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建築探訪
秩父宮記念市民会館
所在地:
埼玉県秩父市
熊木町8番18号

着工:
1966年1月
竣工:
1967年3月
改築:
1979年

新築時設計:
カトー建築事務所
改築時設計:
松本清建築設計事務所

施工:
清水建設

写真1:北東側外観


竣工当初の建物の概要を簡単に表記すると、以下の通りとなる。
地下一階から地上二階まではスポーツ競技用のアリーナ。 1967年に埼玉県内で開催された第22回国民体育大会においては、柔道競技場として使用された。 その直上の三階が、市立図書館。 そして四階に会議室を設けた複合用途の公共施設。

この構成からは、懸念事項がすぐに思い浮かぶ。
アリーナの使用時に発生する音や振動が、静けさを求められる図書館に対して影響を及ぼすことは無かったのだろうか。 あるいは、その対策を建築的にどのように処理していたのか。
そして、無柱空間であることが要求されるアリーナの上に、機能や空間構成が全く異なる用途を二フロア積み重ねることに対する構造的な処理は、如何なる架構形式によって解決しているのか。

この二点については、入手し得る資料からは読み取ることは出来ない。 しかし一方で、動と静の用途が直截に積層される状況に対し、動線計画は極めて明快であるようだ。
アリーナへのアクセスは、建物の北側に配置されたメインエントランスの地上レベルから直接行う。 そして図書館や会議室へは、向って左側にある階段を昇り、二階レベルからアクセスする。
動線の錯綜を避けることで、双方の心理的な区分けを明瞭にしようという配慮なのだろう。



写真3:北側立面見上げ
写真2:南西側外観
※1
写真4
メインエントランス側外観。左手の白い建物も、当該建物の一部。

外観にも配慮がなされている。
異種用途が積層される場合、その機能的要請の違いから、全く異なる外観デザインが積み重なるチグハグな様態が露呈することになりかねない。 しかしこの建物においては、その辺りが破綻すること無くとても巧みにまとめられている。
低層のアリーナ部分は強固で閉鎖的な砦、あるいは基壇といった印象。 人工地盤の如きそのその低層部の上に、図書室と会議室の力強くも繊細な意匠が積み重なる。 そして建物北側のメインエントランス部分が、両者の調停役として全景を整える。 更には、庇やオーバーハングの多用による深い軒の出の様な形態の付与、あるいは吹寄せの出桁等、コンクリートによる和の表現を意識したと思われる各部位のデザイン処理も、全体を巧くまとめる役割を担っている。
これらのディテールからは、当時の公共建築におけるデザイン潮流との関連性を見て取れよう。

写真4※1をみると、左手に白い外壁の部分が在る。 コンクリート打放し仕上げが主体の外観の中にあって少々異質な要素であるが、これは近隣の別の建物という訳ではなく、市民会館の一部だ。
この箇所には、階段やエレベーターといった垂直動線と、そしてトイレ等の設備用途が収まっている。 つまり、各フロアのメイン用途とは別のサービス機能のみを集中させた部分だ。
ここで、もう一つのデザイン潮流との関連性が見えてくる。
もしもこれらのサービス部分の改修が必要になった時、各フロアの主用途にはあまり影響を与えることなく、その工事を行うことが出来る。 場合によっては、メイン用途の部分はそのままに、このサービス機能部分のみを建て替えることも可能かもしれない。
建物の中でも比較的短い周期で改修が発生する用途を一箇所に集中させ、且つ他のエリアからは分離させてプランニングすること。 それは他でもない、当時興隆していたメタボリズム的な考え方に拠っているという見立ても可能であろう。

ちなみに、新陳代謝という意味では、経年の中で文化会館としての時代の要請に沿った各フロアの用途変更も行われている。
例えば、1979年に施設の大規模な改築が実施され、アリーナ部分は競技場から劇場に用途変更された。 また、市立図書館も現在は別の場所に独立して建てられ、もとの三階部分は会議場に変更された。
この融通無碍な変容も、各フロアの動線の分化や、あるいはメイン用途とサービス用途を明確にゾーン分けした平面計画が可能にしたことなのかもしれない。



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