれらの住宅を観て廻ってみようかと遅まきながら関連資料に目を通す。
その際、住友型を呼ばれるこの炭鉱住宅に目が留まった。 急勾配の真っ赤な屋根とモルタル素地の外壁のコントラストが印象的な長屋形式の共同住宅。
調べた範囲では、住友奔別炭鉱の職員用住宅として三笠市弥生町界隈の数か所のみに百戸程度この形式の住宅が建てられた様だ。 ということで、渡道の折に現地を訪ねてみた。


写真2:南側立面


写真3:北側立面

写真で目に留まった切妻屋根の南北双方の斜面を深くえぐる様に二階部分の窓が付く。 そのことによって外観に彫深い表情を与えると共に、小屋裏の様な二階の部屋が付く建物であることを外部から視認させる。 更には、もともとは同じ規格だったのであろう煙突が、経年の中で戸別に様々な形に変容することで、これも外観の表情に彩りを添える。
そんな住棟は、基本6戸の住宅を連続させた長屋。 その住棟が複数並ぶ。
内部は一階は6畳二間にキッチンとトイレと物置、二階に7.5畳の居室が一つ。 二階に独立した居室を設けたのは、夜勤明けの職員がゆっくりと休息をとることが出来るように配慮されたものなのだそうだ。
外壁を全面モルタル塗とすることで気密性が高められており、他の炭鉱住宅から引っ越してきた人は、冬期の室内がとても暖かく感じられたという。

かつて、炭鉱労働者向けの住宅は劣悪な環境におかれていた。 いわゆる飯場はもとより、隣戸との境界が背丈程度のパーティションのみで上部が筒抜けというプライバシーなど皆無の棟割長屋といった程度のものが多かったという。 それが、戦後の復興に向けたエネルギー供給のために炭鉱は重要な役割を担い、その労働力確保を目的に良質な居住環境の提供は重点施策となった。
それに伴い、住まいの最低基準も定められる。 例えばその初期段階では、二方向に開口部を設置すること(つまりは、棟割長屋の禁止)や、居室には畳を敷き天井を張ること等々。 その後年々居住環境の質的向上が図られる過程は、昭和半ばのエネルギー政策の転換によって石炭産業が縮退するまで続く。
この住友炭鉱住宅は、そんなプロセスの最終段階に位置づけられる様だ。 建てられてから二年後の1971年、住友奔別炭鉱は閉山となった。


写真4:
弥生桃山町から少し離れた弥生柳町に建ち並ぶ住友炭鉱住宅群。7棟の長屋が連なる。


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