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建築探訪
南船橋の集合住宅群

写真1
※1
写真1の手前の五階建ての住棟群

建物名称:
若宮二丁目団地

所在地:
千葉県船橋市
若松2

建築年:
1969年6月

規模:
1336戸


※2
写真1の背後の建物のうち、右手に並ぶ、バルコニー手摺の縦横のパターン分けが明瞭なファサードによって構成される住棟群

建物名称:
ワンダーベイシティSAZAN

所在地:
千葉県船橋市
浜町2-3-31〜34

建築年:
2007年1月

規模:
RC造22階1211戸


※3
写真1の背後の建物のうち、左手の住棟群

建物名称:
グランドホライゾン・トーキョーベイ

所在地:
千葉県船橋市
浜町2-3-35〜37

建築年:
2008年2月

規模:
RC造22階684戸


JR京葉線の南船橋駅。
1986年に開業したこの駅は、その当初から"巨大"というキーワードと共に在るといって良い。 とはいっても、駅それ自体が巨大ということではない。 その周囲に、巨大な事物が常に存在しているのだ。
例えば、駅の南口には、1969年にURが整備した巨大な団地、“若松二丁目団地※1”が広がる。 あるいは、隣接して1950年に開設された“船橋オートレース場”があり、その巨大な施設の中では巨大な爆音を轟かせて熾烈なレースが繰り広げられている。 また北口には、1981年に開店した巨大なショッピングモール、“ららぽーとTOKYO-BAY”が広がるといった具合。
その“ららぽーとTOKYO-BAY”の敷地は、もともと“船橋ヘルスセンター”という総合レジャー施設が建っていたが、それも巨大な規模であったという。

しかし、この"巨大"というキーワードを用いて南船橋を語る上で、近年において最も象徴的であったのは、“ららぽーとスキードームSSAWS (ザウス)”なのではないか。 現存しないものの、記録上は今現在においても史上最大の屋内スキー場という位置づけなのだそうだ。
もともと恒久的なものとして想定されていなかった同施設は、当初策定されていた営業期間満了時に事業収支や今後の展開性を鑑みた上で、2002年9月に営業を終了。 程無くして、除却された。
象徴的巨大建造物の喪失がこのエリアの地相に何らかの変容をもたらすのかと思いきや、跡地の土地利用も巨大な建物の建設に供された。
一つが、巨大な家具専門店IKEAの開業。 そしてもう一つが、巨大な二つのマンションの分譲。 マンションのうちの一つは、総戸数1211戸の“ワンダーベイシティSAZAN※2”。 そしてもう一方が、総戸数684戸の“グランドホライゾン・トーキョーベイ※3
いずれも板状箱型の高層マンション。 前者はロの字型の住棟配置を成し、後者はコの字型。 同じデベロッパーがほぼ同じ時期に供給した両マンションが近接することで、全体で“8”の字型の平面形態を成す高さ70m超の巨大な壁面が連なっている。
そして、URが整備した5階建て住棟が累々と建ち並ぶ若松団地の向こう側に、22階建ての巨大な壁面が立ち尽くす独特の景観が形成された。

地表面に巨大に広がるものと、天空に向けて巨大に屹立するものの並置。 あるいは、20世紀後半の集合住宅の風景と21世紀初頭のそれとのあからさまな対比。 そんな様態が、巨大な非住居系施設群の中に展開している。



写真2:
若松二丁目団地集会場前の広場。
手前に建つのは、一階に商業施設を併設した若松二丁目団地の住棟の一つ。 団地内の他の住棟とは異なり七階建て。 そしてとてつもなく長大なブロック形態を成す。
写真3:
若松二丁目団地内にて西方面に目を向けると、多くの場所から団地と二つの巨大マンションの対比が確認できる。

ヒューマンスケールを遥かに超越した事物に支配されたエリアにおける、同様にヒューマンスケールを圧倒的に凌駕する居住環境という事象。 それは何も南船橋のみに特異な状況ではない。 同様の事例は個々に様態を異にしつつ、あまた実在する。
とはいえ、だからといってそれぞれのプロジェクトが居住用途としての適切なスケールの在りように対して無配慮であって良いということにはならない。
南船橋における二つのマンションにおいても、巨大な壁面に設置されるバルコニーや共用廊下のデザインを幾つかのパターンに分節することで、単調さの緩和とスケールの調整に意を払っている。 そしてそのことによって、面積の違いこそあれ概ね似通った間取りの住戸が縦横に際限無きが如く積層する実態が外観に露骨に表出することを、幾ばくか隠蔽している。
しかし、その形態操作が巨大さそのものへの対処として十分に作用しているかといえば、否。 ザウスとは異なる圧倒的に巨大なるものが、用途と形を変えてその跡地に群景を成す。

巨大さと共に在ること。
それが、昭和半ばの埋め立て事業によって忽然と姿を現した時点からこの場所が連綿と抱き続ける地相ということなのであろうか。



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