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建築探訪
小樽市民会館
所在地:
北海道小樽市
花園5-3-1

建築年:
1963年10月

設計者:
矢野建築設計研究室

施工者:
佐藤工業札幌支店

規模:
地下1階,地上6階

写真1:北西側外観


1.外観構成
※1

写真2:西側立面

JR小樽駅の南方に位置する高台に整備された「小樽公園」の北端に立地する。
公園に向かうやや急勾配の坂道を昇ると徐々に見えてくる建物北側のファサードは、シンメトリーに纏められた実に堂々としたもの。 暖色系のレンガ調タイルとコンクリート打ち放しの対比。 そしてその中に挿入されるシャープなガラスの開口部の組み合わせが、重厚且つ端正な外観を形成している。
東もしくは西側の立面に目を向ければ、二本の柱を吹寄せに組んだコンクリート打ち放しのグリッドが、北側立面と抗わぬ厳かさを保ちつつ、掘り深い陰影を伴う表情を醸し出している(写真2※1)。
建物の裏側、つまり南側に歩を進めると、そちらは概ね北側と同じ立面構成。 すなわち外観は、南北と東西それぞれに異なった立面を与えつつ全景を調律させて成り立っている。 あるいは、四周全てを巡ることで、建物がほぼ正方形平面のボリュームを持つことが判る。



2.正面性に関する内外の乖離
※2

写真3:
階段を昇り切った先にあるエントランスポーチの東端から建物北東隅角部方向を観たところ。
右手上部が、車寄せに向かって突き出す天井高が抑えられた庇。
そんな外観を一通り堪能したのち、建物北側に戻る。 そして車寄せに面して大きく張り出す庇の下に設けられた階段を昇ってエントランスに向かう※2
しかしその階段を昇り切ると、やや違和を覚える。 庇下の天井高さが非常に低い。 靴を履いた状態で私がモデュロールのポーズ(立位上肢挙上の姿勢)を取ると、指先を伸ばさなくても容易に天井に手が届く。 つまり2300mmを切っている。 人々を出迎える建物正面の構えとして、やや圧迫感が否めぬ。
これは、一旦空間を絞ってから壮大な吹抜けを伴う開放的なホワイエへといざなうための意匠的な仕掛けかと思い屋内に入ると、これまた肩透かしを食らう。 エントランスドアの内側は、風除室を介して目の前に無表情で狭小な廊下が横断するのみ。 そして天井高もポーチのそれと連続したままだ。
腑に落ちぬまま取り敢えずその廊下状空間の左手に歩を進めると、建物北東隅角部の溜まり部分にはガラス張りの外壁に面して螺旋階段(写真4)。 この設えはとても良い。 その隅角部から右側に視線を移すと、漸くこの手の用途において一般的なホワイエが見えてくる(写真5)。
ということは、正面だと思っていた北側の構えは、建物内部の空間構成からすると実は側面だったということになる。


写真4:
建物北東隅角部内観

写真5:
建物の東側に配置されたホワイエ

そのホワイエが広がる建物東側立面にも出入り口が設置されている。 出入り口の外側にはデッキがあり、道路に向かって降下する階段が取り付き、公園の北東隅角部道路境界からのアプローチ動線に供している。 むしろ駅側からの徒歩によるアクセスを鑑みるならば、こちらの方が合理的な経路だ。
つまり、建物正面と思われた北側とは別のルートが、北東側に用意されている。 しかし東側外観は、北側の正面性に比べると意匠的には従属の関係に捉えられよう。 すなわち、内外観それぞれの構成における正面性の在り方に明らかに乖離が生じているという訳だ。



3.乖離発生事由

外観は北向き。 内観は東向きに構成。 この正面性の乖離に関しては、近傍に立地する市立図書館で市史に目を通すことで発生事由が理解できた。
記述によると、1961年の時点でプラン策定に関し以下のプロセスを経ている。

3月24日:
設計者よりプラン提示
4月24日:
市民から建物は海側(東側)を正面にすべきとの意見が寄せられる
6月13日:
修正案提示
6月17日:
プラン承認
※3

写真6:
北東からのアクセス経路。 階段の先が建物の東側立面になる。

同資料には、この建物が市の事業に対して市民に意見を募る初めてのケースであったことも記されている。 この様な経緯によって内外共に北側を正面としていた初期案を修正。 道路からの見え掛かりを考慮して外観は変更せずに内観のみ東側に正面を90度回転させる措置が取られたのかもしれぬ。 そしてこれは、一辺が55.4mの正方形で構成される平面に従い方向性を持たぬ整形な構造形態が採用されていたからこそ可能な対応であったとも考えられる。
結果、東側アプローチとなる階段廻りには既存樹との取り合いでやや苦しい納まりが発生。 更に北側からアプローチした際の前述の違和を生むこととなった様だ。

しかしこれは、建物が高台に立地するがための敷地内高低差や取り付き道路の勾配といった立地条件に対する理にかなった解法であったとも考えられよう。
つまり、徒歩の動線は、取り付き道路の坂下となる敷地北東から階段を昇ってアクセス※3。 一方、車による動線は坂上で接道する北側正面から車寄せを介してアクセスする。 そのような歩者分離を敷地条件を逆手にとって処理する。 そしてその経路の分離に対し、正面性を内観と外観それぞれの設えに振り分けて応答する。
そんな巧みな処置のもとに建物が成り立っていると解釈するならば、それはそれで興味深い内容を持った建物ということになるのではないか。



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2018.06.09/記